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フォーラム

無知の力

ワイズマングループ社長

2016年1月6日

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必要に応じて翻訳を修正します。何かご提案があれば、speeches.jpn@byu.eduにご連絡ください。

私は今朝、キャンパスに着いた時少しパニックになりました。それは皆さんのせいではなく、キャンパスの入り口にある大きな看板のせいです。その看板を見るたびに、そこで両親に置き去りにされたことを思い出し、少しパニックになります。ここが、自分ひとりで物事を解決し、私は「本当にここにいる資格があるのか」考えるための場所でした。

しかし今日、その看板を見た時にパニックになったのは、知識を開拓し、知性を尊ぶこの大学で、知識の危険性と知性のマイナス面について話をしにきたからです。言い換えれば、次の質問を尋ねるためにきたのです。「人は賢くなりすぎることがあるでしょうか」?

皆さんはおそらく、次のことわざを聞いたことがあるでしょう。「知識は力なり」というものです。しかし、皆さんに尋ねたいです。現実には、知らない方が力はあるでしょうか?私は無知を弁護したいと思います。わたしがここでいう無知とは愚かさや教育の欠如のような無知ではなく、単に確実性の欠如という無知です。

私の父はよく「どうも思い上がってしまったね」と言っていました。それは、私たち子供が高慢になり、自分が賢いと思っていた時に言いました。知識と知性を得て、賢くなるにつれて私たちは少し高慢になる時がありませんか?自分が賢すぎて、自分のためにならないとか、他の人のためにならないと言うことがありませんか?

今日は2つの質問を中心に話したいと思います。どちらも私が何年もかけて研究し、執筆してきた課題です。1つ目は、リーダーシップに関する質問です。リーダーの知識はチームの知性にどんな影響を与えるでしょうか?それに、どうして一部のリーダーは周囲の人の知性を増幅しているように見えるのに、他のリーダーは人々の知性や活気を吸い取っているように見えるのでしょうか?

これが私たちの最初の質問です。2つ目は、学習とパフォーマンスに関する質問です。最初の質問から始めたいと思います。

かけ算型リーダー

BYUマリオットビジネススクールを卒業した時、私はオラクルと呼ばれる小さなソフトウェア会社に就職しました。当時、この会社は無名で、歯ブラシメーカーだと思っていたそうです。オラクルには非常にシンプルで明確な採用戦略がありました。それは、一流大学から優秀な学生のみを雇い、みんなを一緒に働かせて、どうなるかを見るだけでした。

当時、オラクルはBYUで求人活動をしていなかったし、私を勧誘しにくることもありませんでした。私は偶然オラクルを見つけて入社することが出来ました。自分が場違いだと感じたことはなく、ただそこで働き、色々な賢い人と一緒に働けたことは本当に運がよかったと思っていました。そこで、私は天才観察が得意になりました。

インテリジェンス、つまり英才そのものと賢さが成長と改革にとって非常に強力なツールであることが分かりましたが、同様にインテリジェンスが武器として使われていることも分かりました。賢い人は管理職に昇進する傾向があることは誰でも知っていますが、このようなリーダーの多くは、自分の賢さを超えて周囲の人の才能や能力を見ようとしません。彼らは賢いが、他の人の賢さを潰す傾向があります。組織内で他人のアイディアを潰してしまい、エネルギーを奪うのです。

例えば、私がオラクルで一緒に働いていたある役員は優秀で、社内のいくつかの部署を広範囲に管理していたにもかかわらず、業務の細部を細かく管理していました。彼は、製品部門から出てきたすべての書類を個人的に見直し、校正していました。彼独特の緑色のペンで色々なマークやたくさんの大文字「T」マークをあちこちに書いてから、書類が部下に突き返されました。書類の最後にはマークの意味の説明書きがあり、「T =テリブル(ダメ)」でした。人々がこの役員と話す時に、控えめに接して無難な対応をしているのを見ても、私は驚きませんでした。

しかし、私は別のタイプのリーダーがいることにも気づきました。それは組織内で知性を伝染させるように分かち合い、周囲の人々の知性を引き出すようなリーダーです。このようなリーダーが部屋に入ると、まるで人々の頭の中でひらめきの電球がともり、アイデアが流れ、問題がすぐ解決されるかのようでした。わたしはこのようなリーダーを「かけ算型リーダー」と呼び、もう一方のリーダーを「委縮型リーダー」と呼ぶようになりました。

