ブリガム・ヤング大学
ディボーショナル

2016年1月5日

結婚式のケーキのたとえ

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不確実さの中で行動することを選び、信仰の一歩を踏み出して「ケーキを作る」と決心するとき、大切なのはケーキそのものではありません。大切なのは、そもそもケーキを作ろうとした勇気と信仰なのです。重要なのは、そこで得られる成長です。

私はこのお話を「結婚式のケーキのたとえ」と題しました。昔々、二人の若い女性がいました。二人はBYUの学生で、友人でありルームメイトでもありました。ある日、その二人は別のルームメイトから、結婚式のケーキを作ってほしいと頼まれました。

「これはなかなか大変なお願いだわ」と、二人は思いました。というのも、結婚式のケーキを作るのは簡単ではないからです。まず、正しい材料をそろえなければなりません。レシピどおりに作る方法も知らなければなりません。焼き上がったケーキを型から台に移すときに、崩れてしまわないようにする技術も必要です。さらに、ケーキが崩れないように各段をきちんと組み立て、支える方法も知らなければなりません。表面が美しくなめらかになるようにアイシングを施す必要もあります。飾り用のアイシングも、硬すぎず柔らかすぎず、ちょうどよい固さに仕上げなければなりません。さまざまなデザインを作るためには、異なる口金の使い方も知っておく必要があります。このように大変なことばかりですが、正しく焼き上げ、組み立て、アイシングをし、きれいに飾ることができたときには、とても大きな達成感が得られます。では、その続きのお話をしましょう。[ビデオが上映されました。youtube.com/watch?v=9BSDKbI5Ixg.を参照]

この二人の若い女性は、その挑戦に見事に向き合いました。ケーキを作るための準備は整っていました。経験と技術を身につけるためのクラスも受けていましたし、祖母から受け継いだ確かなレシピもありました。必要な材料もすべてそろっていました。しかし何よりも大切だったのは、自分たちならやり遂げられるという勇気と信仰を持っていたことです。そこで二人は、一歩踏み出しました。途中で気が散ったり、物事が思いどおりにいかなくなったりしても、正しい視点を失いませんでした。落胆することなく、その状況の中で最善を尽くしました。

時に、皆さんの人生――BYUでの生活も含めて――は、結婚式のケーキを作ることに似ています。これまで学んできたことを実際に生かす機会が数多く与えられるでしょう。行動に移る備えもできています。成功に必要な知識や訓練も身についています。必要な「材料」もすでに手にしています。しかし、それでも成功が保証されているわけではありません。そのようなとき、信仰をもって前に進むのか、それとも失敗への恐れにとらわれて立ち止まってしまうのか――それを決めるのは、皆さん自身なのです。結果がはっきりと保証されていないときにも前に進めるかどうか――それは人生における大きな試しの一つです。

BYUで学士号と修士号を取得した友人がいます。彼女は自分の教育や才能、スキルを仕事に生かし、成功を収めてきました。しかし同時に、人生をさらに充実させたいという思いも抱いていました。さまざまな分野に興味を持っているのですが、特に関心を寄せているのが法律です。そのため、ロースクールへの進学を考えていました。私は、彼女ならきっと素晴らしい成果を上げるだろうと思っています。ロースクールに進むために必要なのは、LSAT(ロースクール入学試験)の勉強をして受験することです。(こうして簡単に言えるのは、私がその試験を受ける立場ではないからですが。)それ以外の点では、彼女は十分に準備ができており、入学する資格も備えています。あとは出願するだけなのです。

ある日、ロースクールへの準備がどうなっているのか彼女に尋ねると、「結局、進学はしないことにしたの」と言いました。理由を聞くと、「そのことについて祈ってみたけれど、答えを得られなかった」と言うのです。しかし、それは「進むべきではない」という意味ではありません。リチャード・G・スコット長老は、祈りの答えを受けることについて次のように教えています。

実際、御父は三つの方法のうちから一つの方法でこたえてくださいます。一つ目の方法として、自分の決断が正しいという確認を与える平安と慰め、確信を感じることができます。第二に、不安な思いや思考の停滞(思いの鈍さ)を感じ、それによって自分の選択が誤っていることが示されることがあります。または三つ目ですが、これは難しい方法です。答えを感じられないという方法です。「祈りという天与の賜物を用いる」『リアホナ』2007年5月

