ディボーショナル

エンダウメントが必要です

教会歴史と教義の准教授

2022年4月5日

「わたしたちが信仰を持って行動するとき、神の御前に入り、昇栄の祝福を全て受けられるように、そして現代の霊的な問題を克服するために、必要な神の力を授けると神は約束されています。」

必要に応じて翻訳を修正します。何かご提案があれば、speeches.jpn@byu.eduにご連絡ください。

今学期最後のディボーショナルで話す機会に非常に感謝し、恐縮しています。この機会はわたしにとって特に意義深いものです。わたしの家族には、BYUの在校生が3人います。新入生の娘と2年生の娘、そして妻のシンディーは数週間後にBYUマリオットビジネススクールで修士号を取得し卒業します。わたしは彼女をとても誇りに思い、愛しています。心から愛しているので、彼女をわたしの「スウィートハート」じゃなくて、「スウェットハート」と呼ぶのです。(冗談)

今日は皆さんがわたし自身の家族の一員であるかのように、非常に重要なテーマについてお話したいと思います。聖霊が共にいてくださるよう祈ります。

幸運なことに、キャンパスでわたしの仕事の大部分は、「回復の礎」と呼ばれる宗教コースを教えることです。そのクラスを教えるのが大好きですし、皆さんの多くの方とこの驚くべき回復された福音を研究することも大好きなことです。いつもクラスの最後に、生徒とちょっとしたセリフのやり取りをする習わしがあります。

生徒が教室を出る前に、わたしは彼らに「回復は続いています!」と呼びかけます。

そして、わたしが彼らを指差すと、彼らは一斉に「参加し続けましょう!」と答えます。

しかし、わたしたちは皆、今なお続く回復の継続を助けることは、特に現代において、口で言うほど簡単ではないと知っています。わたしたちはすばらしいながらも困難な時代に生きており、将来の歴史家は、回復された教会の歴史の中で、今日の時代が最も霊的に困難な時代の一つとして語ることになると思います。このことはわたしたちの教会に限ったことではありません。特にアメリカでは、組織的宗教全般への信仰が著しく低下しているという証拠が多くあります。ピュー研究所の最近の調査によると、2007年にはアメリカ人の16%だけが宗教に所属していないと答えましたが、今日では29%です。実際、アメリカで最も急速に成長している宗教は無宗教です。そして、無宗教者の増加の多くは、若い世代から来ています。ピュー研究所は、特に北米とヨーロッパでは、若年成人は高齢者よりも宗教に所属する可能性が低いと報告しました。

すべての世代や時代において人は、信仰を離れ、戻ることを繰り返していますが、注目すべきなのは、現在それが起こっているように見える速度とソーシャルメディアなどでそれについて聞く量です。今日、信仰を失うことは速く、騒騒しく感じます。

神からのエンダウメント

では、わたしたちはどのようにして今日の霊的な問題に対処し、進行中の福音の回復を続けることができるのでしょうか。現代の信仰の課題に関連する、重要で複雑な問題をすべて解決できる簡単な答えはないと思います。ですが、わたしたちがより深く理解し、探し求め、受け入れるならば、直面している現在の試練を安全に乗り越えるために与えられる、何かしらの力があるとわたしは信じています。

それが何か知りたいですか?

その力を知るためには、1835年のオハイオ州カートランドにさかのぼる必要があります。それでは目を閉じて、土ぼこりの道路を頭の中で旅してください。開拓者の服を着て、預言者ジョセフ・スミスが、最近結成された十二使徒定員会を教えている集会にいると想像してみて下さい。 今日の定員会とは異なり、この最初のグループは若く、教会での経験が浅かったのです。最年長の使徒はわずか35歳で、使徒のうち4人は20代前半で、今日ここにいる多くの学生と年齢が近いです。この時代はアメリカの歴史と教会において、霊的に素晴らしかったと思うかもしれません。 カートランド神殿はほぼ完成し、改宗者はオハイオに集まっていました。かなり良いと思いませんか?少し考え直してください。記録された十二使徒への説教の中で、ジョセフは「イエス・キリストが十字架に掛かれていたときと同じように、この時代にも暗闇が蔓延している」と述べていました。

現代に少し似ていませんか?

それからジョセフは、「わたしたちの思いと感情が一つとなるように‌、〔そして〕わたしたちの信仰を強め、サタンの欺きの力や、支配する力を打ち破るため」の何かについて教えました。

それは何だったのでしょうか?