皆さんは、なぜ自分はある人の周りでは聡明なのに、他の人の周りではうまく話せないのか疑問に思ったことはありませんか? 恋愛以外の話ですが。

わたしは、どうしてある指導者は周囲の人々の最も良いところを引き出せるかを研究し、その理由を見つけるのに専念しました。この研究で、これらのかけ算型リーダーと委縮型リーダーには類似点がありましたが、非常に異なる点も少し発見しました。委縮型リーダーは自分に見えていることや、知っていることに基づき指示を出しますが、かけ算型リーダーは機会を定義し、他の人々にも自分自身でその機会に向かって努力するように勧めました。委縮型リーダーは自分なしでは誰も何も解決することが出来ないという信念を持っていましたが、かけ算型リーダーは根本的に人々は賢く、彼らは物事を解決できる力があるという信念を持っていました。

この調査によると、委縮型リーダーは人々の知性の半分以下しか発揮させることができず、かけ算型リーダーは知性を全て発揮させることができていました。これらのかけ算型リーダーによって使用された知性の量の違いは2倍であり、この違いはリーダーが自分の知性をどのように使ったかによって生じました。

私が尊敬するかけ算型リーダーの一人は、驚異的なアスリートであり、スポーツフランチャイズのオーナーであり、ビジネスマンであるマジック・ジョンソンです。彼は若い頃に経験したことが自分の指導方法を形作ったと話しました。

彼は高校時代から、驚異的な才能のあるバスケットボール選手でした。マジックと呼ばれる以前の時代だったので本名のアービン・ジョンソン・ジュニアと呼ばれていた頃に、彼の高校のコーチは「アービン、きみはボールを受けるたびに…」

「パスをしなさい」と言ったと思うかもしれませんが、彼は「アービン、ボールを受けるたびにシュートしなさい」と指示しました。

彼はそうしました。そして彼は多くのポイントを獲得し、コーチと選手たちはすべての試合に勝ったのでとても喜んでいました。54ポイントで勝利した時には、アービンはそのうちの52ポイントを獲得しました。それでも、チームの他の選手の若者たちは、無敗のチームにいることを喜んでいました。

しかし、ある試合の後、選手たちが帰り始めた時、アービンは自分の息子たちがバスケをする姿を見にきたはずなのに、代わりにこのスーパースターのプレイだけを見ていた両親達の表情に気づきました。

そして彼は、「その時、まだ若かったけれども、チームの全員がより良いプレーヤーになるのを助けるために神から与えられた才能を使う決心をした」と言いました。

すべてのプレーヤのレベルを上げるという彼の能力が、マジックというニックネームが付けられる理由です。1

偶発的な委縮型リーダー

リーダーに関する研究で興味深い部分は、そこではありませんでした。わたしは最初、委縮型リーダーはナルシストで独裁的ないじめっ子だと思っていましたが、研究で分かったのは、ほとんどの委縮型リーダーは実際には悪い人ではないということでした。ほとんどの委縮型リーダーは実際には本当にいい人たちでした。学校、職場、そして家庭の中で知性を委縮させてしまう大半は、良い人で、自分が良く導いていると思い込んでいるリーダーたちでした。

「私は善意でやっているのに、指導する人、一緒に働く人、そして一緒に暮らす人をどのように委縮させることがあり得るのか」と思うかもしれません。

私はこのような人々を偶発的委縮型リーダーと呼び、いくつかの形で現れます。

恐らくその人は「アイデアマン」、つまり常にアイデアを吐き出し、自分のアイデアが他の人のアイデアを刺激すると考えている創造的な人です。しかし、実際は、人々が自分のアイディアを止め、リーダーのアイデアを追いかけるようになってしまいます。

あるいは、「自分はいつも人を助けるリーダー」、つまり常にいて、常に関わりあい、常に何か言いたいことがあり、そして、自分のエネルギーは伝染性があると考えているカリスマ的な存在かもしれません。