私の友人は、この三番目の答えを経験していました。しばらく考えた末、彼女は信仰の一歩を踏み出し、LSATを受験するという計画を続け、その後どのように感じるかを見てみることにしました。もしかすると、その試験の結果が答えとなるかもしれないと考えたのです。結婚式のケーキを作っていた二人と同じように、彼女はすでにすべての材料を持っていました。あとは行動し、天の御父を信頼するだけだったのです。

私たちも、祈った後でさえ、前に進むことをためらうことがあります。期待していた形の答えが得られないと感じることがあるからです。そのとき、「もし正しい選択でなかったらどうしよう」「うまくいかなかったらどうしよう」と自問するかもしれません。スコット長老は、さらに次のように助言しています。

「入念に準備し、熱心に祈り、答えを受けるのに妥当なだけの間待ったのに、それでもこたえを感じられない場合、皆さんはどうしますか。そのような場合、それは〔神の〕信頼の証であるため、感謝した方がよいかもしれません。ふさわしい生活を送っており、その選択が救い主の教えと一致していて、そして行動を起こさなければならないのであれば、信頼を胸に前進してください。御霊の促しに敏感であれば、適切な時に必ず次のいずれかが起こります。すなわち、思いの停滞が訪れて誤った選択であることが示されるか、あるいは平安や胸に燃えるような思いを感じて、その選択が正しいことが確認されるのです。義にかなった生活を送り、信頼をもって行動しているならば、誤った選択をした場合でも、神は警告なしにそのまま進ませてしまうことは決してありません。」(「祈りという天よりの賜物」)

私たちが、正しい手順を踏んできたと確信し、与えられたレシピに従って準備を整えたうえで、信仰をもって行動する決意をしたならば、あとは最終的な結果にとらわれすぎることなく、前に進み、その過程を大切にする必要があります。結婚式のケーキのときのように、物事が思いどおりにいかず、混乱することもあるでしょう。しかし、正しい視点を保つなら、信仰をもって前進することで得られる達成感を味わうことができるのです。

不確実さの中にあっても前に進む必要について、トーマス・S・モンソン大管長は次のように語っています。

[わたしたちは]、霊において探究者でなければなりません。. . .

この探究の精神には、困難に勇気を持って立ち向かい、失望にあっても明るさを失わず、成功においては謙遜である力を養うことが含まれます。

‘神が人類に与えてくださったのは未完成の世界でした。それはわたしたちが自分たちのさまざまな技術を用いて物事を成し遂げていくようにするためです。神は雲の中に電気を、また地中に石油を備えてくださいました。しかし、御自分から、川に橋をかけたり、森の木を切り出したり、町を築いたりはされませんでした。神がわたしたちに与えられたのは、元になる材料を用いて努力する機会であり、完成品がもたらす安楽さではありません。絵を描き、歌を歌い、問題を解決するように求められているのです。それによってわたしたちは、創造の喜びとすばらしさを知ることができます。大管長会メッセージ「幸福な人生の探」『聖徒の道』1988年8月号

神は、わたしたち一人一人に創造する機会を与えてくださいます。それは、その日の栄に行く過程において喜びを見いだすことを学ぶためです。結果が期待どおりにならないこともありますが、その過程そのものが大切なのです。わたしが機会を「結婚式のケーキの機会」と考えるのが好きな理由の一つは、結婚式のケーキ作りが難しいこともある一方で、たとえ披露宴の中心として多くの人の目に触れるものであったとしても、実はケーキそのものが最も重要なのではないからです。最も大切なのは、結婚する二人の幸せです。そしてその幸せは、ケーキによって決まるものではありません。同じように、不確実さの中で行動することを選び、信仰の一歩を踏み出して「ケーキを作る」と決心するとき、大切なのはケーキそのものではありません。大切なのは、そもそもケーキを作ろうとした勇気と信仰なのです。重要なのは、そこで得られる成長です。

今年、皆さん一人一人の前に現れる「結婚式のケーキの機会」に気づくことができますように。そのようなときに信仰をもって前に進むなら、思いもよらなかった形で、皆さんの人生が大いに祝福されることを約束します。このことが実現しますように、イエス・キリストの御名により祈ります。アーメン。

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BYU学長ケヴィン・J・ワーゼンの妻ペギー・S・ワーゼンが 2016年1月5日にこのディボーショナルを行いました。