神様の創造物全てに理由があるか知る由はありません。しかし、偉大な創造物一つ一つが印です。その印とは、神様が世を治めており、神聖な計画があり、そして私たちはこの地上に存在する理由は世の中が説くよりもはるかに偉大な目的のためだという印です。
遠い昔のことです。夫が私に可愛らしい小さな銘板を買ってくれました。その板には「期限がなければ、私は何も終わらせることができないだろう」と書いてありました。皆さんも共感できるのではないでしょうか。
目まぐるしく変化する生活の中で、私たちの心は締め切りのあるもので一杯になり、最も重要なことに時間を割けずにいます。私たちが何者か忘れ、永遠の視点も失ってしまいます。祈り、深く考え、個人の啓示を求め、御霊の促しに従い、神様の御手を生活の中で見つけ、神様の愛を感じる時間を取れずにいます。目の前にあることに気を取られすぎると、顔を上げて周りを見ることを忘れてしまいます。
今日は、皆さんに顔を上げて周りを見る時間を取って欲しいと思います。
全てのものには神様の証が刻まれています。
私は天文学者ということもあり、宇宙に魅了されています。最も古い記憶は、私が5ー6歳の頃に学校の図書展へ行き、木星とその衛星が載った写真本を手に取ったことです。
ボイジャー探査機はちょうど木星にたどり着き、4つのガリレオ衛星の美しい写真を収めてきました。その本に載っている火山や濃いオレンジ、黄色に彩られた木星第一惑星イオの写真を今でも覚えています。地球よりも少し大きなこの小さな月は、地質学的には活動しているはずがありませんでした。そのような星は灰色で私たちの知る月に似たクレーターのある衛星であるはずなのです。その代わりに、イオの美しく、変化が絶えない風景が収められており、子供の頃の私にはとても魅力的でした。虜になっていました。
天文学者として、なぜ神様がイオのような天体を創造したのか不思議に思うことがよくあります。よく考えてみれば、私たちがいる太陽系は太陽と月と地球があれば十分です。なぜ太陽の周りに、1つではなく8つもの惑星を置いたのでしょうか?なぜ巨大な惑星の周りには、イオのような特異な衛星を作ったのでしょうか?なぜ冥王星とその仲間はカイパーベルトの一部なのでしょうか?
冥王星と、トンボー地域と言うハート形の領域の写真を初めて見たとき、神様がこの地質学的な特徴をあえて作ったのだと思わずにいられませんでした。その特徴とは、2015年7月14日にニューホライズンズ探査機が飛来した際に、ちょうど私たちが見れる位置にありました。何十億年も前に神様がその特徴を冥王星に持たせたのは、私たちがこの末日まで冥王星を見ることはないと知ったうえで、私たちが神様の愛を再び思い出せるようにするためだったのではないでしょうか。どうなのでしょうか。もしかするとそうかもしれません。
天にある神様の創造物について研究を重ねていくにつれ、神様の創造物のすべてには目的があり、その目的のために存在していると信じるようになりました。モーセが神様に「これらのものはどうしてこうなのですか」と尋ねたとき、神様は「わたし自身に目的があってこれらのものを造った」と返事をしました。ここに知恵があり、それはわたしの内にある。(モーセ1章30-31)
神様の創造物全てに理由があるのか知る由はありません。しかし、偉大な創造物一つ一つが印です。その印とは、神様が世を治めており、神聖な計画があり、そして私たちがこの地上に存在する理由は世の中が説くよりもはるかに偉大な目的のためだという印です。
主はアダムに教えました。
見よ、すべてのものにはそれに似たものがある。すべてのものは、現世にかかわるものも霊にかかわるものも、わたしのことを証するために創造され、造られている。すなわち、上の天にあるもの、地の上にあるもの、地の中にあるもの、地の下にあるもの、上のものも下のものも、すべてのものがわたしのことを証するのである。[モーセ6:63]
同じようにアルマは教えました。
まことに、万物は神がましますことを示している。 まことに、大地も、大地の面にある万物も、大地の運動も、また各々整然と運行しているすべての惑星も、それらのすべてが至高全権の創造主がましますことを証している。[アルマ書30:44]
神様の創造物一つ一つが、神様が生きているという証です。
