人生のあらゆる場面に御霊を招き、聖霊の促しに従おうと努めるなら、皆さんは必要とされるちょうどその時に、必要な場所に、必要な準備と知識を備えて立つことになるでしょう。そして、神が皆さんを置かれるその場所で、キリストの光を輝かせることができるのです。
トーニャ・フィスキオ
2024年7月16日
今日皆さんとご一緒できる機会を光栄に思います。皆さんにこの割り当てを受けた時の霊的な経験について短く分かち合いたいと思います。BYUのディボーショナルで話すことを引き受けたとき、私は御霊が風が吹くように「ヒューっと」私に働きかけているとしか言い表せないものを感じました。その直後、私は神様が皆さんに抱いておられる素晴らしい愛を感じました。そして、皆さんが学業の合間を縫って聖霊を最も大切な教師とするように特別に取ってくださったこの時間に、聖霊を招く意義深いメッセージを分かち合う責任の重大さを感じました。私の言葉は、聖霊が今日皆さんの心に刻みたいと思っておられるメッセージほど重要ではありませんが、御霊の静かなささやきを皆さんと共に大切にできるよう祈っています。
光の反射
今日は、 皆さんが自分らしくなる旅路においてキリストの光を輝かせることについてお話したいと思います。新しい神殿が次々と各地に建てられることで、それらは光と喜びをもたらしてくれます。私が特に好きなことは、それぞれの神殿のために特別にデザインされたステンドグラスを見ることです。地域特有の美しい神の創造物を映し出し、現地ならではの意味を加えている点が素晴らしいと思います。たとえば、ハワイ・ライエ神殿で見られるハイビスカスの花や、ローマ・イタリア神殿全体に絡み合うオリーブの葉などです。最近、ユタ州のオレム神殿の建物の構造を取り除くと、すべての窓が一つにつながって、大きくて美しい桜の木の姿になると聞きました。これらのイメージは、私たちの生活の周りにおける神様の御手をいっそう際立たせててくださいます。
私は、ステンドグラスの豊かな色彩や質感の織りなす美しさ、そして芸術家が用いる個性豊かな作品を組み合わせて壮大で美しい作品を生み出していることに心が惹かれます。鉛とガラスを手にする芸術家は、この芸術を最高の輝きへと導く第三の不可欠な要素「光」を与えてくださる神樣と、共に働くという特別な特権を与えられています。ステンドグラスは太陽の光を屈折させるときに最も美しく輝くのです。
私のステンドグラスに対するの強い興味は、2024年の青少年のテーマの放送を見ている時に御霊の促しをもたらしました1。あるグループの青少年たちが、それぞれ新しいテーマに沿った小さなステンドグラスを作りました。その体験について話し合う中で、ある青少年は「ガラス自体もそれだけで美しかったけれど、光にかざしてみると色が変わって、もっと鮮やかに見えたんです。」と話してくれました2。そのグループがそうした変化がキリストの光とどのように関係しているかを話し合う様子に、私の心は満たされ、ある思いがが強く心に浮かびました。それは「まさにこれこそが、私たちがここBYUで経験する特権だ」ということです。研究分野が何であれ、学び、創り出し、研究し、奏でていくことなど、それらすべてのことは、それ自体で美しいものです。しかしキリストの光に照らされると、すべてがさらに鮮やかにかつ壮大になり、その影響力はより一層広がっていくのです。 それは、 私たちBYU の「二重の遺産」のおかげなのです3。この世的な知識と霊的な知識を一つにすることができるからこそ私たちは生活をキリストの光で照らし、 神様の栄光をいっそう輝かせることができるのです。
BYUであなたらしくなる
このキャンパスで行われている業にとても感謝しています。
この業は、C・シェーン・リース学長が強調する 「ともにBYUとなる」ことのように、信仰に寄り添い二重の遺産を広げ、人と異なる勇気をもつことを必要とします4。BYUに加わるとき、皆さんもまた、理想とする人となる旅に出ます。なぜなら、「あなた」なしでBYUは成り立たないからです。
2000年10月の総大会での説教「主の望まれる者となるというチャレンジ」で、ダリン・ H・オークス長老は次のように仰いました。
世の教育機関はわたしたちにある事柄について知りなさいと教えます。それとは対照的に、イエス・キリストの福音は、わたしたちにある特性を身に付けた者になりなさいとチャレンジするのです5。
私たちにはやることリストはありますが、皆さんのなることリストには何があるでしょうか?