しかし、このようなリーダーには息がつまると人は言います。考えてみてください。こういうリーダーが自分に向かって廊下を歩いているのを見たらどうしますか?隠れたくなりますね。なぜなら彼らはガスのように膨張し、利用可能なすべてのスペースを占め、他の人のためにスペースをほとんど残さないからです。

または「救助者」はどうでしょう? このようなリーダーは、人々が苦しんだり、苦闘したり、間違いをしたり、失敗したりさせたくないので、助けの手を差し伸べる人です。しかし、結局それが人を無力にしてしまうのです。

または、他の人が自分を見ならい、従ってくれると仮定して、模範によって指導する「ペースセッター」。しかし、他の人は自分達がその模範に追いつけないと考えた時、これらのリーダーはフォロワーよりも多くの傍観者を生み出すことになります。

または、「緊急救助隊員」あるいは「楽観主義者」、つまり可能性だけを見て、問題を見落とす辣腕リーダー。

では、学習はどこで生まれるのでしょうか? それは苦闘の中で生まれます。

偉大なリーダーになるには、私たちの崇高な意図も、時によっては委縮効果をもたらす可能性があることを理解する必要があります。それは、ずっと後になるまで分からないかもしれません。

私は数年前、オラクル100と呼ばれる同窓会であの「T=テリブル」さんに再会しました。これは、オラクルの構築と会社の成長を支援したトップ100人のリーダーが集まるイベントでした。多くの同僚達とは「あの時忙しくても楽しかったね」などの昔話をしましたが、イベント中の休憩で、この元役員と話し、わたしは「あなたが築いたものを振り返って見るのは楽しいことでしょう」と言いました。

彼は私が全く予想しなかったことを言いました。彼は悲しげな表情でこう言いました。「いや、実は当時のことを思い浮かべるのは本当に辛いよ。私は人に厳しすぎたと思う。今になって、きびしくする必要がなかったことに気づいた。」

私たちの知識と能力は、周りの人々の能力を見えなくするだけでなく、新しい可能性も見えなくしてしまうこともあるのです。

ルーキー・スマート

二つ目の質問に目を向けたいと思います。プロフェッショナルとしての知識がどのように妨げになるでしょうか?

わたしがここにいる皆さんと同じくらいの年齢で、オラクルで働いていた時の話に戻ります。大学院を卒業して1年が経って、キャリアを始めてから1年か1年半ぐらいの時に社内研修部を管理するように頼まれました。 私にはまだ早いと思いましたが、「リズ、チームを作ってオラクルユニバーシティー(資格取得セミナー)を構築してくれ」と言われた時に、本当にこの新しい責任には未熟すぎると思いました。

この仕事は大人の仕事で、私はまだ大人ではないと感じました。オラクルユニバーシティーの運営を頼まれた唯一の理由は、わたしが最近大学にいたからというだけでした。しかし、誰も私の経験不足を気にしていなかったようです。

経験の少ない私がこの大きな仕事を成し遂げるためには、会社の役員のそばにいて、多くの質問をする必要がありました。私の戦略は役員の会議に出席し続け、多くのことを出来るだけ早く学ぶことでした。これを通して学んだことは、質問ばかりして参加すれば、いずれ答えを出せると期待されてしまうということです。持ち寄り食事会に手ぶらで来ると同じなのです。いずれは、「ねぇ、あなたは何か持ってきて貢献しないの?」と言われるのです。

ですから、私は進歩と結果を示さなければなりませんでした。私たちはかなり良い仕事の結果を出していましたが、かなり若いわたしがこれほど大きな仕事をすることについて、他の役員たちによくからかわれました。ある時、上司と私がビジネスイベントに出席したら、彼は私に地位の高そうなクライアントを紹介してくれました。上司が「こちらはリズです。彼女はオラクルユニバーシティーを運営しています」と言いました。

その男性はそれを聞くと、ひどくひるみました。上司のボブは彼の驚いた反応を見て、面白がり、「そうそう、リズはこの仕事にはまだ未熟なんです」と満面の笑みを浮かべて冗談を言いました。

これは私が以前学んだ経営管理の初歩レッスンみたいなものだと気づきました。上の立場にいると、弁護してくれる人があまりいないのです。自分を弁護するために私は「ボブさん、ぴったりの資格を持っている仕事をしたい人はいますか?それでは、学ぶことは何もないでしょう」と言ったのです。