ジョセフはこの次の行を言った時、つまり当時の霊的な課題を克服するために必要だと感じたことを伝えた時、より強調して言ったと思います。預言者はこう言いました。「‌皆さんが備えられ、すべてのものに打ち勝つためにはエンダウメントが必要です。」

エンダウメントが彼らにとっての鍵であり、わたしたちにとっても鍵になると信じています。

そうです、わたしたちにはエンダウメントが必要です!

誤解しないようにここは気をつけたいと思います。 「エンダウメント」という言葉を聞くとき、どんなことが思い浮かびますか。あなたは何を思い描いていますか?皆さんの多くは、神殿での神権儀式を思い浮かべるでしょう。よくその使い方でエンダウメントという言葉を使うので、それが普通でしょう。しかし、わたしたちのエンダウメントについての考え方を少し変えたいと思います。ジョセフ・スミスが、「わたしたちが直面する霊的な問題に打ち勝つためにエンダウメントが必要である」と言ったとき、宗教的な儀式だけが必要だと言ったのではありませんでした。霊的な力のエンダウメント、すなわち神からの知識、経験、能力が必要だという意味でした。ジョセフスミスと聖文はエンダウメントを、天から与えられる霊的な力と説明しています。言い換えれば、エンダウメント自体とエンダウメントの儀式には違いがあります。エンダウメントは神からの力であり、エンダウメントの儀式は、その力を与えるために権限を与えられた宗教儀式です。その概念だけでも理解してもらえれば、今日、この一緒にいる時間は価値があると思います。

主は「神権の儀式によって神性の力が現れる」と言われました。(教義と聖約84:20)ここでの「現れる」の他の言い方は「提示する」や「表示する」です。儀式は、神が与えようとしておられる力にあずかる特別な聖約の機会を与えてくれますが、わたしたちは義にかなった生活をしてこそ、その力を受け、維持します( 教義と聖約121:41-46参照)。

時に神殿のエンダウメントの儀式に参加し、最初はよく理解できなかったり、神殿を出た後も入る前とあまり変わらないと感じることがあります。しかし、わたしたちはたった数時間で全てを授かることはありません。エンダウメントが霊的な能力であることを理解するならば、神殿のエンダウメントの儀式で提示された概念と聖約を忠実に理解しようと努め、熱心にそれに従い、時間をかけてその能力を伸ばす必要があります。

神殿によって「高い所から力を授けられる」(教義と聖約38:32)と約束されているのなら、その力はどのようなものでしょうか。他の方法では得られない、どのような新しく、またはより大きな力と能力を持つことが出来るでしょうか?このディボーショナルの準備のために、多くの人にこれらの質問をしました。彼らの深遠な答えに感動しましたが、また同時にまったく答えられない人がいることに少しがっかりしました。どのような力が授けられるのかが分からないのに、どのようにしてそれに目を据えて得られるように努力することができるでしょうか?

教義と聖約107章には、エンダウメントを受けた人々にもたらされる力について幾つかが要約されています。

彼らは「すなわち、天の王国の奥義を受ける特権を持ち、天が彼らに開かれ、長子の教会の総集いと親しく交わり、また父なる神と新しい聖約の仲保者イエスの親しい交わりと臨在とを享受することである。」 (教義と聖約107:19;18節も参照)

簡単な言葉にすれば、神殿の儀式と聖約を交わし、それに従うことを通して、私たちはより大きな力を得られます。啓示を受ける力、天を呼び求める時わたしたちの声を聞いてもらう力、約束された天使の働きで助けを受ける力、そして、救い主イエス・キリストと父なる神を個人的に知るようになるのです。

そうです、わたしたちには、エンダウメントが必要です!

神殿のエンダウメントの儀式の概念と聖約は、これらとそれ以上の霊的な力をもたらす神聖な生活様式を示しています。神殿は現代の預言者の塾であり、そこでわたしたちは聖約に入り、将来、祭司または女祭司の位につきます。神殿のエンダウメントの儀式に参加するとき、象徴的な上向きの旅を経験し、再現します。この旅では、わたしたち一人一人は堕落した人として、偉大な贖いの計画について教えを受け、知識と聖約によって力を与えられ、最終的には神の御前に連れて行かれて永遠の命を受け継ぐことを教えられます。この儀式は、わたしたちが光と真理を増し加え、聖なる生活を送るための指針となる神権の聖約を交わすときに、栄光から栄光へと成長し、進歩することを示唆しています。