神様の最も重要な創造物は皆さんのことです。
そんな私たちが、神様の創造物を隠すようにコンクリートの森を建て、人口の光で空を照らすことに躍起になっていることは残念です。目の前にはスクリーン、耳には栓をし、周りにある不思議に全く興味を示すこともなく私たちはこの人生を歩んでいます。技術の進歩と共に、私たちは現状に甘んじるようになりました。まるでニーファイ人のようです。
キリスト誕生のしるしが与えられた後、ニーファイが記しています。
そして、…民は前に聞いたあの数々のしるしと不思議を忘れ始め、またしるし、すなわち天からの不思議に次第に驚かなくなってきた。そして、彼らの心はかたくなになり、思いはくらみ、彼らはかつて見聞きしたすべてのことを信じなくなった。[3 ニーファイ 2:1]
オリオン大星雲のような星形成領域の写真を見て、ある恵みに気づきますか?その恵みとは創造の過程にある巨大な創造物を見る技術を主が私たちに与えたこの時代に生きていることです。私たちが今日持っている知識を授けられたのは、アダム、アブラハム、エノク、そしてモーセといった古代の預言者たちのみだったことを知っていますか?その知識があまりにも大いなるものだったためモーセは「今これで、わたしは、人は取るにたりないものであることが分かった」と述べたのです。(モーセ1:10)
皆さんにチャレンジして欲しいことがあります。携帯電話やYouTube、ビデオゲームから少し離れて神様の創造物を観る時間を毎日取ってください。散歩をして顔に当たる風を感じ、芝生に手を走らせ、満天の夜空を楽しみ、この世界を皆さんのために創った最高の創造主に感謝をささげてください。
プライマリーで、クララ・W・マクマスターが作詞した「天のお父様の愛」の歌詞を学んでいます。
鳥のさえずり聞いたり
青空見たり
雨が頬濡らしたり
風が通り過ぎたり
バラにそっと触れたり
する時いつも
創り主お父様を
思い感謝します
美しい蝶々を見る目をくださった
聞く耳も心も
神様がくださった
わたしの命も皆
お父様の
愛により創られたと、わたしはわかります。
[子供の歌集、16]
天の御父は皆さんを愛しています。天の御父は皆さんのことも御存じです。神様の創造物の中のすべてで、皆さんが最も重要な存在です。
星からの学び
現代の啓示により、前世での出来事やこの地球の目的、来臨、そして信仰深ければこの世の後に待つ昇栄について多くのことを私たちは知っています。星の栄えについての知識も私たちにはあります。
アブラハム3章では、主はアブラハムに天文学のレッスンをしました。彼は次のように述べています。
そこで、わたしが数々の星を見ると、それらはきわめて大いなるもので、その中の一つは神の御座の最も近くにあった。また、その近くには大いなる星が多数あった。
主はわたしに言われた。これらは支配する星である。そして、その大いなる星はわたしの近くにあるので、その名をコロブという。わたしは主なるあなたの神である。わたしは、あなたが今立っている星と同じ系統に属するすべての星を治めるように、この星を置いた。[アブラハム3:2-3]
私の知る限りの知識を用いて、星の様々な輝きについて天文学の授業をしてみましょう。
夜空に浮かぶ星を見るとき、その星たちに違いはないように見えるでしょう。そう見える理由は距離があるからです。星は光の点として見え、輝きが弱いため、ほとんどの場合星の色を識別できるほどの十分な光子が目まで届きません。
しかしよく見ると、明るい星は赤くもしくは青く光っていることに気づくでしょう。星は白一色ではありません。星の色は星の温度を表しています。恒星までの距離を計算すると、その恒星の光度、つまり本当の明るさを知ることが出来ます。温度と光度の情報をまとめると、星の半径が分かります。
温度を横軸、光度を縦軸にして表したものがH-R図(ヘルツシュプルング・ラッセル図)と私たちが呼ぶ図です。私たちが発見したのは、星は全て同じではないということです。輝きには違いがあるということです。
ベテルギウスは、私たちの銀河系で最も大きな恒星の1つです。太陽よりも温度は低いですが、太陽よりもはるかに明るく、はるかに多くのエネルギーを生み出しています。半径にして太陽の約1000倍にもなる巨大な星です。もし太陽がベテルギウスになれば、木星までのすべての惑星を飲み込んでしまうでしょう。ベテルギウスは、その他の超巨星と同様に、その寿命に近づいており5000万年後には死んでしまいます。
