皆さんが生活のあらゆる面でキリストのもとに来るとき、皆さんは信仰強く、献身的で、知的能力に優れ、霊的な識別能力の備わった人となるでしょう。
姉妹と兄弟の皆さん。皆さんのキリストへの信仰と、主の御名の証人となる勇気、そしてイエス・キリストの真の弟子になれるように、自らを、そして他の人々を助け、また聖なる神殿の祝福を受けるために皆さんが行っている努力の全てに感謝しています。皆さんは美しいのです。そして愛されているのです。
大学のキャンパスにいるときには、たいていの場合、私が大学生だった頃を思い出します。私はハワイの高校を卒業しました。高校3年生のころ、私の友人の大半は大学に通う計画を立てていました。家族の中で大学に通った人がいなかった私にとって、それは今までになかった新しいの選択肢でした。そこで、高校のカウンセラーに大学に進学したいと伝えました。彼女は驚いてから、すこしクスっと、いや、かなり笑いました。彼女は優しく、大学進学以外の選択肢を勧めてきました。私はがっかりしてオフィスを後にしました。でも諦めてはいませんでした。
それから、私は高校のバスケットボールのコーチに会い、大学へ進学するためにどのような選択肢があるか尋ねました。コーチは正直にスポーツ奨学金しか大学に通う方法はないと言いました。そこで、私の高校生アスリート時代の成績に関する記事を集め、いくつかの大学に手紙を書きました。Facebook、Instagram、 TikTok、E-mailは無い時代のことです。不合格通知を沢山受け取りましたし、返事すら出さない大学も多くありました。しかし幸いなことに、BYUハワイのバスケットボール選手として一部の奨学金を受け取ることができました。
新学期が始まる2週間ほど前、履修登録をするためにアカデミックアドバイザーに会いました。アドバイザーは、BYUハワイは教会が支援する大学であるため、宗教のクラスが必修科目だと私に伝えました。当時の私は、イスラム教の国に属する敬虔なイスラム教徒でした。私はイエス・キリストの生涯と務めをより理解したいと伝えました。それを受け、私は新約聖書のクラスを履修するように勧められました。
また、会話の中で、アドバイザーは私の高校の成績書を調べて、驚きました。高校の成績が原因で、私は学業成績の保留観察を受けること、BYUハワイの最初の2学期でGPAがそれぞれ3.0を下回ると、スポーツ奨学金を受けられなくなるだろうと言いました。私はアドバイザーにACTで35点を取ったと言いました。すると彼女は驚きました。私は、「本当です。最初は17点、その次は18点でした。」と言いました。本当のことを申しますと、ACTは取っていませんでした。1
さて、それからは必要な成績を修め、NCAAディビジョン1のバスケットリーグでプレーをし、アリゾナ州立大学で博士号を取得し、公認会計士およびアラバマ大学における会計学の准教授としてキャリアを積みました。イエス・キリストへの愛と信仰、決意、勤勉、そして多くの助けを受けて、多くの良いことを成し遂げることができるのです。
博士号を取得してから、BYUマリオット・ビジネススクールで会計学の准教授として教鞭を取りました。妻のステファニーと私はBYUで学んだことは一度もなかったので、ここでの生活や学生が抱える試練について心から知りたいと思っていました。BYUで教鞭を取り始めて最初の6ヶ月は、ワイビューパークの結婚した学生向けの寮に住んでいました。私たちは4人の幼い子供たちを連れて、狭くとも居心地の良い3つの寝室付きの部屋に移りました。そのアパートは150平方メートルにも満たないものでした。
毎朝、仕事のためターナービルディングまで歩いていました。学生に会い、彼らの抱えている試練や、BYUというコミュニティーの独自性を学ぶ良い機会でした。その後8年間、教職員として私は、BYUの学生の善良さと決意と勇気に感謝するようになりました。皆さんが生活のあらゆる面でキリストのもとに来るとき、皆さんは信仰強く、献身的で、知的能力に優れ、霊的な識別能力の備わった人となるでしょう。
これらの経験やその他の経験から、私たちがキリストのもとに来るとき、霊感と霊的な強さを与えるために、主はあるパターンに従って教えていることに気が付きました。救い主は永遠の真理を教え、行動に移すよう招き、主の招きを成就するために信仰を持って行動する人たちに祝福を約束しています。 2
モルモン書の預言者リーハイは命の木の示現を家族に話した時に、この原則の模範を示しました。リーハイの二人の息子であるレーマンとレムエルはこの示現に関する象徴について疑問を抱いていました。
レーマンとレムエルは、弟のニーファイに尋ねました。「あの木の所に通じている、父が見た鉄の棒は何を意味するのか」。