その後、まるで上司が「よし、願いをかなえてあげよう」と言ったかのように、次の十数年間はどうしたらいいか分からない仕事をしました。それは約十数年間続きましたが、そのうちやがて私はこの仕事に適任していると感じ始めました。「私は実際にこの仕事のやり方を知っていて、他の会社がユニバーシティー(資格習得のトレーニングプログラム、セミナーなど)を運営するように雇ってくれるでしょう」と考え始めました。

ちょうどその頃、進歩が停滞し、行き詰まっているように感じ始めました。やがて、オラクルを離れることを決意し、やり方がわからない仕事を探し求めました。

これが私が経営研究者および作家になった理由です。私がオラクルを去った時、ディネシュという本当に素晴らしいヒンズー教徒の友人が「リズ、あなたは今年どんな疑問を持っていますか」と言いました。

私の最初の反応は、「1年も、ある疑問を持ち続けるのは本当に長い時間だ」ということでした。しかし、実際に疑問があると気づきました。その疑問は、知る必要があるかもしれないのに知らない物事を学ぶのを、自分の知識がどのように妨げるかということでした。

それは、管理職についていた私が快適な環境を離れ、低い立場に戻り、馴染みのない場所に身を置こうとしていたので、非常に関連性のある疑問でした。

それはまた、この時代にも当てはまると思います。なぜなら、テクノロジーによって私たちのビジネスや生活サイクルがすごい速さで回転するようになったので、同じ問題に2度直面することは殆どないからです。そして、最先端の技術はいつまでも最先端のままで止まってはいません。

たとえば、科学技術の分野で就職している人に関して、私の研究で興味深い統計がいくつか出ました。知識が増加する速度と衰退する速度に基づくと、 今持っている知識の15%しか5年後には役にたたないと計算しました。

それは50%ではありません。10%と20%の真ん中にある15%です。それに、私たちはその15%が一体どの知識なのかも分かりません。

数年前、私は研究チームと共に、約400の異なる作業シナリオを研究し、経験のある人が特定の任務にどのようにアプローチするか、経験のない人が同じ任務にどのようにアプローチするかを調べました。私たちは本当に興味深いことを幾つか見つけました。経験は明らかに多くの知恵と強みになりますが、多くの盲点もあります。ノウハウが蓄積され、パターンや開発への近道がわかるようになると、どうなるのでしょうか。

ブレント・W.・ウェッブ副学長にこれを読むように頼んでおきました。

「たんご の さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて わざと もじの じんばゅん を いかれえて あります。」(タイポグリセミアを用いた文字の表記を使っている)

よく出来ました、ウェッブ副学部長、ありがとうございました。

わたしたちが物事に慣れると、見ようとしていたことは見えても、時々、物事を知れば知るほど、周りの事があまり見えなくなるのです。

経験のない人が物事にどのようにアプローチするかを研究した時に分かったことを説明しましょう。私たちが経験なしで行動する時、いくつかの明らかな欠点があります。誰も経験のない外科医や歯科医に診てもらいたくないですし、初心者のバイオリンコンサートに行ったら、どんな経験になるか想像が付くでしょう。

しかし、私たちが何かに不慣れで、新人のあいだ、本当に難しくて重要なことをしている時、何かを初めてやる時、私たちはいくつかの非常に興味深く、予測可能な方法で行動します。これらの方法は簡単ですが、特に私たちが生きる現代では非常に強力なものです。私たちが新人の間、25歳であろうと65歳であろうと、知識に邪魔されずに行動するので、より多くの可能性を見て、より多くのことを探求します。ノウハウが不足しているので、自らそれを手に入れなければなりません。

私たちは新人の間、より良い質問をします。より注意を払います。もっと耳を傾けます。フィードバックを大切にします。フィードバックを求めます。私たちが専門知識なしで動く時、多くの人々の意見を聞き、他の人の専門知識を収集するので、より多くの専門知識を取り入れる傾向があります。大方の予想とは裏腹に、私たちが新人である時、大きくて大胆なリスクを取ろうとしません。実際は非常に慎重になります。しかし、新人は行動に出るのが素早いのです。新人は知的作業でイノベーションとスピードの両方で他の人を上回る傾向があります。新分野こそ、状況に応じる力を働かせることが出来ます。即興で、無駄がなく、機敏で、顧客の理解に努めます。なぜなら私たちは情報に不足している時こそ、機知を働かせるようになるからです。