白色矮星と呼ばれる最も小さな星は、厳密にいうと星ではありません。星は核融合を通してエネルギーを生成する物体ですが、白色矮星は外層部を放出した後に残る死んだ星の核です。キャッツアイ星雲には、白色矮星が中心に位置し、その周囲は放出したガス層に囲まれています。今から70億年後に太陽が死ぬとき、太陽はこの星雲と非常に似ているかもしれません。白色矮星となり星雲の中心にあるでしょう。
太陽の輝きを他の星と比較すると、太陽はそれほど大きな星ではないとすぐに分かることでしょう。太陽は最大ではありません。最も温度が高い星でもありません。また、最も光度の高い星でもありません。しかし最大ではなくとも、太陽はその創造の基準をすべて満たしています。地球上の生命が必要なエネルギーを供給しています。温度や光度が実際よりも高いと、地表が熱すぎるため水は液体ではいられず、生命は存在しないでしょう。太陽の温度が低く、光も弱いと、私たちは凍えてしまうでしょう。
さらに太陽の色や寿命、そして磁気活動といった特徴を他の星と比べると、太陽のような星は生命を維持する環境を提供する上で理想的だとすぐに気づくでしょう。太陽は与えられた使命を果たすために完璧な属性を持ち合わせています。
主が星の違いについてアブラハムに教えた後、主は地球以前に存在した英知や霊について教え始めました。アブラハムは皆さんと私、そして神のすべての霊の子供たちを見ました。
主はアブラハムに教えました。
とはいえ、主はさらに大いなる星を造った。同じように、もし二つの霊がいて、一方が他方よりも英知に優れているとしても、一方が他方よりも英知に優れているにもかかわらず、これら二つの霊には初めがない。彼らは以前に存在しており、彼らには終わりがなく、彼らは後にも存在する。彼らはグノラーム、すなわち永遠だからである。[アブラハム3:18]
さて、主がある霊は他の霊よりも「英知に優れている」と言ったことは、不公平に思えるでしょう。しかし星についてのレッスンを思い出してください。星はそれぞれ異なります。それぞれが異なる属性を持ち、異なる発達段階にあり、異なる使命を持っています。同様に、神様の子供も1人1人違います。私たちにはそれぞれ異なった特質や才能が備わっており、成長段階も1人1人違います。そして、この地上での使命も異なっています。私たちは神様の子供ですから、神様は私たちのことや私たちがこの地上で授かった賜物や才能について完全に理解しています。私たちがこの地上で最もよく成長し、使命を果たせるように、神様は私たちをこの地上にこの時代に置きました。太陽のように、皆さん一人一人には皆さんが創造された目的を果たす完璧な属性と資質を持っています。
アブラハム書を読み続けると、主は次のように説明しています。
実にこれら二つの事実がある。すなわち、二つの霊がいて、一方が他方よりも英知に優れている。彼らよりもさらに英知の優れた別の霊がいる。わたしは主なるあなたの神であって、わたしは彼らすべてよりも英知が優れている。[アブラハム3:19]
これら2つの聖句を組み合わせると、私たちは自分自身について重要な真理を幾つか学びます。まず、私たちはみな違うことを学ぶでしょう。皆さんよりも賢く、何かに長けている人は常にいます。同様に、皆さんが他の人よりも賢く、長けている点もあるでしょう。
しかし、私たちは自分が永遠の存在であることを学ぶでしょう。空に見える星はいずれ全て死んでしまいますが、皆さんは永遠に生き続けるでしょう。つまり、皆さんには変わり成長する時間が無限にあるということです。皆さんが足踏みをすることはありません。皆さんは神様の霊の息子、娘であり、神様のようになる可能性を秘めているのです。神様は全ての英知の中で最も優れています。だから、私たち一人一人も学び、神様のようになる力をつけて、神様のように完璧になることが出来るのです。
この世で完全になることは出来ませんが、この世で新たに得た能力や伸ばしたものは来世へと引き継ぐことが出来ます。そして、それらは天国でも神様のようになろうと努める時にそれだけ有利になります(D&C 130:19)。