聖霊の導きのもと、ニーファイはキリストの教え方の模範を示しました。ニーファイは永遠の真理を教え、約束された祝福を伴う招きを行うことで彼らに答えました。
わたしは兄たちに、 [鉄の棒]は神の言葉であって、だれでもそれにしっかりつかまる者は、決して滅びることがなく、また敵対する者の誘惑や火の矢も、彼らを打ち破って盲目とし、滅びに至らせることはないと言った。
キリストは御自身の僕であるニーファイを通して、神の言葉に耳を傾け、固く掴まるようにと招いておられます。この招きを受け入れる時に、私たちは決して滅びることも、サタンの誘惑や火の矢が私たちを打ち負かすことも、滅びに至らせることもあり得ないと主は約束しておられます。それは、イエス・キリストと彼の犠牲と死、そして復活を通して、私たちは真の幸福を見出すという約束に従って行動するという招きです。
主が約束された祝福を受けるために、イエス・キリストの贖罪に関する永遠の真理を理解し、主の招きを成就させようと信仰を持って行動するとき、聖霊が私たち一人一人を照らしてくださるように祈ります。
永遠の真理
キリストの人生における最後の数時間について考えてみてください。それは過ぎ越し祭りの季節であり、イスラエル人がエジプトの奴隷状態から脱出したことを祝うユダヤ教の重要な祭りです。イエスが聖餐式を定めたのもこの時期でした。聖典にはこう記されています。
イエスはパンを取り、それを祝福して裂き、弟子たちに与えて言われた。それを 取って食べなさい。
見よ、これが、わたしの体の記念としてあなたがたに行ってもらいたいことである。これを行う度に、あなたがたは、わたしがあなたがたとともにいたこの時を思い起こすであろう。 ‘
また、イエスが杯を取り、感謝して彼らに与えられると、一同はその杯から飲んだ。
イエスはまた言われた。これは、多くの人のために流されるわたしの血と、わたしがあなたがたに与える新しい聖約を記念するものである。 わたしについて、あなたがたは全世界に証しなければならない。
そして、この儀式を行う度に、あなたがたは、わたしが自分の務めの最後の時にあなたがたとともにおり、あなたがたとともにこの杯から飲んだ、この時を思い起こすであろう。5
イエスは愛する使徒たちに聖餐の大切さと、神聖な儀式を通して私たちはキリストとつながり、主も私たちとつながることを教えられました。聖餐を行った後、イエスは次の言葉をペテロに言いました。
シモン、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。
しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい。6
イエス・キリストは、わたしたちの「父に対するあなたがたの弁護者」です。7 そして、主を信じる信仰がなくならないように、皆さんや私のために主は絶えず祈っておられると信じています。
聖餐の執行とキリストのペテロへの勧告について記述したのち、新約聖書はイエスが使徒たちともにオリブ山とオリーブを絞る場所であるゲツセマネまで歩かれたことを記録しています。ルカによる福音書では、次のように書かれています。
イエスは出て、いつものようにオリブ山に行かれると、弟子たちも従って行った。
いつもの場所に着いてから、彼らに言われた、「誘惑に陥らないように祈りなさい」。
そしてご自分は、石を投げてとどくほど離れたところへ退き、ひざまずいて、祈って言われた、
姉妹と兄弟の皆さん、イエスが弟子に誘惑に打ち勝てるように指示をなさったこと、「石を投げてとどくほど離れたところ」つまり27メートルから36メートルほど離れた場所へ退いた様子を心に浮かべてください。主はそれから跪いて祈られました、「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」と仰いました。9この瞬間、イエスは御自身の身にこの世の罪と悲しみを受けられることを御存じでした。そのうえで、主は「父よ、人類の為にこの代償を払う他の方法はないのでしょうかしかし、わたしの思いではなく、父のみこころが成るように」とお尋ねになられたのかもしれません。
そのとき、御使が天からあらわれてイエスを力づけた。
イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。10
救い主は、私たちのあらゆる罪と体の弱さの痛み、愛する人を失った悲しみ、落胆、不安、疎外され、迫害され、忘れられ、不公平さに直面した人の気持ちを感じられました。私たちが感じる痛みや苦悩、落胆の原因であるこの世での経験の全てを、キリストはこの瞬間に感じられたのです。その苦しみはあまりにも激しく、あらゆる毛穴から血が流れるほどでした。11