十二使徒定員会のロバート・D・ヘイルズ長老は、この点について教えました。

「〔神殿においては〕わたしたちはキリストのような生活の規範を確立すると教え〔られています〕。これには、従順、戒めを守るために犠牲を払うこと、互いに愛し合うこと、思いと行いにおいて純潔であること、神の王国を築くために自らをささげることが含まれます。救い主の贖罪と、これらの基本的な規範に従うことにより、「高い所から力を」授かり、人生の問題に立ち向かうことができます。わたしたちは今この神聖な力をかつてなく必要としています。」

あるいは、ラッセル・M・ネルソン大管長の最近の言葉を借りれば、「わたしたちが聖約を守るならば、主は…力を授けてくださいます。ああ、これから先、なんと主の力が必要なことでしょう。」

神殿の聖約の力

主な神殿の聖約が、切に必要とする霊的な力を、どのように助長できるのでしょう?それを示すために、福音の回復にこれからも携わる時に直面するであろう5つの問題と、それらに対処できる神殿の聖約を説明します。これらの5つの神殿の聖約について、教会は多くの場所で公に出版しており、教会の指導者はわたしたちにそれらを理解するよう勧めています。さて、現在に戻りましょう。想像上の開拓者の服を脱いで、これらの聖約が今日直面している試練に対処するためにどのように力を与えるのかを見てみましょう。ーー

1.従順の律法

わたしたちは「自分は自分らしく」という現代哲学の意味深なスローガンが強調するごとく、個性を崇拝するような現代に生きています。ソーシャルメディア、マスマーケティング、政治的な目的などで昼夜を問わず、「自分の道をたどる」、「他人に命令されるな」、「自立しなさい」「自分のやり方で」などの善意のメッセージを無理やり聞かされています。これらのメッセージは自己肯定的ながら自己中心的なのです。状況によっては少しだけなら聞く価値があるかもしれませんが、今日の社会の速度で聞くと、わたしたちは過剰摂取している可能性があります。

キリスト教神学者ジョージ・マクドナルドは、この態度について言いました。「自分は自分の王となり、自分の僕となる.‌..良いことでも、悪いことでも、やりたいことなら何でもやる。」このことを「地獄の原則」の1つと呼びました。それはなぜでしょうか? それは、「わたしの思いではなく、みこころが成るように」(ルカ22:42)によって定義される、イエスの完全で、生涯にわたる神への服従とはまったく対照的だからです。今日よく言うことは「自分は自分らしく」かもしれませんが、キリストの聖約の呼びかけは「わたしのようになりなさい」です。神の律法に従い、ただ自分なりの神のイメージに従って自分の道を行かないと聖約を交わすことで力を授かります。

そうです、わたしたちにはエンダウメントが必要です!

2.犠牲の律法

わたしたちは家庭崩壊や結婚が減少中の世界に住んでいます。アメリカでは最近、政府が1867年に追跡調査を開始して以来、最低の結婚率を記録しました。米国の国勢調査データによるとアメリカにおける結婚の推定期間はわずか約20年です。多くの若者は永遠の結婚をして永遠の家族を築きたいと願っていますが、自分には無理と感じています。この試練に立ち向かう力を与える助けとなる原則にはどのようなものがあるでしょうか。神殿でのエンダウメントの儀式では、犠牲の聖約を交わします。教会はこの聖約を「主の業を支えるために犠牲を払い、打ち砕かれた心と悔いる霊をもって悔い改める」ことを意味すると説明しています。人間関係の鍵です!

妻もわたしも、悔い改めと犠牲の大切さを教えられたことに感謝しています。わたしたちは一緒に育ち、同じ中学と高校に通いました。伝道後に再会し、最初に話した夜に(どういう訳か)「愛」というテーマが出てきました。伝道で、わたしは愛の真の定義は「犠牲」であると結論付けました。ヨハネによる福音書15:13で、イエスはこう言われました。「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」

その会話で、わたしは彼女に愛とは何だと思うかを尋ねました。彼女は少し間を置いてから、「愛を説明する最良の言葉は 犠牲だと思う」と言うようなことを言いました。すばらしいことです。わたしはその場でひざまずいて、彼女にわたしと結婚するように頼みました! (それは冗談ですが、実際にはデートの時間を取って2か月以内に婚約しました!)わたしたちは現在、約25年間、幸せな結婚生活を送っています。でも、それはチャレンジがなかったというわけではありません。すべての結婚には困難があります。しかし、神との犠牲の聖約は、利己的な生活を捨てて、家庭生活を築き、神の王国を築く動機を与えてくれました。それはどんな関係にも当てはまります。神と人への永遠の愛は、犠牲という土壌で育ちます。

そうです、わたしたちには、エンダウメントが必要です!