スペンサー・ W・キンボール大管長が「ブリガム・ヤング大学の第二世紀へ」という説教を1975年に行ったとき、BYUのなることリストに預言者からの指示を与えました6 。BYU創立150周年という節目は、大学としての私たちの歩みを確認する貴重な機会となります。同様に、私たち一人一人が信仰の篤い祝福師からの祝福を通して、個人の生活について預言者からの指示を受けることができます。私たちは今どこにいるかをよく確認し、自分らしくなる旅でどのように歩んでいるかを確認するべきです。霊感を受けた祝福師が預言した自分らしくなる旅の次のステップとして、今知っておく必要のあることを教えてくださるよう御霊を招いてください。
私がスイスのチューリッヒ伝道部で奉仕していた時、アラン・ジョンソン伝道部会長は、私たち宣教師全員に祝福師の祝福文を暗記し、私たちが最も必要とするときに必要とする言葉を聖霊が心に届けてくださるようチャレンジを課しました。私の祝福文を暗記しているうちに、T.・アーディー・アダムズ祝福師の言葉はまるで理想的な相棒のような存在であることに気づきました。困難に直面した時、いつも絶妙なタイミングで現れ、目の前の試練を乗り超えるために必要な道具を過不足なく与えてくださり、慰めと励ましをもたらしてくださるのです。自分の祝福師の祝福文を暗記するようお招きします。そうすることで聖霊が私たちが自分らしくなるための旅において鍵となる言葉で皆さんの心を照らしてくださいます。そうするときに、皆さんは自らの神聖なアイデンティティと可能性を垣間見ることができ、理解するようになるでしょう。
およそ50年前、キンボール大管長は皆さんが輝き、このキャンパスやこの世界に貢献する姿を見通しておられました。1967年の「永遠のための教育」というお話の中で、キンボール大管長は「非常に多くの学生がこのキャンパスで人生を変えていることは注目に値する」と述べました7。
それは皆さんのことなのです!
「輝く逸材」
その後に、キンボール大管長はこう述べています。
演劇、文学、音楽、彫刻、絵画、科学、そしてあらゆる学問的才能において、輝く逸材たちが現れることを、希望をもって、また確信をもって期待しています。この大学は、そのような人々を洗練させ育てる場となり得るのです。そして彼らは、このキャンパスを去った後も、世界中の人々の心に触れる存在となるでしょう8。
キンボール大管長が述べた「輝く逸材」は将来のBYUのことであり、まだ成就していない預言だと思っているなら、お伝えさせてください。私は今日、大学の建物の廊下を歩く一見普通の学生たちの中にこの素晴らしさを目にしてきました。これらの「輝く逸材」は「研究と信仰によって」9BYUの「二重の遺産」10を受け入れる学生です。 BYUの学生は、ラッセル M. ネルソン大管長の聖霊を常に伴侶とする勧告に従い、日々の学習に聖霊を招くのです11。
ステンドグラスのアーティストであるトム・ホールドマンはイタリアのローマ神殿のデザインに取り組んでいた時に、窓の縁に何百もの小さな星型のクリスタルをちりばめました12。クリスタルが埋められた縁は、より多くの光を反射し、際立たせるために、手作業で面取りされ、角度がつけられています。芸術家の手によって、クリスタルは美しいガラス片から壮大で輝く星へと変貌を遂げたのです。
救い主は皆さんをどのようにかたどっているのでしょうか?主は、皆さんが最大限に輝けるように、どこを切り取り、どこの形を整えておられるのでしょうか?皆さんが主の御手の中に自分自身を委ねる時に、大いなる芸術家であるイエス・キリストは、皆さん自身もまた変えてくださいます。
私が思うBYUの輝く逸材の一人はジャレド・スティーリーです。ジャレドはBYUに来た時、末日聖徒イエス・キリスト教会の会員ではありませんでした。そして彼がBYUに在学していた間は、宗教に全く興味関心を示しませんでした。彼はただ邪魔されることなく学業に専念したかっただけで、パーティーよりもチョコレートミルクの消費が有名なことで知られているBYUは彼の求めていることにぴったりでした。
