ディボーショナル

キヌアとオリーブの木—主のぶどう園を強める

2021年5月11日

今日のディボーショナルで、BYUコミュニティーの皆さんに向けてお話しできることを光栄に思います。私の言葉に御霊が宿り、皆さんが励まされ、高められることを祈っています。

私の経歴をお話しますと、1978年5月、当時15歳の時に末日聖徒イエス・キリスト教会に改宗しました。南カルフォルニアで、ユダヤ教徒の父の下で私と弟は育ちました。大祭日には、私たちは叔父と叔母と集まりました。多くの点で、私たちは文化的な影響を受けました。キリスト教の教えは私の人生の中でほとんど接点がありませんでした。しかし、10代のころ、真理を探し求める中で新約聖書や旧約聖書の両方をたくさん読みました。イエス・キリストの教えと人柄に少しずつ惹かれていきました。

才能と善良さを備えた神の民

当初、私の人生で特に印象に残っている2つの経験を主にお話ししようと考えていました。これらの経験は、教会に改宗した頃に起こったことです。

最初の経験は、バプテスマの一週間ほど後に起こりました。兄弟の友人に誘われて、福音派の集会の1つである家庭礼拝に出席しました。集会の後、牧師は私に留まって、私が改宗した宗教について話そうと誘ってくれました。イエス・キリストの神聖な使命について共通の信念を持っていましたが、ジョセフ・スミスの人柄に対して彼は容赦なく攻撃しました。15歳の改宗者にとって、教会を擁護する準備は出来ていませんでした。その夜、私たちの意見が分かれたのは次の2つでした。モルモン書が真実であるという御霊から来た私の個人的な証と私たちは生き物ではなく、神の子供の霊であるという根本的な信条です。

使徒パウロがアレオパゴスについて知らなかったアテネ人に、「神はひとりの人から、神の子孫であるあらゆる民族を作り出した」。(使徒行伝17章26, 29節)この教義が私に深く響いたのだと思います。というのも、男手1つの家庭で私は育ってきたからです。父が私たちに注いでくれた愛情を心の底から理解しました。そして1人親として、父がどれだけ身をなげうって私と兄弟を育ててきたのか少しずつ頭で理解するようになりました。そのため、父親は完璧から程遠くはありましたが、愛に満ちた天の御父が偉大な万能の神である認識を受け入れることは自然で容易なことでした。

2つ目の経験は教会に通ってから数週間か数か月後に起こりました。私の父は腕の立つ音楽家で、ロサンゼルスフィルハーモニー管弦楽団のチェロ奏者でした。父は他に6つの楽器を演奏できました。それでいて才能あふれる画家でもありました。ある日、2人で会話していると不可知論者の父がこの質問を投げかけてきました。「ユダヤ人は神に選ばれた人と主張していて、人口に比べとてつもない数の人が芸術、哲学、科学、ビジネス分野において歴史的な影響を与えていることを見ると、彼らの主張はそこまで大それたものではないと納得せざるを得ない。もし末日聖徒イエス・キリスト教会の会員が神に選ばれし人であるなら、君の教会の会員から同様の成果や影響が見られないのは何故かね?」

私はユダヤ人は2000年以上も存在しているのに対し、末日聖徒イエス・キリスト教会は誕生してから150年も経ってないからではと答えました。父の考えや一般的に思われていることでは、神の真の宗教は、信じる人たちを愛や思いやりに溢れ、勤勉で、器の大きい人たち、別の言葉でいうと善良な人々を芸術、科学、スポーツ、ビジネス、政府、宗教において並外れた業績を上げる人たちに変える力があるはずだそうです。例えば、ユダヤ人ノーベル賞受賞者数は200人以上にのぼり、受賞者全体の20%を占めます。スペンサー・W・キンボール大管長も同じことを信じていたのだと思います。彼は1975年に「ブリガムヤング大学の2世紀」と題する演説で大胆な宣言とチャレンジをしました。

私は、この大学と教会教育システムから、演劇、文学、音楽、彫刻、絵画、科学、そしてあらゆる学問的才能において、輝く逸材たちが現れることを、希望をもって、また確信をもって期待しています。この大学は、このキャンパスを去った後もずっと世界中の人に感銘を与える人を鍛える場所になります。1

天の御父の愛

これら2つの経験から、愛に溢れる点のお父様は、交わした聖約を通して私たちにさらなる恵みを与えて下さっていると信じています。これらの聖約の考えられる目的は、私たちが望むなら「光り輝く星」となり「精錬する」存在となる力を与えることです。福音は、隣人の苦しみに対する共感を高めるようにするべきです。43年もの間、弟子として生活する中で、聖文研究や教会における召し、また他の方法で人に奉仕する中で神を知ろうと努め、このことに気づきました。4人の息子の父親であり、今は3人のかわいい男の子のおじいちゃんでもあります。私に大きな幸福をもたらしてくれた人生の選択を、私の子供と孫たちにもして欲しいと思っています。もし神様が私の御父であるならば、神が同じ希望と期待を持っていると考えるのは道理にかなっているのではないでしょうか?