さて、皆さんはこの話の続きを知っているでしょう。ユダはイエスに口づけをして裏切りました。イエスは捕らえられ打たれ、いばらの冠を頭にかぶせられました。主は裁判を受け、死刑を宣告されました。主は、カルバリとして知られる処刑場へ十字架の横木を運ぶことを余儀なくされました。刑の執行を任された兵たちは主の手と足に釘を打ち付けました。イエスはさらなる苦痛を味わいました。そしてついに、イエスは御自身の命をささげられたことにより、皆さんや私がこの人生をいっそう豊かに享受し、皆さんや私が神とともに永遠に住む備えをできるようにされたのです。「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」。12
最初の復活祭の日曜日の朝、イエス・キリストは復活されました。その体は御自身の霊と再び一つとなり、栄光に満ちた完全な体となり、主は弟子と他の人々を招いて言いました。
立ってわたしのもとに来て、あなたがたの手をわたしのわきに差し入れ、またわたしの両手と両足の釘の跡に触れて、わたしがイスラエルの神であり、全知の神であること、そして世の罪のために殺されたことを知りなさい。13
イエス・キリストはさらに言いました。
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によってこの世が、救われるためである。
彼を信じる者は、さばかれない。 14
イエス・キリストの贖いは永遠の真理です。
招きと約束されている祝福
イエスからの招きはシンプルであり、約束された祝福は確かなものです。主はこう宣言されています。
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。15
主の招きに私たちは気づいているのでしょうか?主が約束された祝福から得られる力を私たちは認識しているでしょうか?休みを与えるという約束をもって、主は御自身のもとに来るように私たちを招いておられます。ラッセル・M・ネルソン大管長はこの休みが具体的にどのようなものか説明しておられます。それは「安らぎと平安」です。16 キリストは、私たちがキリスト御自身のくびきを負い、主について学ぶよう招いておられます。主は柔和で心がへりくだった方だからです。繰り返しますが、これは約束された祝福なのです。休みを見出すでしょう。なぜなら主の「くびきは負いやすく」、そして主の「荷は軽い」からです。
では、どうすればよいのでしょうか。私たちはどのようにしてキリストのもとに来て、主のくびきと休みを受けるのでしょうか?より完全に主のもとへ行くために私たちができる3つのことを紹介しましょう。
1儀式を受け、聖約を交わし守る
まず、主の儀式を受け、聖約を交わし、守るとき、私たちはイエス・キリストのもとに来ます。ネルソン大管長は次のように仰いました。
バプテスマフォントや神殿で聖約を交わしてそれを守る人は皆、イエス・キリストの力にさらにあずかることができるようになります。このすばらしい真理について考えてみてください。
神と交わした聖約を守ることで得られる報いとは天の力であり、それは、試練や誘惑、愛する人を失った悲しみにもっとよく耐えられるようにわたしたちを強めてくれます。
2013年1月、私はアラバマ州でアフリカ系アメリカ人初のステーク会長として奉仕する召しを受けました。私たち家族は14ヶ月前にアラバマ州に引っ越したばかりだったので、3885平方キロメートル以上の広さがあり、12の集会場が点在するステークにまだ詳しくありませんでした。そこで私は12カ所の集会場をそれぞれ訪問し、会員と私がお互いに知り合う必要があると感じました。
初めて集会場を訪れたとき、聖餐会の後にある兄弟に会ってくれないかと誘いを受けました。その兄弟と会うと、兄弟はポケットに手を入れて、私に神殿推薦状を手渡しました。その兄弟は神殿の儀式執行者としての奉仕していました。その兄弟は神殿推薦状を私に手渡すと同時に、有色人種の人をステーク会長として支持も、支援することは出来ないと説明しました。また、兄弟は、私が私とは人種の違うステファニーを妻として迎えたことも問題だと話しました。
この兄弟は、自身が抱える問題や悩みについて誠実かつ正直に向き合っていました。兄弟は、人種差別という病がキリストのもとに来る能力の妨げになっていることを重々承知していました。主の宮で礼拝し、儀式を受け、主と聖約を交わし守るのに相応しくないと感じていました。私は、その兄弟に神殿推薦状を返し、私の人種と結婚が原因で私と彼に問題があるのなら、主の宮で神を礼拝する回数を減らすのではなく、より頻繁にする必要があると伝えました。