3.福音の律法

わたしたちは、重要な社会的および政治的疑問の飛び交うエキサイティングでありながら困難な時代に生きています。もっともらしい意見が多くあり、時には異なる方向に向かっているのに、それぞれが自分の立場の美徳を等しく確信しています。信仰に対する疑問は、個人的な見解が教会の教えと矛盾するときに起こることがあります。どう対処すればいいでしょうか。問題は、わたしたちが違った考え方をするかどうかではありません。ジョセフ・スミスでさえ、自分の言うことすべてにただ同意するのはいけないと人々に言い、「知性のない人に永遠に囲まれることを望まない」と言いました。問題は、意見が合わないときにその議論をどのように処理するかです。わたしたちは不当に批判したり、厳しく裁いたり、十分な情報なしに非難したり、悪口を言ったり、公然と軽蔑したりしていませんか?それをしていれば、わたしたちは霊的な力を失います。

ジョセフ・スミスが1835年に十二使徒定員会と会ったとき、ジョセフは彼らにこう言いました。「お互いに不義を探さないでください。あら探しをするなら、あなたはエンダウメントを受けることができません。なぜなら神はそのような者に授けないからです。」 その代わりに、主が定められた方法で評議しましょう。

「完全な義により、聖さとへりくだった心、柔和と寛容により‌.‌..

(なぜならば)これらのものが[わたしたち]の内にますます豊かになるならば、[わたしたち]は主を知る知識について実を結ばない者となることはない、という約束があるからである。」(教義と聖約107:30-31)

イエス・キリストの驚くべき福音で教えられていた、より高い教えに従って生活すれば、

裁いたり、罵倒したりせず、愛し、祈り、赦し、憐れみを差し伸べ、和解する力が備わります。

そうです、わたしたちには、エンダウメントが必要です!

4.純潔の律法

わたしたちは性に関して、奔放な時代に生きています。2020年のピュー研究所の調査によると、無宗教のアメリカ人のうち84%が、同意した成人の間でカジュアルなセックスは時々、または常に受け入れられると言いました。クリスチャンの間でさえ、50%がそれが許されると思うと報告しました。今日、ポルノはどこにでもあり、簡単にアクセスでき、比較的無害であると正当化する人もいます。野放図な性の津波と、後に残される損害に抵抗する力を私たちはこれまで以上に必要としています。性的表現から道徳的制限を取り除きたい人もいますが、無制限な力が腐敗と混乱の両方の母体であることを時と経験は示しています。そして、生命を創造する力ほど強力なものはほとんどありません。モルモン書が教えているように、神でさえも順守し超えようとしない限界があり、それを守らなければ「神は神でなくなる」のです(アルマ42:22、25)。不道徳で気ままな神に信仰を持つことを想像できますか? わたしもできません! そして、わたしたちがここにいるのは、さらに神のようになることを学ぶためなのです。

純潔の聖約はセックス以上のものであることを見極める目が必要です。純潔の聖約は、信頼でき、自制心を働かせ、境界線を尊重し、利己的に力を乱用せず、聖約の家族を生み出し維持する能力を持つ人格を作るためです。独身者、デートをしている人、既婚者のいずれであっても、老いも若きも、真に道徳的な人格を育むことには神聖な力があります。

そうです、わたしたちにはエンダウメントが必要です!

5.奉献の律法

わたしたちは、重要な人物になり、何か大きなことをし、プラットフォームを持ち、成功しなければならないという多くのプレッシャーがある世界に住んでいます。成功という言葉自体が文化から来る期待の重みを抱えています。例えばわたしが「最近、デビッドについて聞いた? 彼は本当に成功しているね 」と言ったら、私たちが考える「成功」の定義とは何でしょう? デビッドはお金持ちで、有名になり、多くのフォロワーがいて、地位と名声を持っているに違いないと思いませんか?「ああ、素晴らしい!デビッドは本当に愛に満ち、神と彼の仲間の男性と女性に仕えることに専念しているに違いない」と思う人はまずいないでしょう。成功者だと思われたい願望は、わたしたちの動機を汚し、倫理基準の無視を正当化し、必死に頂上へ登ろうと、他の人を踏みつけたり、見過ごしたりすることを正当化し、わたしたちの本当の人生の使命を見逃す原因となりかねます。