偉大な神の性質」という総大会の説教で、ジェフリー・R・ホランド長老は神を知る方法について1つの重要な真理を教えました。

主イエス・キリストは、その生涯と務めの中で数々の偉大な目的を果たされましたが、主の使命の中に、見過ごしにされがちな重要な側面があります。当時主に従った人々も、現代のキリスト教徒の多くも、その大切な面をよく理解していません。ともあれ、救い主御自身はそれを繰り返し教え、強調されました。救い主は、特に贖いの苦しみと犠牲によって、また地上に来て語り行われたすべての事柄を通して、永遠の父なる神とはどのような御方なのか、御父が、あらゆる時代と国に住む御自身の子供たちを、どれほど深く愛しておられるのかを示してこられたのです。………御子は言葉と行いにより、御自分の父親であられる天の御父の本質を明らかにし、御父の本質を人が自分で理解できるよう努めておられたのです。

主がそうされた理由の少なくとも一つは、時代を問わず、人はだれでも神をさらに愛し、完全に従うようになるには、神についてよく知る必要があるからです。

ちなみに私はある計算をして、イエスは第3ニーファイでは180回、ヨハネによる福音書では113回イエスは神を「御父」と呼んでいることがわかりました。神会を表す他の称号よりもはるかに多いです。

預言者ジョセフ・スミスの信仰に関する講和とヨハネ書17章における救い主の偉大な執り成しの祈りを引用をした後、ホランド長老は神様の属性とその正しい理解を持つことは、私たちを永遠の命に導く信仰を働かせるために不可欠であると、強く述べました。故に、救い主は執り成しの祈りの中で、「永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります」と教えたのです。(ヨハネ17:3)ホランド長老は、モーセ7章とヤコブ5章に登場するゼノスのオリーブの木の喩えに関する聖句を取り上げて話しました。この2つのお話には落胆した天の御父が暴力をふるい、堕落した子供たちに涙を流す描写があります。3 神は私たちの御父であり、栄光に満ちた肉体と情熱を授けられ、その中には愛と共感という大きな感情が注がれており、私たちは皆、神の子供であると考えるのは、この上なく素晴らしいことです。

御父の共感は、御子の共感にも見られます。アルマはギデオンの民にイエスは自ら人の「あらゆる苦痛と苦難と試練を受けられる」と教えた点に私は非常に関心を持ちます(アルマ7:11-12)。それはイエスが「御自分の民を彼らの弱さに応じてどのように救うかを肉において知ることができるように」そして「悲しみの人で、病をしっていた」人になるためでした。(イザヤ53:3)弟子たちが救い主を倣い、人が抱える苦しみを知る必要性についてこれらの聖句は何を指示しているのでしょうか。 

興味深いことに、 ヤコブ5:49に登場するぶどう園の主人は、「行って果樹園の木を切り倒し、火の中に投げ込み、それらの木が果樹園の土地をふさがないようにしよう」と言って僕の共感性を試したようです。この言葉の後に、主人は以前に2回尋ねた質問をしました。「果樹園のためにこれ以上何ができたであろうか」。

その僕はこう歎願しました。「もうしばらくお待ちください」(ヤコブ 5:50)。

栽培されたものと野生のもの

オリーブの木の比喩は、作物遺伝学者である私にとって特に興味深いものです。私の優秀な同僚、学生、そして私はキヌアとオーツ麦という2つの作物とその野生の種の研究をしました。これらの作物はオリーブの木とは全く関係がありません。そしてこの3つの種は異なる半球に起源をもちます。しかし、キヌア、オーツ麦、そしてオリーブの木には2つの共通点があります。1つ目が侵入雑草を栽培化したこと。2つ目が、これら3つの種は元の雑草形態へ逆戻りする傾向があることです。

大きくて食用の果実を作る「栽培化された」オリーブは、栽培化されたオリーブの枝を野生のオリーブの台木に接ぎ木(園芸用語で穂木)することで生産されていることは興味深いです。野生のオリーブの台木の多様な遺伝子によって、栽培化された接ぎ穂を含む植物全体が、害虫、疫病、干ばつや猛烈な暑さといった環境ストレス要因に対する自然免疫を持つようになります。野生の台木の適応力は素晴らしく旺盛なため、定期的な剪定で丁寧に管理をしないと、台木から出てくる新芽が接ぎ穂の枝を締め付けて成長し、最終的に接ぎ穂が枯れて死んでしまいます。同様に、上部の接ぎ木を剪定しないと、木のこの部分が実をつけすぎで重くなり、台木に致命的な負担をかける可能性があります。