フェイスブック、スナップチャット、ツイッターなど、好みのソーシャルメディアを選ぶことが出来る現代では、皆さん自身の人生を他人の人生と簡単に比べ、そこから人生に物足りなさを感じるのは容易です。完全さを目指し競い合うと、挫折や困難、試練、失敗に圧倒されそうになるでしょう。星のレッスンを思い出してください。私たちはみな違います。私たち全員が最も明るい星、最も大きな星、最も熱い星にならなくもいいのです。実際、私たちはそもそも星にならなくてもよいのかもしれません。私たちが自分とは違うものを比べ続けるならば、この人生で本当の幸せを見出すことは決してないでしょう。そして天のお父様が望む人物になることはないでしょう。
私は褐色矮星と呼ばれる天体を研究しています。科学界では、褐色矮星などの天体は「未熟な星」と呼ばれています。ガスと塵の天体から形成される星ですが、中心で核融合を起こすために必要な質量を持ち合わせていません。だから、それらの天体が星になることはあり得ません。
私は「未熟な星」というあだ名が嫌いです。なぜならこれらの星は元々星になる予定はなかったのです。褐色矮星として創造されたのです。そして、それらは興味深いのです。
褐色矮星が誕生したときは、比較的高温であります。しかし、内部にエネルギー源がないので、時間経過とともに冷却されていきます。重くて若い褐色矮星の中には、最も冷たい恒星と同等の3,500ケルビン級の星もあれば、古くて小さい矮星では200ケルビンほどしかない星もあります。200ケルビンは地球よりも低い温度です。
これらの天体が冷えると、大気中に雲が形成されます。地球や木星で確認できるものと似た形状の雲です。雲を持つ褐色矮星は、恒星ではなく惑星に近い見た目をしています。
他の恒星を軸として公転する巨大ガス惑星の大気を解明したい科学者にとって、褐色矮星は貴重な情報源です。察しの通り、親星の周りにある巨大ガス惑星を直接画像にすることはできません。恒星が惑星よりもはるかに明るく、私たちの技術をもってしても惑星からの光を直接検出することは出来ません。しかし、褐色矮星は宇宙空間でポツンと存在していて、他の恒星の周りを公転していません。だから、矮星と雲の構造の性質を調べることが容易なのです。また矮星の温度は巨大ガス惑星と同じくらいなので、褐色矮星の大気についての知識を応用して太陽系外惑星の大気について推定することが出来ます。
褐色矮星は天文学者にとって、本質的な知識の唯一無二の情報源です。創造された目的を完全に満たしており、未熟な星なんかではありません。どちらかと言えば、惑星以上の働きをしています。
皆さんは神様の子供です。
今度、自分の価値を疑ったり、他人と比べて足りないものがあると感じたりした時は、皆さんが神様の子供であることを思い出してください。皆さんは神様の創造物であり、あるがままの皆さんこそが完璧な姿なのです。神様に助けを求めてください。そうすれば、神様は皆さんに授けた賜物や才能そして神様がこの世に用意している使命を見つ出す助け舟を送ってくれます。失敗作は一人もいません。
アブラハムのように、モーセは神様と顔を合わせて言葉を交わす特権にあずかり、地球とそこに住むすべての人を目にする機会にも預かりました。このお話を終えるにあたり、モーセ1章に記されてるいくつかの聖句を取り上げます。
3節と4節では、神様はモーセにこう教えました。
神はモーセに言われた。’見よ、わたしは全能の主なる神であり、無窮とはわたしの名である。わたしは、日の初めもなく年の終わりもないからである。これは無窮ではないか。
また見よ、あなたはわたしの子である。それゆえ、見なさい。そうすれば、わたしがあなたに、わたしの手で造られたものを見せよう。
皆さんは、神様の息子であり娘です。その知識に高められ、人生の中で神様の導きを求める時間を設けてください。皆さんが目を向け、尋ねるならば、神様は皆さんが知る必要のある真実を明らかにされるでしょう。
6節で、モーセはこう教えました。「わたしの子モーセよ、わたしはあなたに一つの業を用意している」。神様が皆さんの心に語り掛け、皆さんが神様の息子や娘であり、皆さんに業が用意されているとの声を聞くことが出来るでしょうか?
