ディボーショナル

移民の神への旅

BYU心理学教授

2025年6月26日

Speech link copied

確かに、私たちは「学ぶために入る」が、「奉仕するために前進する」という呼びかけをより完全に受け入れることを願っています。主ご自身が私たちに言われたように、私たちが自分自身を見つけるのは、他の人々のためであり、自分自身の苦しみの十字架をとることである。

 


兄弟姉妹の皆さん、おはようございます。今日ディボーショナルを分かち合える機会を光栄に思います。私をこのユニークな場所に導いたのは何でしょうか。私が末日聖徒イエス・キリスト教会に改宗し、また、アメリカに移り住んだ私の旅の話をここに立ってするとは私を含め誰も予測できなかったでしょう。

愛する神への紹介

かつて、わたしは宇佐という小さな漁村に住んでいる女の子でした。日本で伝統的でシンプルな人生をまさに送っていました。しかし、敬虔で献身的な宣教師のおかげで、今ではユニークな人になりました。14歳の時、同級生の一人が無料の英会話教室に招待してくれました。その教室はアメリカ人宣教師が催していました。宣教師は不思議に思うくらいに親切な若者でした。宣教師は、来日した理由を私に教えてくれました。それは神は存在し、わたしたち皆を愛してくださっていることを教えるためです。

しかし、キリスト教が浸透していない国で育った14歳の少女からすると、アーネット長老という宣教師に出会うまで、神の愛を心で感じ、理解することは困難でした。アーネット長老の力強い模範は、私の十代の心、魂に深く響き、神の愛の性質と熱心に私に教えてくれたイエスの自己犠牲とまで言える献身さが私の身にも染みるようになりました。

当時の宣教師は一定の生活費を支払う現在とは異なり、伝道地で必要とされる生活費を自力で支払わなければなりませんでした。当時、日本は世界で最も生活費が高い伝道地の1つでした。アーネット長老の家族は決して裕福ではなく、長老はとても質素な生活を余儀なくされました。アーネット長老の父が伝道中に亡くなったとき、アーネット長老は日本に留まり続け、彼が愛している人たちに奉仕し続けることを選びました。アーネット長老は、彼の金銭的な状況を一切私に告げませんでしたが、彼の同僚はアーネット長老は食費を抑える必要のある状況にあると私に教えてくれました。例えば、ゴムバンドを使って、1日で食べるパスタの量を分けていました。

アーネット長老はただ神の愛について教えいただけではありません。神の愛を体現していました。また、神がいらっしゃることだけでなく、神が「私」を愛してくださっていることも教えてくれました。これは最も重要で私の明石の核にあたる部分となり、痛みや苦しみを経験するといつでもこの部分が私を救ってくれました。

慈愛の心を持ち、決めつけない

バプテスマを受けた後、私は多くの奉仕の召しを受けるようになりました。一番好きな召しは支部宣教師でした。ある特別な求道者の竹崎兄弟は、私の神に対する視点を非常にユニークな方法であらためてくれました。兄弟は信仰心が強く、今は亡き愛する先祖のための神殿で行われる救いの儀式を学べて非常に喜びました。まず竹崎兄弟がバプテスマを受け、その後、東京神殿で亡くなった母親のためにバプテスマを受けることに胸を踊らせました。しかし、思いやりに溢れていても誤解をしていたある姉妹は、兄弟の母親の為にバプテスマを受けたいという気持ちを挫いてしまいました。兄弟の母親が自ら命を絶ったからでした。兄弟の魂にある光は消え、兄弟は自身のためにバプテスマを受けることも止めてしまいました。

竹崎兄弟とその最愛の亡き母に私は心を痛め、私自身も悩まされるようになりました。私は兄弟と彼の母親のために祈り、2年間ずっと私を悩ませているものの答えを探しました。祈り求め続けていると、私は「自殺についてわかっていること、わかっていないこと」と題された自殺に関する特集記事に辿り着きました。この機関紙の記事で、十二使徒定員会のM.ラッセル・バラード長老が自殺について詳しく語っています。長老は別の使徒、故ブルース・R・マッコンキーの話から引用しました。

自殺とは、自発的かつ意図的に自分の生命を断つことである。特に本人が責任を取れる、正常な判断力を持っている場合に言う。……精神的な重圧に悩まされている人は、自分で自分を抑制することができなくなり、混乱をきたして、自分の行為に責任を持てなくなるようなこともあり得る。そのような人は、自分の命を自分で断ったからといって罪に定められることはない。また、心に留めておかなければならないことは、裁かれるのは主だという点である。主は人の思いも考え方も能力もすべて知っておられる。主はその無限の知恵によって、あらゆることを適切な方法で処理されるのである。(M.ラッセル・バラード、「自殺についてわかっていること、わかっていないこと」、聖徒の道、1988年3月に引用

バラード長老が記事のタイトルで言ったように、私たちにはわかっていることわかっていないことがあります。ですから、慈愛を示すことは、人を裁き非難せず、私が人に仕え、神に近づくための最善の方法であることを学びました。この経験は私が心に病を患っている人と関わる最初の経験でした。