神殿での礼拝は、あらゆる種の神の創造物の美しさを味わう助けとなります。神殿は、私たちが自分自身や住む地域、そして国を超えて物事を見る助けとなります。真の意味で神殿の儀式と聖約を理解するにつれて、主が多様性を愛しておられるということが分かるようになります。主は御業を終えられたときにこのように仰いました。「神であるわたしは、自分が造ったすべてのものを見たところ、見よ、わたしが造ったすべてのものは非常に良かった」。18 主は多様性を愛しておられます。主は私と皆さんを愛しておられます。私たちが神の家族の一員であることを知って欲しいと望んでおられます。神の子供です。まさに、私たちは、兄弟であり姉妹なのです。
D・トッド・クリストファーソン長老は次のように仰っています。
わたしたちは、末日のキリストの教会に人種差別や部族の偏見、その他の分裂が存在することを認めることができません。主はわたしたちに次のように命じておられます。’一つとなりなさい。 もしもあなたがたが一つでなければ、あなたがたはわたしのものではない。’わたしたちは、偏見や差別を教会や家庭、そして何よりも心の中から根こそぎ取り去るよう熱心に取り組む必要があります。………
帰属意識は、わたしたちの肉体的、精神的、霊的な幸福にとって重要です。19
後に、私はこの悩みを抱える兄弟に、私との間に問題があるのであれば、主とともに取り組む必要のある問題だと伝えました。私の見た目には何の問題もないことを知ってください。私の見た目を含めて全てが好きです。さらに言えば、ステファニーの見た目も全く問題はありません。彼女は比べようがないほど美しいです。それから、もしこの兄弟が良ければ、私は兄弟が抱える問題を克服できるよう喜んで助けたいと伝えました。変わりたいと思っていることが感じ取れました。この兄弟は謙遜で、私と同じようにキリストを愛していました。
そのとき、私はステーク会長としてステファニーを連れて、その兄弟の自宅で彼の家族と一緒に夕食の時間をもてないか尋ねました。
2ヶ月後、私は再びその地域を訪れ、その兄弟の家で彼の家族と一緒に夕食を共にしました。それからの5年間で、友情が芽生えました。そして、私がステーク会長の召しを解任されたとき、愛と兄弟愛の気持ちをもって互いに抱きしめあいました。私たちは2人とも、神権の儀式から、また天の御父とその御子との聖約を守り続けることで得られる霊的な力を理解するようになりました。ネルソン大管長は宣言しました、「儀式と聖約を通して救い主とともにくびきを負うということは、主の力と贖いの力にあずかることができるようになるということなのです」。20
キリストのもとに来るには、どうすればよいのでしょうか。主の儀式を受け、主と聖約を交わし守るとき、私たちは主と共にくびきを負うことでしょう。
2学習者に積極的になる
その次に、熱心に学ぶようになるとき、私たちはキリストのもとに来ます。ネルソン大管長は私たち一人一人に次のように勧めています。
聖文に没頭して、キリストの使命と務めについて理解を深めてください。キリストの教義を知り、あなたの生活に及ぶその力を理解するようにしてください。イエス・キリストの贖罪があなたに適用するという真理を自分のものとしてください。………
救い主について学べば学ぶほど、主の憐れみ、主の無限の愛、主の力づけと癒し、主の贖いの力を信頼するのが容易になります。21
聖文、特にイエス・キリストについてのもう1つの証であるモルモン書を研究するとき、私たちは熱心に学ぶようになります。ネルソン大管長はモルモン書についての想いを次のように話しています。
モルモン書について考えると、力という言葉が思い浮かびます。モルモン書の真理には人の心を癒し、慰め、回復し、救い、力づけ、元気づけ、喜びで満たす力があるのです。
………毎日祈りの気持ちでモルモン書を研究するならば、皆さんは毎日、さらに良い決断を下すようになるでしょう。22
モルモン書を含む聖文を熱心に研究するとき、私たちはキリストのもとに来るよう努めることの招きとその約束の素晴らしさを知るでしょう。
3.個人に仕える
最後に、愛し、分かち合い、招くというミニスタリングの原則を用いて、ミニスタリングを行うとき、私たちはキリストのもとに来ます。23 最も大切な第一の戒めは、心を尽くし、勢力と思いと力を尽くして、主なる神を愛するということです。24 主の戒めを守り、心を尽くして神を愛したいという望みを増やすとき、主は隣人と自分自身を愛する能力をより一層深めてくださるでしょう。ミニスタリングの務めを果たそうとするとき、私たちが成すことの一番の動機は、神への愛であるべきです。私たちは愛をもって互いに助け、育むときに、私たちの時間を、経験を、持っているものを、弱さを分かち合っているのです。弱さを分かち合うことで、団結力が育まれます。人生の問題や試練、弱さ、愛するものを失った悲しみ、失望からは誰も逃れることはできません。