オリーブの木、オーツ麦、キヌアは、人間とその多様性の重要性を象徴する素晴らしい比喩となりえることは容易に想像できます。植物育種において、飼いならされた植物を栽培化または「エリート」と呼びます。一方で「野生植物」という表現も頻繁に使いますが、作物育種の材料となる植物はエキゾチックという言葉が好まれて使われます。

この比喩で材料となる植物は主人に従い、福音の「良い実」(第3ニーファイ14:17)をもたらす真の信者を象徴しています。親切さと思いやりをもって行動し、伝道と神殿活動に携わり、家庭を御霊から教わる愛で満たし、人に祝福をもたらす多くの業を行うことです。しかし、良い実は芸術的な傑作や世の中を変える科学的発見を象徴しているのではないでしょうか?

それとは対照に、野生(もしくはエキゾチック)な材料となる植物は気ままで、無責任で、暴力的で、「世に来るすべての人を照らすまことの光」である良心に従わない人たちを表しています (D&C93:2) 。それでも、果樹園の主人と僕は野生のオリーブの木には価値があると考えています。野生のオリーブの木にも経験という精錬された価値によって飼いならされ、栽培されたものになる可能性があります。なぜなら、彼らもまた神の子供だからです。

多様性を犠牲にすることのリスク

私のキャリアの早い段階で、植物飼育において遺伝的多様性の重要さを身をもって知る素晴らしい体験をしました。1985年の秋学期、私がBYUの4年生だったある日、ミネソタ大学ツインシティーズ校の植物育種プログラム大学院課程責任者であるドン・ラスムスッセン博士から勧誘の電話をもらい驚きました。彼はユタ州エフライム出身で、ユタ州立大学の卒業生でした。そしておそらく米国で最も成功した麦の育種者でもありました。ミネソタ大学に進学することになり、翌年の秋学期にはラムスッセン博士の自家受粉作物の育種コースに参加していました。

ラムスッセン博士の主な育種の研究テーマは、高い作物量かつ、当時最も深刻な2つの大麦病害に対して遺伝的抵抗を持つ、まれにみる品質の麦芽用大麦を生産することでした。複雑な麦芽特性と作物量を向上させるために、博士のプログラムは遺伝的多様性を犠牲にしていました。現在では麦芽品質で標準となっている博士の力作のすべてが、麦芽特性と作物量2つの遺伝形質に重きを置いていたため互いにとても似通っていました。その結果、博士と彼の同僚は発生頻度が低く、影響も軽微な病気にはほとんど注意を払いませんでした。

博士号を取得して卒業した翌年の1993年、中西部北部は数世紀ぶりに最も雨の多い春を経験しました。高い湿度と涼しく感じる気温は、あまり注目されない病気の1つに最適な条件を作り出しました。その病気はフザリウム赤カビ病です。フザリウム菌は作物量を減らすだけでなく、ある毒素を生成します。それはデオキシニバレノール、感染した穀物を肥料にした豚に与える影響から一般的には嘔吐毒素と呼ばれています。レッド川流域の春の穀物生産地域で、赤カビ病が大麦と小麦の主要な病気に連続してなった最初の年でした。1987年から2002年の米国農務省の統計によると、ノースダコタ州東部、ミネソタ州とサウスダコタ州の一部、またカナダマニトバ州に及ぶ地域では、大麦の生産量が劇的に減少しました。時を同じくして、モンタナ州、アイダホ州、ワシントン州などの乾燥した西部の州では、多くの生産者が飼料用から大麦麦芽の生産に切り替えました。30年近く経過した今でも、小麦と大麦の生産者は遺伝的多様性を持ち、この病気に抗体を持つ野生種の発見に尽力しています。大麦麦芽の生産の多くは西部の州に移転したようです。

蘇ったキヌア地域

私とジェフ・モーガン、デイビッド・ジェイビスからなるBYUの研究グループは、低緯度地域を含めた世界中で成長するキヌアを栽培する国際的な取り組みに関わっています。アフリカ、南アジア、ラテンアメリカの低緯度地域に住む農家は、その豊富なタンパク質と多くのミネラルを含むキヌアを栽培し、子供たちを養いたいと思っています。特に2005年ごろから始まったキヌアブームから、この傾向は顕著です。