個人的な経験では、わたしは青年だった時、教師の給料で生活することを過度に心配して(アメリカでは学校教員の給料が低いため)、神の召しだと感じた(教師の) キャリアを逃してしまうところでした。わたしは富と名声が欲しいのは、ほかの人のために良いことができ、家族により多くの機会を提供できるからだと自分に言い聞かせました。でも、正直なところ、プライドと他人から褒められたいというわたし自身の願望も計画の一部であり、わたしの心を汚していました。神がわたしを正してくださったことに感謝しています。

誤解しないでください。これはお金や名声や地位や知名度の問題ではありません。それらすべて、あるいはそれ以上のものを持っている良い聖徒は大勢います。それは問題ではありません。問題は、わたしたちが何を愛し、わたしたちの心がどこにあるかについてです。神殿では、生涯を神に奉献し、神の御心を行い、神の王国を築くために、時間、才能、手段を聖なるものにすることを最高の聖約として教えています。神殿は人を愛し、仕えることを教え、困っている人々を助けるために自分たちの富を提供することを教えます。自分の専攻に不安のある人に、専攻をすでに4回変えた皆さんのことを言っています。神殿は何を専攻すべきかを教えてくれます。奉献を専攻しましょう。すると、神と同胞を愛し、仕えることに心をささげるとき、自分が豊富に与えられた時間、才能、賜物をどう使えばよいかを知るでしょう。神と神の子供たちに仕えるために生活を奉献することにおいて力があり、その力によって個人の道と目的を見出すことができます。

そうです、わたしたちにはエンダウメントが必要です!

これらの例はごく一部に過ぎません。神殿のエンダウメントの儀式の聖約と概念を学び、熱心に実践することによって力を授かる方法は他にもたくさんあります。最近わたしは、エンダウメントのセッションの後、エンダウメントの聖なる教えに従えば、わたしの生活の中で促進できると感じた40の霊的な力を書き留めました。しかし、それはごくわずかです。全能の神が聖約の子供たちに授けたいと望んでおられることはたくさんあります。

聖なる規範

こういう力は他の人にしか当てはまらないと考えたくなるかもしれません。しかし、神の力は非常に個人的なものであり、わたしたちが規範を学び、聖約の概念を実行すれば、皆さんやわたしのような普通の聖徒でも授かることができます。

絵で説明させて下さい。わたしが画家であり、宗教をテーマにした絵を描いていることをご存知の方もいらっしゃるかもしれません。このイエスの絵を見てください。[キリストの絵を見せる]

これを描いたのはわたしではありません。7歳の子供、これまでイエスを描いたことのない子供がこの絵を描いたのです。さらに驚くべきことに、彼女は1時間でこの画を描きました。この子が現代のモネだからではありません。(そうかもしれませんが、分かりません。時が教えてくれるでしょう)。どうしたらこのような絵を描くことが出来たのでしょうか。初等協会の活動でわたしが彼女とほかの子供たちのために用意し、指導した絵の基本的なパターンに従ったからです。

わたしは子供たちのためにリノカット版画を作成しました。子供たちはそれをボードにスタンプをして、最初の輪郭に使いました。それから彼らにハイライト、中間色、シャドウに関するいくつかの基本原則を教えました。カドミウム イエローのハイライトから始めて、一色ずつ与えました。わたしは見本で、絵の具をどこにどのように塗るかを示しました。

最初、彼らは少し緊張し、わたしの指示に混乱していましたが、彼らは忠実に、少しずつ、一筆ずつ従っていました。

次に、中間色の黄土色を顔の中央にどのように塗るかを示しました。次は、バーントシェンナのシャドウを塗りました。間違えた時は、画家のボブロスの言葉、「間違いなんかありません。 楽しいアクシデントがあるだけです」などを引用して、子供たちが元に戻るのを助けました。最後に、救い主の白いシャツと赤いローブを塗り、そして引き立つように、コントラストが強い背景色で仕上げました。

絵が出来上がるのを見て子供達はとても興奮していました。一人の男の子が「ねえ、本物のイエスさまのように見えるよ!」と言いました。

親御さんの中には、子供たちが自分で描いたとは信じられない人もいました。しかし、基本的なパターンを学んで、従うことによって、彼ら全員がイエスを描く能力を身につけました。