ジャレドはイアン・ハンター教授と緊密に協力し、長距離走の生体力学について理解を深めようとしました。彼は学業と研究に勤勉に努めました。BYUでは信仰と学問がごく自然に一体となっているため、ジャレドの言葉を借りれば、「それは少しづつ染み込んでいった」のです。
ハンター教授は、BYUスポーツ科学部の他の生徒や教員とともに、キリストの光を通して自らの取り組みを高めて行きました。彼らはキンボール大管長が「バイリンガル」と呼ぶものの本質を捉えています。すなわち、「学問の言語」と「信仰の言語」で話していたのです13。 2023年、ジャレッドはマット・シーリー教授からバプテスマを受け、 ハンター教授によって末日聖徒イエス・キリスト教会の会員に確認されました。
ジャレッドはこう語っています。「以前の私は、科学と宗教は二つの相異なるものだと思っていました。しかし、ここで学べば学ぶほど、科学と宗教は互いに補完していることが分かってきました。私の信仰が成長するにつれて、科学者としての能力も高まっているのです」。
ジャレッドさん、私はネルソン大管長もあなたの考えに賛同されると思います。ブリガムヤング大学ライフサイエンスビルディングの竣工式で、ネルソン大管長は次のように言いました。「真実が研究室で明らかにされるのか、それとも、主の啓示によって明らかにされるかに関わらず、それらは矛盾しないものなのです」14。
信仰と科学が一つになる経験を通して、ジャレッドは彼が変化の過程にいること、すなわちこれから世の人々を照らす光となるための準備をしていると気づいたのです。
ジャレッドの研究は、長距離走者のタイムを短縮する助けとなるランニングシューズ、いわゆるスーパーシューズに重きを置いていました。それだけでも重要な試みですが、ステンドグラスのように、キリストの光に照らされると、その及ぶ範囲と影響はより一層大きくなります。この影響が明らかになったのは、ジャレッドがこの靴の効果を広げ、数えきれないほどの人々の生活を豊かにしたいと霊感を受けた時でした。
ジャレッドの父親は心臓発作を起こし、ジャレッドは積極的に彼のリハビリの手伝いをしていました。ジャレッドは父親とよく一緒に歩きましたが、父親はたった2分で疲れてしまいました。この経験を通して、心に語りかける御霊が、心臓発作や脳卒中の患者など、体が弱い人たちの回復を促進するスーパーシューズを応用するアイデアを与えました。ジャレッドは、このテクノロジーを活用すれば踏み出す一歩がより軽くなり、体の負担が軽減されると確信していました。研究室では、彼の理論を検証することに時間を捧げ、大きな成功を収めました。
BYUの輝く逸材の一人として、ジャレッドは彼自身の光と知識を分かち合い、世界のため、心臓発作や脳卒中、その他の病気に苦しんでいる人たちや、手術から回復している人たちの生活の質を上げる用意が出来ています。
ジャレッドはマタイ5:16に書かれている言葉をまさに体現しています。「そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい」。
ネルソン大管長100歳誕生日記念式典を思い出すと、ジャレッドはいなくなった一匹の羊の素晴らしい例だと思います15。彼が初めてBYUに来たときは、一匹の羊でハンター教授やシーリー教授に見守られ、支えられていましたが、ジャレッドは、家で彼の父親のケアをし、ミニスタリングを行うという意味で一匹の羊に仕えていくというもう一つの役割を喜んで引き受けました。ジャレッドがいなくなった羊に仕えた時、神様は彼が手を差し伸べ、多くの人々に仕える方法を示してくださいました。
鮮やかなメノウ
皆さんの中には、私のように、私たちの中にいる輝かしいスターの傑出した業績をみて、しばし称賛しながら、「彼らは偉大な事を成し遂げる運命にあったけれど。私は小さな役割を果たし、ささやかな方法で支えるだけで十分だ」と思っている人もいるでしょう。そんな皆さんにお話があります。先ほどお話をしたトム・ホールドマンは、テキサス州サンアントニオ神殿の建設に携わっていた時、ステンドグラスの窓にメノウを使いたいと思っていました。メノウは、外側はざらざらとした岩のように見えますが、その内側は光を通すほど鮮やかで、透明感のある美しい縞模様が特徴です。