愛をもってミニスタリングを行い、思いと経験と持ち物を分かち合い、仕える人の求めに応じるとき、来て見るように、来て助けるように、来て一員となるように招いているのです。私たちが感じていることを愛する人に感じてもらい、私たちが聖霊を通して知っていることを知ってもらうことができます。
2022年7月、伝道部指導者としての奉仕を終えて、ステファニーと私はイギリスのマンチェスターから帰国しました。私たちはイギリスとそこの人々、そして文化を愛しています。伝道部指導者として、私たちは6週間ごとに宣教師と面接をし、面接の中で素晴らしい姉妹宣教師に会いました。私とその宣教師との間の信頼関係が欠如していたため、数か月にわたり、私たちの関係は悪化しました。残念ながら、面接の前半では、こうした不信感が強まってしまいました。私は率直に物を言っていましたし、彼女もそうでした。私たちは面接のほとんどの時間を自身の意見を擁護することに費やしました。この面接に対する苛立ちは、私の表情と言葉にはっきりと表れていました。
この会話の途中で、この善良な姉妹は私から神権の祝福を求めました。面接が過熱していた最中にこのお願いを受けました。
「冗談だろう、今このタイミングで祝福をお願いしているのか?理解ができない」と思いました。
残念なことに、これらの言葉を考えてしまっただけでなく、口に出してしまいました。
面接が終わり、ステファニーに何が起こったかを説明しました。
ステファニーは、「どうして施さなかたったの?すれば良かったのに」と言いました。
私が酷い間違いを犯したのは明らかでした。教会の建物に空いている部屋を見つけ、ひざまずきイエス・キリストの御名によって天の御父に祈りを捧げました。
聖霊を通して私に語りかけられた言葉は明確でした「ピーター、ピーター、あの姉妹宣教師はあなたのものではありません。彼女は私のものです。私が愛するように、彼女を愛しなさい」。
私は、「おっしゃる通りです。貴方は以前に一度その言葉を私に分かち合ってくださいました。どうか、助けてください」と答えました。
すると、次のような返事がきました。「ピーター、ピーター、あの姉妹宣教師はあなたのものではありません。彼女は私のものです。私が愛するように、彼女を愛しなさい」。
私は、立ち上がり、この善良な姉妹を見つけ、彼女に対する理解が足りなかったことと愛を示していなかったことを謝りました。私たちは再び話し合いました。そして今回は姉妹の必要としているものを理解し、確かめるために、私は時間をかけて耳を傾けました。互いを理解し合うと、その姉妹にまだ祝福を希望しているのか尋ねました。私はステファニーを部屋に招き、神権の祝福を授けました。口から出た言葉は覚えていませんでしたが、神からの愛と互いへの愛が増していくのを感じました。最も神聖な瞬間に、天使が部屋にいる私たち一人一人にミニスタリングをしてくださいました。
さて、どのようにしてキリストのもとに来るのでしょうか?儀式を受け、聖約を交わし守ることにより、また、熱心に学ぶ者となり、主が御自身の子供たちにミニスタリングを行うように私たちも他の人に手を差し伸べることで、私たちは主とくびきを負うことができるのです。
主のもとに来て、元気を出しなさい。
友人の皆さん、救い主が私たちを見られるように、お互いを見ましょう。キリストは私たちの不安や疑い、心配事をご存じです。私たちの名前をご存じの愛に満ちた天の御父の子供であることを知ってください。主は私たちの性格をご存じです。主は私たちの強さも弱さもご存じです。主は私たちの神聖な可能性と使命をご存じです。主は私たちの勇気をご存じです。だから、主は私たちが辛い時期を経験することをお許しになるのです。主は私たちを信頼しておられます。主は、御子イエス・キリストとその贖罪と精錬する力を通して、私たちが主に手を伸ばし、助けを求めることをご存じです。
孤独感、疎外感、不当な扱いを受け、自分の声や悩みが誰にも届いていないと感じている人々がこのキャンパスにいることを、キリストはご存じです。キリストは、このキャンパスに自分の価値や善良さを知るのに苦悩している人がいることをご存じです。キリストは、このキャンパスに不安や憂鬱さ、その他情緒的な問題に苦しむ人がいることをご存じです。キリストはこのキャンパスにあらゆる形の中毒や薬物、アルコール依存に苦しむ人、自己虐待や自傷行為などに苦しむ人がいることをご存じです。