神様はこう続けました。「あなたはわたしの独り子にかたどられている。わたしの独り子は、現在も将来も救い主である。彼は恵と真理に満ちているからである」。(モーセ1:6)神様は皆さんを造りました。神様は御自身をかたどり皆さんを造りました。そして、救い主を皆さんに遣わしました。理由は皆さんが御許に帰ることを望んているからです。皆さんが昇栄出来るように、神様は最善を尽くしています。皆さんは主の道をひたむきに選び、最後まで耐え忍べばいいのです。
神様は最後にモーセにこう言いました。「しかし、わたしのほかに神はおらず、すべてのものはわたしとともにある。 わたしはそれらすべてを知っているからである」(モーセ1:6)。神様は皆さんを知っています。神様は御自分のすべての子供たちを愛しています。神様は皆さんの名前と必要なものも知っています。皆さんが御許に戻り、神様の栄光にあずかり、主のようになるためにこの世で必要なことを主はちゃんと知ってます。その知識から霊感を受け、神様を心から信頼し、神様が送る促しに従うことを今決意してください。
自分が神様の子であるという知識は、モーセに霊感を与え、サタンに対抗するために必要な強さを与えました。モーセは彼自身の神聖な特質を知ったため、モーセは神様に仕え、神様だけを礼拝し、絶えず神様の御名を呼ぶことを決意しました(モーセ1:13, 17-18)。それと同じように、私たち一人一人も、自身が神様の子供であり、無限の価値があることを知ると強さを得ることが出来ます。その知識は、特にその知識が絶えず神様に助けと導きを求めるよう促すならば、最も困難な問題や試練を乗り越える力となります。
顔を上げることを忘れないでください。
怒りと疑念に打ち負かされそうなとき、もし皆さんが顔を上げて神様の偉大な創造物に目を向けるならば、皆さんは永遠の特質を思い出し、今抱えている試練や苦難は永遠の視点で見ればほんの一瞬に過ぎないことを思い出すでしょう。
主がモーセにこの驚くべき地球の示現を示し、数えきれない世界と主の御業に終わりがないことを教えた後に、主がモーセに説明した地球の目的を思い出して下さい。「見よ,人の不死不滅と永遠の命をもたらすこと,これがわたしの業であり,わたしの栄光である」(モーセ1:39)。
天の御父の偉大な創造物の中で、皆さんは御業と栄光の中心です。大地は生まれては消え、星は生まれては死にますが、皆さんは永遠です。皆さんが昇栄すること、皆さんの周りにあるものが創造された理由はそれです。
天の御父は皆さんを知っていて、愛していることを忘れないでください。皆さんは御父の子供であり、「御父の手で造られたもの」です(モーセ1:4)。そして、皆さんが神様のようになり、御許に戻ること以外にが神様求めていることはありません。
顔を上げることを忘れないでください。神様はすぐそこにいて、皆さんを待っています。そして、皆さんがこの宇宙で居場所を見つけられるように助けてくれます。イエス・キリストの御名によって証します、アーメン。
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1J. Golden Kimball, “What Is a ‘Good Man’?”CR, October 1932, p. 17.
2ウィリアム・W・フェルプス、「主の御霊は火のごとく燃え」 賛美歌(ソルトレークシティー: 末日聖徒イエス・キリスト教会、1985年)、2ページ
3M. Scott Peck, The Road Less Traveled (New York: Simon & Schuster, 1978), p. 311.
4Johann Wolfgang von Goethe, Faust, Parts One and Two, trans.George M. Priest (New York: Alfred Knopf, 1940), Act I, scene ii (Vor dem Tor).
5Hugh Nibley、“Three Shrines:Mantic, Sophic, and Sophistic, pp. 311–79, and“Paths that Streay:Some Notes on Sophic and Mantic,”pp. 380–478, in the Ancient State: The Rulers and the Ruded, Donald W. Parry and Stephen D. Ricks, eds.(Salt Lake City: Deseret Book Co., and Provo Foundation for Ancient Research and Mormon Studies, 1991).Curtis H. Wright、“A Sophic and a Mantic People”、 BYU Studies 31 (Summer 1991): 55
6David O. McKay, “Peace Through Jesus Christ,” Treasures of Life, comp. Clare Middlemiss (Salt Lake City: Deseret Book, 1962], p. 205).
7Jeffrey C. Jacob、“Explorations in Mormon Social Character: Beyond the Liahona and Iron Rod,” Dialogue: A Journal of Mormon Thought 22 (Summer 1989): 48–49, passim.
8Donna Hill、Joseph Smith:The First Mormon (Garden City, N.Y.: Doubleday Co., 1977)、p.271。
9S. Dilworth Young,“Gift of the Holy Ghost”Improvement Era, November 1968, pp. 75–76 .
10エリザ・R・スノー、「高きに栄えて」、 讃美歌, 180番
11Richard H. Cracroft, Missionary Journal 1 (March 11, 1958): 383
12David O. McKay,“Priesthood Holders to Be Examples in Daily Life as Representations of the Most High,”Improvement Era, December 1968, p.85Quoted in Eugene England, The Quality of Mercy (Salt Lake City: Bookcraft, 1992], p. 71)。
13C. S. Lewis, “Miracles,” God in the Dock (Grand Rapids, Michigan: Eerdmans Publishing Company, 1972), p. 29。
14Emphasis added.C. S. Lewis, “Is Theology Poetry?”(1944), in The Weight of Glory and Other Addresses, revised and expanded edition (New York: Macmillan, 1980), p. 92.See also The Quotable Lewis, Wayne Martindale and Jerry Root, eds.(Wheaton, Illinois: Tyndale House Publishers, 1989), item no. 188, p. 99.

BYU天文学准教授のデニス・ステファンスは、2018年7月3日にこのディボーショナルを行いました。