アンデス山脈の古代文明によって栽培化されたキヌアは、非常に寒く、高い標高の環境でも実をつけるように生育されました。(主な栽培地域はアンデスの谷と高原に位置し、BYUキャンパスを見下ろすティンパゴノス山の頂上よりも数百フィート高いです。)しかし、チリ中央部の沿岸沿いでは別の種のキヌアが栽培されています。またその独特の葉の形状から「ガチョウ足」とも知られている雑草種はチリ、アルゼンチン、アメリカの低緯度地域に生息しています。この問題にとりかかる前、北米の雑草種は低地キヌアを栽培するための貴重な遺伝資源とは認識されていませんでした。

2003年初頭、キヌアプロジェクトのちょうど2年前に私は、ボリビアのアルティプラにある伝統的なキヌア生産地を訪れました。そこでは、多様性に富んだキヌア畑の一部が、現地の雑草であるヒユに侵食されており、両者はしばしば交雑しました。機械化が進んでいない貧しい自給自足農家は畑を歩き、黒い種をつけるキヌアを別々に採集してはホップにしてしばしば食べていました。その後2003年11月初頭に、デンバーの科学会議を1日休み、コロラド州南部のアラモサ周辺の主要な栽培地域を訪れ、米国でのキヌア生産の実態調査をしました。私が会ったコロラド州の生産者は落胆した様子で、3年おきに害虫や酷暑のため収穫量が0になると不満を漏らしていました。この2つの経験から、同僚と私は米国でのキヌア栽培の失敗を解決する策は、低地に適応したヒユ属の品種と交配させることかもしれないと考え始めました。

翌2004年には、ユタ州とアリゾナ州でヒユ属の品種から種子を収集し始めました。それからというもの、ヒナ属の品種のサンプルを多種多様な地域で集めました。ソノラ砂漠やモハべ砂漠、メキシコ湾沿岸、グレートプレーンズ、そして東のニューイングランドの海岸までの地域です。私たちは現在、栽培化されたキヌアと野生のヒユ属の品種を交配し、繁殖集団を生産しています。4大陸12か国でキヌア育種家とこの繁殖集団を共有しています。

2年前、生育期にコロラド州のキヌア産地を再び訪れましたが、畑の周辺にはヒユ科植物が生えていることに気が付きました。さらに、キヌア畑にはキヌアとヒユ科植物の中間種と思える植物が数多くありました。それらは私たちがペルーとボリビアで見慣れた植物でした。翌年、私たちは様々なヒユ科植物の特徴を示す15の植物をサンプリングし、教え子の1人であるジェイク・タイラー、そしてモーガン博士とジェービス博士によるDNA配列検査を経て、ヒユ科植物の遺伝子が広い範囲でこの集団に流入していることを確認しました。興味深いことに、2003年のキヌア災害から何年もたった後、実がなるかどうかという問題は解決しました。今は自然交配プロセスが原因の混在性が問題になりました。この遺伝子配合により、キヌアは雑草性の在来種である近縁種と遺伝的に混ざり合い、適応した作物へと変容しつつありました。言い換えれば、ヒユ科植物の遺伝子が文字通りコロラド州のキヌア農家を救ったのです。

アンデスキヌアは特定の環境に特化して育種されてきましたが、アンデスキヌアは、多倍体と呼ばれる太古に2つの異なる18本の染色体が組み合わさり、単一の36本の染色体を有する植物であるため、遺伝的にはさらに多様です。この優れた多様性のおかげもあり、36本の染色体の祖先種は2倍体の18本の染色体をもつ近縁種よりも活発さを持ち、広い範囲の生息域への侵入と定着ができました。だから、雑草ヒユとして南北アメリカの低地から高地に至る環境へと広がったのです。西半球に人類が移住し、狩猟場や、庭園、そして村用に土地を開墾した際に引き起こした不安定さに適応していました。人類がほうれん草風味のヒユ草を食べ始めてから、小さくても栄養価の高い黒い種子も食べ始めました。それからして少し、初期の先住農耕民族がより大きく、黒くない種子を持つ植物を選び、種をまき始めました。キヌアの栽培化はアンデス地域や、古代北アメリカの少なくとも2か所で始まりました。