挑戦は満足感をもたらす

また、難易度と満足度に興味深い関係があることも分かりました。私たちは1,000人以上を調査し、2つの質問をしました。「仕事でどれだけ挑戦を感じていますか?」 そして、「仕事に満足していますか?」

私たちは本当に興味深い線形相関を見つけました。難易度が上がるにつれて、満足度も上がりました。それは、私たちは物事に挑戦するために存在しているので、私たちにとって望ましい場所なのです。

多くの場合、最低限のことを知っている時に最高の状態にいます。なぜ挑戦は私たちのもっとも良い所を引き出す傾向があるのでしょうか?それは私たちが挑戦が好きだからだと結論付けるかもしれません。しかし、それはこの相関を説明するものではありません。

私が大学院でリー・ペリー教授のアシスタントとして働いていた頃に、たくさんの仕事をさせられた仕返しということで、今日は彼に皆さんの前である実験に参加してもらいたいと思います。私は彼に何をするかあまり説明していないので、完全に準備ができていないと思います。

ペリー学部長に挑戦者役をお願いします。これはかけ算型リーダーの役です。ペリー学部長、この輪ゴムをできるだけ伸ばしてください。

その前に少し待ってください。まずはちょっと説明をしておきます。これは魔法の輪ゴムではないので、大変な結末になる可能性があります。あなたや私、あるいはスタンドの前席に座っている人にとって危ないことになるかもしれません。

切らないようにできるだけ伸ばしてください。そして、そこでそのままにしてください。これが切れても代わりがあります。切れないようにできるだけ遠くまで引っ張ってください。

前にいる人たちは「フロア席にしない方がよかった」と思っているでしょうね。

さて、もう少し引っ張って下さい。はい、ここまででいいです。〔T.N. 二人とも輪ゴムの両端を持って、引っ張っています〕

今、ペリー学部長が諦めなければ、私は長くこの状態を維持することはできません。私にはどんな選択肢があるのでしょうか。私はゴムを手放すか、彼に近づくことができます。それは私が問題を解決し、知識を得て、解決し、そしてある挑戦を乗り超えることを表しています。

では、私のリーダーとして、ペリー学部長は何をするのでしょうか? 私がこの課題を克服し、この緊張を越えたら、良いリーダーは次に何をしますか?

はい、またストレッチさせるのです!ゴムを引いて張力状態に戻します。学部長、ありがとうございました。もう大丈夫です。よく出来ました。

これが新人ならではの秘訣です。とても強力なものです。私達はこの張力の状態が望ましくないので、最善を尽くさせられるのです。私たちの能力より取り組んでいる仕事の方が大きいという、この張力状態にいるのはいやなので、その状態に押され、前進させられるのです。ですから、手放すか、押し通すかのどちらかをします。

恐らくこの研究で学んだことは、安定した状態に長くとどまっていれば、私たちの内で一部が死んでしまいます。しかし、私たちが知識のある分野から、すなわち完全に出来る仕事を出て、なじみのない領域に足を踏み入れるとき、生きていると感じます。それは、私たちが神聖さを感じる時であり、ある意味、自分の生活の中で神の手が働いているのを見る時であると感じます。

私の研究はビジネスの世界で行われていますが、私たちの霊的な生活との類似点をどうしても見てしまいます。最近、日本神戸伝道部で奉仕しているBYUの学生である私の甥ディランの手紙に書いてあったことに感動しました。彼は二人の求道者の話をしました。ここにいる帰還宣教師にとってなじみのある話かもしれません。

ディランがある求道者と話した時、求道者は「正直なところ、私は人生の目的が分かりません」と言いました。

別の求道者と話した時、その方はテレビやインターネットを使って、自分が教会についてはもうほとんど全て知っていると考え込んで、知っていることを宣教師に分かち合い、教えたいと思っていました。