同様に、神殿のエンダウメントの儀式で定められた聖なる規範を実行することによって、わたしたちは皆、イエスのようになる力と能力を育むことができます。神殿のエンダウメントは、一つ一つ色を与えるように聖約と概念で主を提示し、主に従う方法を示しています。最初は戸惑うかもしれませんが、忠実であるとき、神殿のあらゆる特徴と聖約において主を見出すようになります。イエスほど神に従順で、多くの犠牲を払い、聖なる生活を送り、純潔で自身を奉献された方がいるでしょうか。毎日、神殿の教えに従って生きるにつれ、わたしたちはゆっくりと本物のイエスのように見える何かを自分の内に認識し始めます。

そうです、わたしたちには、エンダウメントが必要です!

これらの初等協会の子供たちは、簡単なパターンに従うことでイエスのイメージを作り出すことができましたが、偉大な芸術家に慣れるのは、芸術の概念を学び続け、時間をかけて繰り返し実践する場合のみです。力と能力は一つのクラスだけでは来ません。そうならいいのにと思うかもしれませんが、それはできません。わたしたちは一貫して努力しなければなりません。

神の力を授かることは、大学のプログラムや学位を取得するのと少し似ています。わたしたちが入学をしたからといって、教育を受けたわけではありません。教育は時間がかかり、苦痛さえもあるのです。特に期末試験の頃に何もかも提出期限になるとそうでしょう?学びが劇的に、一度に来ることはめったにありません。ほとんどは、時間の経過とともに知らぬ間に生じるのです。教育の授業料は粘り強い努力によって支払われます。しかし、献身的な勤勉さのおかげで、数週間後に卒業する人は、数年前の自分よりも、様々な分野でより多くの力と能力を伸ばしてきました。主の預言者の塾である神殿でも同様で、時間をかけて聖約と概念を学び、熱心に実行していく中で、わたしたちは力と能力を少しずつ身につけるようになります。

皆さんとわたしは課題を理解できない事があるかもしれません。神殿の教科書は、意味を理解するために何度も読み直しを必要とすることがよくあります。しかし、偉大なる教師であるイエスの基準評価は非常に明確です。この最も恵み深い教授は毎日, いつでも質問や面談を受け入れ、あなたが物事を理解するにつれ、何度も何度も課題をやり直すのなら、あなたの成績を喜んで修正します。主は完全習得学習を確認しており、彼の学期は永遠に終わらないのです。でも主のクラスをサボったり居眠りしたりするのをやめてください。そして、難しすぎる、ややこしすぎる、自分に向いてないと思い込んで、ドロップアウトすることは絶対にしないでください!何度も何度も彼のクラスに行き、彼に教わってください。皆さんはそうすればするほど、 学び、成長し、さらに神聖な力と能力を授かるでしょう。

そうです、わたしたちには、エンダウメントが必要です!

回復に参加し続けましょう

愛する友人の皆さん、回復は続いています。回復に参加し続けることを今日選択してください。そのためには霊的な力と能力のエンダウメントが必要です。

神殿のエンダウメントの儀式は、さらに偉大な力を促進するための概念と聖約を伝えます。

子供たちがキリストを描いていたとき、パターンに従うことを学んだように、神殿で礼拝し、イエスのようになるためのパターンとプロセスを学んでください。

神殿を出るときには、勤勉な生徒になり、日々の生活の中でそれらの聖約や概念を実践するよう意識的に努力してください。頑張って、練習し、やり直し、再調整し、精度を上げて、決してあきらめないでください。神はあなたのことを決して諦めません。神をあきらめないでください。

わたしたちが信仰を持って行動するとき、神の御前に入り、昇栄の祝福を全て受けられるように、そして現代の霊的な問題を克服するために、必要な神の力を授けると神は約束されています。是非、エンダウメント、すなわち霊的な力が増し加えられるエンダウメントを受けましょう。

エンダウメントを受けて、そして現在進行中の回復に参加し続ける意思はありますか?その準備はできていますか。もしそうなら、わたしがクラスをどのように終えるか覚えていますか?このディボーショナルも同様にして終わりましょう。

回復は続いています!

参加し続けましょう!

神殿の力のエンダウメントを通して、また、主であり、救い主であるイエス・キリストの聖なる御名により、回復に参加し続けるよう、わたしたち全員に勧めます。アーメン。

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アンソニー・スウェット

アンソニー・スウェット教会歴史と教義の准教授は、1月18日にこのディボーショナルを行いました。