キリストによって作り出される文化

遺伝的多様性が作物の生存にとって非常に重要だとしたら、人間にとってはどうでしょう?遺伝学者としての答えはもちろん「はい」ですが、文化的な側面から見た答えも「はい」です。BYUの公衆衛生学教授であるレン・ノビラ博士と共に、ダイバーシティ&インクルージョン委員会の共同議長を務めています。全国中で作成されたリーダーシップと組織に関する文献を入念に読みました。ハーバード・ビジネス・レビューなどの信頼のおける情報源からのデータを含め、民族や性別の多様性に富むリーダーシップ構造を持つ企業や組織は多様性の欠いた組織よりもパフォーマンスが一貫して上回っていることが示されています。2021年4月の総大会日曜午前の部会で、多様な文化や民族を披露したパレードを目にできたことは素晴らしかったです。多様な民族的また文化的バックグラウンドや経験の価値を、教会指導者が認識しているのは明らかでした。国際的に多様性が増していく教会の構成を指導者が反映していくとき、私たちはさらに上手くいくことでしょう。

ユダヤ人と私たち教会員の業績差について父の質問に戻ると、私たち2つの信者の間にある成果の違いは、多様性が原因という可能性があるのではないでしょうか。ユダヤ人の歴史を見ていると、民族的、宗教的に1つだった集団が近東の故郷を出ていくか追放され、東欧やイベリア、モロッコ、東地中海、南アラビアそしてエチオピアなど激動でしばしば危険を伴う多文化環境へと流れたことが分かります。これはユダヤ・ディアスポラと呼んでいます。この言葉は植物用語のディアスポラに起源があり、母植物からうまく独立するために必要な種子や関連する全ての植物組織を指します。これらの多様な環境の中で、アシュケナージ、セファルディ、ミズラチ、テマニ、ファラシャのユダヤ人文化が生まれました。

その歴史的経験を初期の末日聖徒イエス・キリスト教会と比べてみます。啓示によって、私たちは正反対のことをしました。アメリカ合衆国東部での迫害から逃れ、比較的人の少ない西部の荒れ野へ移りました。教会は世界各地に宣教師を送りましたが、最初の100年は改宗者をここシオンに戻し、同化を図りました。その結果、教会は何万人ものスカンディナビア人の改宗者をここユタに集め、1900年の国勢調査でユタ州の人口の16%を占めました。しかし、私がミネソタ州で6年間共にしたスウェーデン系とノルウェー系の子孫は、ユタ州の親戚よりも、文化を超えたルーツに強い興味を持っているように見えました。教会では神殿・家族歴史活動に力を入れているにも関わらず、実情はこうです。

実際にシオンに集まった結果の1つは、ユタ州とアイダホ州南東部といった山間西部地域で受け入れられている文化を教会の「公認」文化と混同し、多文化もしくは国際的なバックグラウンドを持つ改宗者がその文化に染まることを完全な改宗の証拠として期待しているのではないでしょうか。昨年10月の総大会で、七十人定員会のウィリアム・K・ジャクソン長老は普遍的な「キリストによって作り出される文化」について話しました。長老は次のように言いました。

「キリストによって作り出される文化」は永遠であるイエス・キリストの福音からもたらされ、私たちの存在に関する「理由」 「目的」 「死後の世界」について説明します。(包括的であって、排他的ではありません。)……… 

教会は「西洋」社会、あるいはアメリカ人の文化的現象とは程遠いものです。そして、常にそうであったように、国際的な教会です。………世界中の新会員が、増加の一途をたどるわたしたち家族に豊かさと多様性、そして奮起をもたらしています

45年前にキンボール大管長が宣言した預言者の希望、期待、チャレンジをBYUが達成し、「輝くスター」を「磨く主人役」になるために、民族、文化、言葉そして人生経験において様々な文化を持つアメリカ人や国際的な兄弟姉妹のもつ多様性を歓迎し、育んでいく必要があると私は思います。まさに救い主は、私たちに「唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知る」ことを招いている御方です。また、「みんなの者が一つとなるためであります。すなわち、彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであります」と祈りました(ヨハネ17:3、21)。さらに、私たちの天の御父はこの一体感を育み、多様な才能や能力を伸ばし、オリーブの木の喩えで果樹園の刈り込みと手入れを任された「少ない」召使いの1人に数えられるよう期待しておられると、私は信じています(ヤコブ5:70)。主はこの神聖な目的のために、ぶどう園だけでなく、私たち全員に期待を寄せています。

何年も前に、私の家のドアを叩いてくれたレビット長老とジェンキンス長老に心から感謝します。彼らが教えたイエス・キリストの福音が真実であると証します。イエス・キリストが贖う救い主であり、彼のそして私たちの愛に溢れた天の御父の特質を完璧に示された方だと信じています。イエス・キリストの みなによって、アーメン。

エリック・”リック”・N・イェレン

BYU生命科学部の副学長であり、植物・野生生物化学の教授でもあるエリック・N・イェレンは、2021年5月11日にこのディボーショナルを行いました。