この若いワイズマン長老は、最初の求道者を教えたことについて、「自分の魂に火がついたかのように感じた」と書いていました。

もう一人の求道者に教えた経験では、行き詰まり、教えられず、御霊が完全に去っていたことを説明しました。彼は手紙で、第2ニーファイ9:28に言及しました。

「人は学識があると自分は賢いと思い、神の勧告に聞き従わない。 そして自分独りで分かると思って神の勧告を無視するので、彼らの知恵は愚かであって役に立たない。」

ディランは続けて、19歳の宣教師らしい単純な言葉で、「あの人みたいにならないでください」と書きました。

私たちが習得した知識に依存するようになると、私たちは簡単に世俗主義の餌食になり、世界を片目だけで見るようになります。それははっきり見えているように見えても、実際には範囲が限られているのです。色スペクトルの半分しか見えないようなものです。私たちは知識と信仰を一つにしない限り、はっきりと見えないのです。3ロバート・フロストの言葉を借りれば、「二つの目が視界を一つにするように」。

スタンフォード大学は、リーランドとジェーン・スタンフォードの若くして亡くなった一人息子を哀悼して建てられたことをご存知の方もいらっしゃると思います。彼の母親、偉大な先見の明のあるジェーン・ラスロップ・スタンフォードは、キャンパスの中心に教会を設計しました。教会の東翼廊の壁には、次の言葉が刻まれています。

知識は知性であり、その印象は心に浮かぶ。知恵とは、神の最高で最も神聖な性質によって促された心の望みであり、知識の源である。知恵は最高の霊的な知性で、生まれながらの人間は知識を通して知恵について何も知ることはない。

人は優れた知性を持ち得ても、その内にキリストの生命がかけらも宿らないことがある。

時に、私たちが無知の状態であるときこそ、神を知るようになると思います。この状態では発見をするのです。

知識の罠

では、どうすれば知識の罠から逃れることができるのでしょうか。わたしたちにできる簡単なことを4つご紹介します。

1.もっと質問をする

1つ目は、より多くの質問をすることです。リーダーとして私たちができる最も強力な転換の一つは、知っている場所から尋ねる場所へと移り、活動することです。

現在,夫とわたしには4人の子供がいます。しかし、約13年前、私たちには6歳、4歳、2歳の3人の子供がいました。私は職場で同僚のブライアンと子育ての大変さについて話し、共感し合っていました。そして私はこう言いました。「ブライアン、私は自分の家で少し独裁者になったような気がする。口うるさいお母さんになっているの。」

ブライアンは非常に驚いたようでした。「リズが口うるさいお母さんには見えないよ」

私は、「我が家の就寝時間を説明してあげるわ」と言いました。もし皆さんの家に6歳、4歳、2歳の子供達がいたら、想像がつくと思います。

「さあ、みんな、寝る時間よ。それを片付けて!こっちに行って!妹を助けてあげて!パジャマを着なさい!いやいやいや、タグが後ろよ!それは向きが逆!歯を磨いて!戻って!歯磨き粉を使って!本を読むよ!本を持って来て!いや、その本はダメ。大きな本も、5冊の本も、プリンセスの本もダメ。小さな本を持ってきなさい!オッケー!ストーリータイム完了。お祈りの時間よ!ベッドに入って。私のベッドじゃない。妹のベッドから出なさい!ベッドに戻って!寝なさい!」

怒鳴り声はありません。毎晩、絶え間なく命令ばかりです。

私が面白おかしく不満を言っていただけで、アドバイスが欲しかった訳ではないことに気が付かなかったブライアンは、とにかくアドバイスをくれました。彼はこう言いました。「リズ、今夜家に帰ったら、質問だけで子供達と話してみたら?」

そのアドバイスがとんでもないアイデアであること、それをしたら子供を寝かしつけるのに4時間もかかることについて話しました。しかし、その後、私はこの挑戦に興味をそそられ、この「極端な質問の挑戦」を試すことにしました。それを忠実にやってみようと思い、私の口からは質問しか出さないと決めました。

その晩、早速試しました。夕食も遊びも終わり、就寝時間になると「今何時?」と子供たちに聞きました。

「寝る時間?」と子供たちは答えました。

「最初に何をする? 片付ける? 誰がパジャマを着るのに手伝いが要る? 誰が最初に歯を磨くの? さて、ストーリーを選ぶのは誰の番かな? どの本を読む? お母さんとお父さんのどちらがストーリーを読むの?」