トムが神殿の敷地に訪れ彼のアイデアを話すと、建設を監督していた宣教師が感情を抑えきれずトムをざらざらとした岩の山が積まれていたトレーラーへと案内しました。宣教師は基礎を掘っている間に、まるで岩で満たされた洞窟のような場所に出くわしたと説明しました。そして理由ははっきり分からないまま、その建築宣教師は促しに従い、屈折作業を進める前に、作業員に洞窟からこの岩をすべて取り出して取っておくようにと指示を出しました。この行動に作業員は、誰がその岩の山を活用するのかとからかいました。しかし今、トレーラーの前でトムの隣に立って、その宣教師は彼がそのようにするよう導かれた理由を悟りました。これらの岩は、美しいメノウとともに、地中深くに保存され、神の神殿がその鮮やかな輝きを必要としたときに、出てくる準備をしていたのです。
後に、トムは第三ニーファイ22章12節にある神殿についてのイザヤの預言を見つけました。「またメノウであなたの窓を造り」(イザヤ書第54章12節も参照)今日、トムは彼が手がけるすべての神殿に、この預言されたメノウの欠片を神殿のステンドグラスに取り入れように努めているのです16。おそらく皆さんはメノウのように、ざらざらとした粗い外側と、まだ知られていない鮮やかな内側にある美しい色と何十にも重なっていく経験の縞模様が秘められていて、大いなる芸術家である主が皆さんを必要とするときにキリストの光を発する準備ができているのです。皆さんの番が必ず来ることを知ってください。主は皆さんをご存じで、一人一人に目的を持っておられます。人生のあらゆる場面に御霊を招き、聖霊の促しに従おうと努めるなら、皆さんは必要とされるちょうどその時に、必要な場所に、必要な準備と知識を備えて立つことになるでしょう。そして、神が皆さんを置かれるその場所で、キリストの光を輝かせることができるのです。
私はそれを、微生物学専攻の学生であるタッカー・べイトマンの例を通して見出すことができます。彼は彼自身が持つ鮮やかな特質を神のために使うためのふさわしい場所に導かれ、備えを受けていました。タッカーは農場で育ちましたが、医学大学院に通うことを決意しました。ですが、タッカーは微生物学を学ぶように導かれていると感じました。ここBYUでタッカーは何の不自由もなく、彼の夢を熱意を持って追い続けました。しかし、ある日突然、彼の父親が亡くなりました。すると、医学大学院進学への気持ちが揺らぎ始めました。霊的な印象に従い、タッカーは微生物学を学び続けながらも、神の導きに心を開いていました。教授のアドバイスに従い、タッカーは情報を求めBYUテクノロジートランスファーオフィスに足を踏み入れましたが、彼は新しい導きを受けてオフィスから出てきました。主は石の外側の層を切り始め、タッカーの経験から積み重なった層を磨き、世のためになる光を輝かせるための準備をしておられました。
農家としてのバックグランドと微生物学の教育を受けたタッカーは、現在誰にもできない方法で食糧不足に対処する準備をしています。「塩類化(土壌中の塩分濃度の蓄積)は、世界中の食料生産における最大の課題の1つになりつつあります」17。現在、発展途上国では25億エーカー以上の農地と何百万もの限界農家が、土壌中の塩分濃度の急激な増加による収穫量の減少に苦しんでいます18。自給農家の多くが1日2ドルで生活しており、それもさらに減少しています19。そんな中、マイケル・デービスとフリッツ・カール・モーランとともに、タッカーはマイクロバイオームに注目し、塩類化問題の実行可能な解決策を見つけました。彼らはその技術の特許を取得中です。