心から助けたいと思っていても、気分を害し、危害を加えてしまうのではと恐れ、どのようにして救いの手を差し伸べればよいのかわからない人がいることもキリストはご存じです。そしてキリストは、多くの人に愛を示し、ミニスタリングも見事に行っていても、時には打ちひしがれ、疲れ果てている人がいることをご存じです。皆さんに対して、行うようにという主の招きと主の約束された祝福は、独特で愛情深く親密なものであり、皆さん一人一人に特別に向けられたものであり、等しく力強い永遠の真理を伝えています。
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。
救い主は次のように宣言しておられます、「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。25
まさしく私の友である皆さん。イエス・キリストは神の御子です。主はわたしたちの救い主であり贖い主であられます。主は癒し人です。御父に対する私たちの弁護者です。友人の皆さんに私の愛を伝えます。皆さんは美しいです。皆さんは神聖な存在です。そのことを皆さんに知っていただければ幸いです。皆さん一人一人が生ける神の子供です。生けるキリストの言葉が真実であることを証します。主のもとに来て、元気を出してください。主は世に打ち勝たれたので、主と共にいる皆さんも打ち勝つことができます。イエス・キリストの御名によって、アーメン。
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脚注
1学業面で、優秀な生徒ではありませんでした。ACTを受けたこともなく、ACTで35点取ったこともありません。ユーモアを交えるために、この話の一部をBYUディボーショナルでしました。
2 青少年の強さのためにー選択の指針(ソルトレイクシティ:末日聖徒イエス・キリスト教会、2022年)は、キリストの教えすなわち、永遠の真理、招き、約束された祝福を基にする。
3.1ニーファイ15:23
4.1ニーファイ15:24
5.ジョセフ・スミス訳, マルコ14:20-24 ルカ22:19-20、マルコ5:1-24も参照
6.ルカによる福音書22:31-32
7ヨハネの第一の手紙2:1、教義と聖約110:4
8ルカによる福音書22:39-41wontという単語は 「慣れている」を意味する。救い主が一人を望まれたとき、しばしばオリブ山などの山頂を訪れては祈られました。
9ルカによる福音書22:42
10ルカによる福音書22:43-44
11モーサヤ3:7、教義と聖約19:18
12ヨハネ15:13
13第3ニーファイ11:14、10ー15節も参照 ヨハネ20:19-29、 ルカ 24:36-40も参照
14ヨハネ3:16–18。
15マタイ11:28-30
16ラッセル・M・ネルソン、世に打ち勝ちなさい。そうすれば、休みが与えられるであろう
17ネルソン、 世に勝ちなさい。そうすれば休みが与えられるであろう」
18モーセ2:31
19.D. トッド・クリストファーソン, 帰属の教義,”リアホナ”, 2022年11月; 教義と聖約38:27 を引用
20.ネルソン 世に打ち勝ちなさい。そうすれば休みが与えられるであろう
21.ラッセル・M・ネルソン、キリストはよみがえられた—キリストを信じる信仰は山を動かす、リアホナ”2021年5月号
22.ラッセル M ネルソン、モルモン書―この書物なしの人生とは、リアホナ2017年11月号
23. “Worldwide Broadcast on Sharing the Gospel, Church of Jesus Christ, 26 June 2021, churchofjesuschrist.org/share/worldwide-leadership-broadcast-on-sharing-the-gospel “Latter-day Saints Encased to‘Love, Share, Invite” ニュースリリースと、ワールドワイドブロードキャストへのビデオリンク, ニュースルーム, Church of Jesus Christ,2021年6月21日, newsroom.churchofjesuschrist.org/article/latter-day-saints-encouraged-love-share-invite
24.教義と聖約59:5
25.ヨハネ16:33

ピーター・M・ジョンソンは2022年11月15日にこのディボーショナルを行った時、末日聖徒イエス・キリスト教会の中央七十人定員会でした。