「お父さんを選んで、お父さんを選んで、お父さんを選んで!」と願っていました。

そして、「さて、ストーリータイムが終わったらどうするの?」と聞くともう子供達は知っていたので、「お祈り!」と答えました。

そして、私の最後の質問は、「さて、誰が寝る準備ができてるかな?」でした。

「わたし!私!私!私!私!」

そして、子供たちはベッドに入って、静かになって、私はただ廊下に残されて「子供達はいつからこういう事のやり方を知っていたのか」と疑問に思っていました。

私が質問をすると、他の人は答えを見つけるということを学びました。他人は私に何をすべきか言われる必要がないことを学びました。彼らに必要だったのは、私が気の利いた質問をすることでした。私たちは指令を減らして、質問をもっとすることができます。

2.知らないことを認める

20年前、ある会議に出席し、優れたリーダーとは何なのかという私の定義が大きく変化しました。私はオラクルで、社長、CTO、CFOの3人の最高幹部と一緒に働いていました。私たちは戦略サミットを開催し、一度に約30人の役員を招き、戦略について説明し、指示しました。第3回目のプログラムの終了後、その3人の役員とミーティングをしましたが、もらったフィードバックはあまり良くありませんでした。2回目や1回目も、フィードバックはあまり良くなかったのです。なぜなら、サミットに参加した役員たちが最高幹部、つまり私が一緒に座っていた3人の男性の戦略があまり明確ではないと言ったからです。そして、正直なところ、説得力は特にありませんでした。

私は彼らと一緒にフィードバックを確認していて、そして彼らは妙に無口になりました。その時,私はどうしたのでしょうか。私は問題点を理解していることを確認するためにもう一度フィードバックを説明しました。その時、CFOで私の上司であるジェフが「リズ、責めるのをやめてくれ」と言いました。

私は「ああ、(冗談で)ちょっと楽しかったのに」と残念に思っていると、

彼は続けて「もうすでに問題があることは理解しているから、責めなくてもいい。ただどうすればいいかわからないんだ」と言いました。

それで私は、彼らが具体的に何が分からなかったかを理解しようとしました。リーダーを育成すること?それについて私は心配していませんでした。しかし、社長とCTOはどちらも同意してうなずき、ジェフは続けて言いました。「私たちはこれまで250億ドル規模の会社を経営したことがないから、これほどグローバルで複雑な企業の戦略を設定する方法が分からないんだ。私たちにとっても新しいことだから。」

私がこの意味を考えていると、彼はまた、「しかし、君がこの解決を手伝ってくれるなら、役に立つ」と言いました。

物事が早く進む中で、誰もが即興で行動しているのです。上の立場の人でさえもそうです。特に地位の高い人はそうかもしれません。ですから、人に尊敬されているなら、自分が知らないことを認めてもいいのです。そうすることで組織に強力な力を生み出します。新入社員で下っ端の人は、リラックスしてください。知っているふりをする必要はありません。なぜなら、大学で学んだことのために雇われているのではないからです。自分の知性と、問題について考え、判断し、解決する能力のために雇われているのです。皆さんの価値は、皆さんが持ってくるノウハウから来るのではなく、蓄積するノウハウから来るのです。

3.メモを捨てる

ミシガン大学のスティーブン M. ロスビジネススクールの C.K.プラハラッド博士は、その当時、最も偉大な経営思想家であると考えられていました。また、彼のコースは人気があり、いつも満員だったので、学生が彼の講義に耳を傾けようとしてホールに並んで溢れかえり、消防法の収容人員の規定を上回るくらいでした。C.K.が終身教授だった時、妻のガヤトリは家の書斎のゴミ箱に彼の指導ノートをいくつか見つけました。彼女はこの大切な資料を救い出し、その夜 C.K.に返しました。彼は感謝しましたが「実はわざとそれを捨てたんだ。学生は毎学期、最善で新鮮な考えを聞く必要があるから」と認めました。

ですから、仕事で新人の新鮮さを必要とする場合は、使ったノートを捨てるべきかもしれません。とはいえ、これは教授やスタッフの人に言っています。学生たちはノートを捨てない方がいいかもしれません。(冗談)