御霊が医学の道に進むために微生物学を勧めた時や、医学の道から離れて深刻化する問題に対する革新的な解決策を模索するように勧めた時に、タッカーは進んで御霊の声に耳を傾けたので、主はタッカーの経験の層に磨きをかけることができたのです。主はタッカーが、世界中の飢餓と貧困を減らす可能性を秘めた上で、仕えに行くのにふさわしい場所に置いたのです。興味深いのは、最後には目指しませんでしたが、医学大学院を目指すことも間違ってはいなかったということです。むしろ、その目標は道しるべとしての役割を果たし、神が用意しておられた偉大な計画を達成するためにタッカーを正しい方向へ導いてくれたのです。神が皆さんの人生に立ててくださる道しるべを信じてください。そして導きを受けたら進路を変える柔和な心を持って、霊感を受けた進むべき道を歩んでください。
タッカーは、「神様は、私たちが進んで学ぼうとするならば、いつも私たちの人生で起こることを通して常に何かを教えようとしてくださると思います。神様は人々の心に霊感を与えてくださっていて、神の子としてより良い生活を送れると信じています」と言いました。
あなたが「なるべき自分」へと歩む旅の中で、皆さんが大いなる芸術家である主が形を整えているクリスタルスターでも、ふさわしい時にふさわしい場所で光輝けるように神様が取っておいておられるメノウであっても、神様の壮大で素晴らしい作品の中に居場所があることを覚えておいてください。
神聖なアイデンティティを受け入れる
「なるべき自分」への旅路における重要なステップは、「神の子」、「聖約の子」、「キリストの弟子」としての神聖な特質を受け入れることです20。神の子というアイデンティティは全ての人に受け継がれている祝福です。一方、残りの二つは私たちが選び自らの身に受けるアイデンティティなのです。
神の子供
皆さんが神の子供であり、神様は皆さんをご存じであることを知ってほしいのです。神様は皆さんを見ていて、必要としているものを心に留めています。今年の初め、私は神様のシンプルでありながら深い憐れみを知る貴重な経験をしました。その日は辛い日でした。作業を中断して、机の前で短く祈りました。祈りを終えると、ある考えが浮かびました。「今日はチョコレートの気分だな」。これは直接的で個人的な啓示として受け止め、オフィスを離れて、ウィルキンソンセンターでチョコレートを買いに出かけました。
その日は天気が良く、広場は芝生に座って昼食を食べたり、談笑したり、勉強したり、気持ちのいい天気を楽しんでいる生徒でいっぱいでした。しかし、私の注意を引く生徒が一人いました。芝生に座り、サンドイッチを食べながら、大きな涙を頬に流していました。彼女が背負っていた重荷は分かりませんでしたが、私は神が御自身の子供の一人を愛しておられるのを感じました。「そうだ、今日は間違いなくチョコレートの日だ!」と思いました。
BYUストアに行き、ダヴのチョコレートバーを2本購入しました。その一つを泣いていた生徒に分けようと思っていました。彼女が座っている芝生の方向へ歩き始めましたが、すぐに迷いが頭によぎりました:「彼女に恥ずかしい思いをさせてしまったらどうしよう。」や「どんな言葉をかけようか?」などです。しかし、御霊が私を促し、腕を伸ばし彼女にチョコレートを差し出そうとしたときに、まるで誰かが話しかけているかのように別の思いが心に浮かびました。「神様はあなたを見ています!」このメッセージを彼女にも分かち合いました。
私が立ち去るとき、彼女はまだ頬に涙を流していましたが、笑みを浮かべていました。私もそうでした。
ですから、芝生にいたあの学生と皆さん一人一人に向けて証します。皆さんは神の子です。神様は皆さんを見て、チョコレートを持ってきてくれる人を送ってくださるほど愛しておられます。
神のすべての子供たちのこの神聖なアイデンティティを認識する必要があります。神様は私たちに、立ち止まり、自分の中から一歩踏み出し、互いに仕えあうことを望んでおられます。
聖約の子
第2に、皆さんが聖約の子であることを受け入れてください。今年の3月のディボーショナルで、デール G. レンランド長老は聖約は「私たちを変え、救い、、昇栄に導きます」と仰いました21。