4.他の人の才能を見ることを学ぶ

最後に、私たちが知っていることを見せる代わりに、他の人の才能を見るのを学ぶことができます。先ほど、夫と私には4人の子供がいると言いました。そのうちの3人はいわゆるアクティブな冒険心を持っていて、ジェットコースターが大好きで、橋から冷たい水に飛び込むことなどとても好きです。ですが、17歳の息子のクリスチャンは、他の3人とは異なります。他の子供を遥かに超えたレベルの冒険家なのです。彼は恐怖心を持たずに生まれた子です。彼のモットーは、「見て、登り、降りる方法は後で考える。考えて、作って、絶対にあと片付けをしない!」なのです。

ラリーと私は、彼を安全に保ち、彼に物事のやり方を伝え、少なくとも「25歳まで生きる」ための基本的なアドバイスを提供するモードになりがちです。正にそれは私たちのモットーになっています。ご想像の通り、このアドバイスのほとんどは彼には効き目がなく、跳ね返ってきます。しかし数年前、私は何か違うことをしようと決心しました。あれこれとアドバイスを出す代わりに、私は単に彼の才能を見ることに集中することにしたのです。

この子はどういう子なのかを皆さんにお見せしましょう。これは彼の作品の1つの秘密基地です。(秘密基地の写真が展示される)これ自体は問題ありません。問題はこれがどこにあるかです。この秘密基地は、私たちが発見する2ヶ月前から我が家の屋根にありました。

私は彼を違った見方で見ることを学びました。以前は、危険で破壊的な子供だと思っていましたが、今は想像力豊かな優秀で大胆な革新者、問題解決者、率先的で恐れを知らない宣教師として彼を見るようになりました。彼を違った視点から見るようになり、彼がユニークなことをした時の表情を見る時、幸せな気持ちになります。あの表情は母親にだけ見せてくれると思いたいものです。

最近の話では、私たちが帰宅してみると、息子の脛がぱっくり裂けてしまったことがわかりました。もちろん、私は心配し始めましたが、彼はズボンの裾をまくって、自分で傷を縫ったのを見せてくれました。

最初は「なんて怖いことを!」と思いましたが、それを堪え、「なんて賢いの!素晴らしい! 病院に行かなくて私とお父さんには安上りだわ!」と言いました。

結論

時間がなくなってきていますので、最後に私が伝えたいのは、皮肉なことに、自分が無知な時に私たちが最高の状態にあることが多いということです。最高のリーダーは全ての答えを持っていません。最高のリーダーは良い質問をし、その質問と自身の知性を使って周りの人々の才能を引き出します。

偉大な音楽家で思想家のボノは偉大な俳優ジョージ・クルーニーについて語った時、彼を1800年代の2人の英国首相のうちの2番目と比較しました。ボノはこう言いました。

「偉大なイギリスの首相であるウィリアム・ユーアート・グラッドストンと会った後、彼は世界で一番賢い人だと感じさせられると言われています。しかし、彼のライバルであるベンジャミン・ディズレーリと会った後、人々は自分が一番賢い人だと感じさせられました。」5

階層のトップにいるのは天才ではなく、天才メーカーであると認識すべきだと思います。私たちが未知の分野にいる時、何か困難で新しいことをしている時、挑戦を通して成長している時、私たちは最善を尽くす傾向があることを認識し理解する必要があります。そこは私たちが最高の仕事をするだけでなく、最大の喜びを見つける場所でもあるのです。

これから就職する人は、「自分が全ての資格を持っている仕事をしたい人はいるか?それではそこで学ぶことはない」と自分に言い聞かせましょう。

そうです、知識を身につけましょう。しかし、自己過信にならないようにしましょう。最高のリーダーは常に学び、永遠に新人です。最高のリーダーは、重要なのは知っていることではなく、どれだけ速く学べるかだと理解しています。

「神の栄光は英知である」(教義と聖約93:36)が、知らないまま、追求するプロセスの中で、真理を見いだすのです。そのプロセスの中で、私たちは神の真の栄光を見つけるのです。

ありがとうございました。

リズ・ワイズマン

このフォーラムが行われたとき、リズ・ワイズマンはワイズマングループの社長として勤めていました。