私たち一人一人にとって、聖約の道はバプテスマから始まります。この聖約により、私たちは聖霊の賜物を授かります。聖霊は全ての真実を証し、BYUの天と地上から受け継がれるものの価値を強調します。この賜物により、皆さんは聖約を尊ぶときに、あらゆる試練の中で個人的な啓示を受けるでしょう。それには、BYUでの学業も含まれます。
デビッド・A・ベドナー長老は仰いました。
聖霊を常に伴侶とする祝福と啓示という霊的な賜物は…霊感あふれる体験学習の軸となります。啓示を受けるふさわしさとそれに従って行動する信仰は、これらの学ぶ過程において鍵となります22。
啓示をBYUでの仕事と研究に当てはめた素晴らしい例の一つが、若人の強さのためにプロジェクトです。マット・シーリーが始めたこのプログラムは、学業と研究を基にした活動を通して、若者のスポーツ文化を改善し、生涯にわたって体を動かす活動が大好きな人を作り出すことを目的としています。
このプロジェクトに取り組んでいるBYU陸上競技部の1人ベン・バートンは、このプログラムリーダーが如何に啓示の霊を仕事に招いているかについてこのようにお話しています。「他の方法では得られない霊感や答えを受けるために、聖典を読み、祈ります。」23
また、同じくこのプロジェクトに取り組むダンサーの1人であるカリー・フロイドは、神の啓示が彼らの努力を助けている場面を目の当たりにしてきたと付け加えました、「私たちは神殿で時間を取って祈るとアイデアが湧いてきて、皆が同じ方向を向くようになります」。24
御霊を研究に招くときに、神様が皆さんのために取っておられるかすかな光に気づくでしょう。トーマス・S・モンソン大管長は、御霊がどのようにして語りかけてくださっているか学ぶことについての重要性について次のように強調しました。「人生の旅路を歩み続けるに当たり、御霊の言語を学ぶようにしましょう」25。
心に浮かぶ思いやささやき、心を広げる促しに従ってください。するとキンボール大管長が二世紀目の説教で預言した光輝くスターの1人になりつつあることを目の当たりにするでしょう。
キリストの弟子
三番目に、キリストの弟子としてのアイデンティティを受け入れてください。ここBYUでの時間を大切にしてください。皆さんが学ぶこと、行うこと、そして皆さん自身に御霊を招くよう意図された聖なる空間です。研究と信仰によって教育を行う学校を設立する神様の計画には、明確な目的があります。そのような経験は、キリストの弟子になるための基を据えて、霊的な教育を提供するからです26。ここで、弟子であり、学者である者になることができます。。信仰を皆さんの人生に取り入れることができるようになれば、弟子として働く人、弟子としての家族の一員、友人、隣人となり、やがては人生の旅路で出会うすべての人にキリストの光を輝かせるキリストの真の弟子となることができるのです。。
ヘンリー・B・アイリング管長は2003年4月の総大会の説教でこのように仰いました。
皆さんのふさわしさと望みは、輝きとなって面影に表れます。主の教会とその技に奮い立ち、それが表情を輝かせるのです。こうして、四六時中、あらゆる状況で主の弟子となるのです。………自分の信条を話すことが、生活の一部となるのです27。
アイリング管長は話を続ける中で、世界中の聴衆に向けて彼の父親の例を挙げました。規模の大きな科学会議で、アイリング管長の父親は科学について話をしている時に、創造と創造主について触れました。
アイリング管長は「お父さん、学会で証をしたんだね。」と言うと、彼の父親は「 ほんとうかい?」と答えました28。 それが彼という人そのものだったのです。
私たちの人柄もそうかもしれません。弟子として成長すると、信仰と科学、信仰と法律、信仰とリーダーシップ、信仰と芸術、そして信仰と人間性について自然と語るようになるでしょう。
BYUは、弟子であり学者となるための訓練をする絶好の場所です。それを弟子のようなプロフェッショナルとして次の段階につなげるかは皆さん次第です。 エミリー・ベル・フリーマンは著書「21 Days Closer to Christ」の中で、スーザン・マリンダ・ブルロックのお話を紹介しています。彼女は、看護師時代のことをこう綴っています。
マリンダは患者を訪問する前に祈り、それから御霊がお送りになる導きに耳を傾けました。マリンダはこの導きを信頼していました。彼女の記録には御霊の囁きに従ったことで命が救われた例が数多く記されています29。
私自身には命を救ったというような経験はありませんが、ここBYUでの仕事は神聖な管理人の職だと感じていると断言します。プロジェクトや役割、そしてともに働く素晴らしい学生について祈る中で、神様がこの大学で進められている業を気にかけておられるので、導きと洞察を与えてくださる御霊の優しいささやきを聞きました。主は皆さんを心にかけておられます。
法科大学院に絵を飾るにあたってマイク・ミドルトンと、ホルヘ・コッコ・サンタジェロのオリジナルの絵画がBYU法科大学院が見習うように勧めている救い主の7つの役割をどのように描写しているか話し合いました。マイクは全米に200校近くの法科大学院があるにも関わらず、カリキュラムの中に救い主を据えているのはBYUだけですと言いました。
そしてマイクは言いました、「イエス様はこのロースクールの廊下を生徒と一緒に歩いていると思うよ」。
マイクがこの言葉を口にしたとき、御霊が確かな優しさと温もりで私に証しました。確かに主は歩いておられます。
そしてこんな思いがふと浮かびました、「主はロースクールの廊下だけじゃなくて、このキャンパスの全ての廊下で生徒のそばを歩いておられるよ」。
そのことを感じて、主が「なるべき自分」になる旅で隣におられるという証を受けられるようにと願っています。そのためには、まだゴールは先で、「自分の行えることをすべて行った後に」救い主の贖いと恵みが必要だと認識する必要があります30。
中央若い男性会長会第一顧問のブラッドリー・R・ウィルコックスは、機関誌の記事「キリストの恵みによって生まれる素晴らしい違い」で次のように書いています。
ラッセル・M・ネルソン大管長が教えているように「悔い改めは…一連の過程」であり、しばしば時間と、繰り返し努力することが必要であることを、もっとはっきり教えようと決意しました。私はワードの会員に、神様は私たちの今いる場所で手を差し伸べてくださり、どれほど長い時間がかかろうとも、完全になる過程の全体を通して、わたしたちを助けるために恵みを与えてくださることを知ってほしいと思いました31。
キリストの弟子としてのアイデンティを受け入れる時、主は皆さんと一緒に一歩を踏み出していることを覚えておいてください。
キリストの光を輝かす
冒頭でお話したステンドグラスについて戻ります、皆さん一人一人がこの世界の創造主であり、偉大な芸術家の手にあるガラスの欠片のようなものだと、私は信じています。主は、ガラスの質感、色、そして価値をご存じです。主は、皆さんの可能性を余すことなくご存じです。そして皆さんの形や角の手入れを主に委ねるとき、主は皆さんを主が最も必要とされる場所に置いてくださり、皆さんは主の偉大な作品の中で最も輝けるようになります。ステンドグラスの窓の1つの欠片のように、皆さんは美しく、価値を生み出すことができるでしょう。しかし、皆さんが媒体となりキリストの光を輝かせるなら、皆さんの及ぼす影響力は広がり、ネルソン大管長が語った来るべき日に、偉大な業と奇跡において役割を果たすでしょう32。
BYUが200周年までの残りの50年でどのようになるか見てみたいですが、皆さんが神の子、聖約の子、そしてキリストの弟子としての神聖なアイデンティティを受け入れる時にどのような人になるのか、その成長した姿を見るのがとても楽しみです。
皆さんが主の愛の大きさを感じ、神聖なアイデンティティを少しでも感じ取ってくださることを願っています。私は救い主が大好きです。これらのことを聖なるイエス・キリストの御名によってアーメン。
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トー二ャ・H・フィスキオは2024年7月16日にこのディボーショナルを行った時、BYU生命科学学部副学長でした。