被害者・加害者両方にとっての救い主

御霊の呼びかけに応え、アメリカに訪れ、さらに人に使える機会を求めたとき、まったく違った人生をここで体験しました。日本では快適な生活を送っていました。わたしは小さな漁村の出身でしたが、父は大きな漁船の船長として成功し、世界中を駆け回っていました。私は物質的にも霊的にも満たされていましたし、家族やコミュニティから多くの面で尊重され、支えられました。しかし、アメリカではただの普通の人に突然成り下がりました。アメリカでは、より正確にいうと、普通の人にすらなれませんでした。教育を受けているただのアジア人女性でした。大学時代、私は「お飾り」アジア人と呼ばれていました。普通の人になるために、現地の人の2倍の努力をしなければならないと感じ、全ての授業でA以外の成績は取りませんでした。

自分を証明しようと奮闘しましたが、肩を並べられるとは思えませんでした。いくら頑張っても、わたしはただのお飾りアジア人で、空気のような存在に感じました。自信と自尊心を失い、他の人たちから見て私は価値のない人だったので、神でさえ私のことはどうでもいいと思っているのかもしれないと感じました。しかし、私は前に進んで、歩まなければなりませんでした。最終的にわたしはカウンセリング心理学の博士課程を卒業し、ユタ州公認の心理学者になりました。

先述したように、改宗者として受けた証の核心は、神は存在し、私たち全員を愛してくださっていることでした。また、神と近づく最善の方法として、慈愛の心を持ち、他人を決めつけず、批判を控えることが良いと述べました。この証と信念は、私が渡米して以来、しばしば試されてきました。大学院生の時、様々な人生を送ってきた数多くの人々に出会いました。ソルトレイク郡の刑務所で、受刑者にカウンセリングを行ったとき、受刑者の中には見捨てられ、身体的、感情的、性的に虐待されている者がいることを知りました。受刑者の体験の中には、聞くに耐え難いほど残忍で過酷なもがありました。私はまた、自分の父親に虐待された女性の相談者に会いました。相談者の心は完全に打ち砕かれていて、この世からいなくなりたいと願いました。彼女は子供の歌の「家族は永遠に」を歌わなければならなかったとき、とってどれほど苦しいことだったかを私に話してくれました。

虐待された神の子供たちの痛みと苦しみを感じ、それは私の頭は混乱しました。虐待する人たちの悪意さを聞いて吐き気をもよおしたこともありました。加害者その人を決めつけたり、悪く言わず、慈愛の心を持つにはどうしたらよいのでしょうか。私にとって慈愛の心を持ち、被害者に共感することは簡単でした。しかし、天の父が無条件にこれらの加害者を愛していると信じることは、私にとってほぼ不可能でした。イエスは虐待の加害者のためにも地上に降られたのですか?まだ完全には理解できませんが、答えは「はい」。イエスは例外なく私たち皆のためにいます。最後に、主は被害者と加害者の両方のために物事を正しくしてくださいます。主はこう告げておられます。

しかし、聞いているあなたがたに言う。敵を愛し、憎む者に親切にせよ。

のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。

人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ。

しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、

父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。

人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。(ルカによる福音書6:27–28, 31, 35–37

傷跡のある救い主

ソルトレイクシティにあるYWCAユタの「ウィメン・イン・ジェパディ」危機シェルターで勤務していたとき、数多くの家庭内暴力の被害に会った人に会いましたが、特にある女性の虐待の経験は今でも心に残っています。私と同じように、その女性はアメリカへの日本人移民でした。その女性は帰国した宣教師と結婚していました。しかし、私と違って、その夫は彼女を身体的に虐待していました。彼女はケチャップとマスタードを顔に付けられ、何を謝らなければならないか分からないまま夫に謝罪するように言われました。そしてその夫は彼女に何度も拳をあげました。彼女が凄惨な経験を共有してくれた記憶は、このコミュニティー、特にこの国へ移住してくる人たちを支えたいと言う情熱に火を灯しました。これまでに関わってきた女性の中に、虐待の被害を受けた人が多くいた事も関係しています。そこで、家庭内暴力がなぜ起こるのか、それを止める方法、被害者を支援する最善の方法は何かを研究し始めました。

今でも私の周りの人々の生活には痛みや苦しみがあり、それが私を悩ませています。特に、私は教え子や、特に研究助手の苦しみをとても気にしているのです。なぜなら、私は彼らとは非常に密接に働いているからです。教え子たちの苦しみの話をたくさん聞くと、私は泣き、とても落ち込んでしまいます。ある人は差別用語を浴びせられ、ある人はゲイであることを打ち明けましたが、その後、その人が男友達とおしゃべりを楽しんでいただけなのに、BYUオナーコードオフィスに通報されました。不法移民の生徒もいました。その不法移民の生徒はしばしば虐待され、差別されました。私は一人一人の痛みを感じ、教え子と共に苦しみました。

苦しい時に、ふとイエスのことを考えます。主の手の傷は苦しみと痛みの証拠である。復活して完全な体があるにもかかわらず、傷を残すことにしました。これは、イエスが救い主であること、すなわち私たちの救い主であることを示したかったからだと私は思います。しかし、私たちに救い主が経験した数えきれないほどの痛みを知ってもらうために、傷を残すことにしたと私は考えています。まるで主が私にこうおっしゃっているように感じます。

「私は皆さん一人一人をとても愛しています。それゆえ私は同じ苦しみを感じ、皆さんの立場に立つために、一人の人間となり、あなた方の苦しみを汲み取ることを厭わないのです。」

主が私たちのモルモン書がこの世での苦しみについて記述している美しい聖句を思い出します。

「そして神の御子」は、あらゆる苦痛と苦難と試練を受けられる。これは、神の御子は御自分の民の苦痛と病を身に受けられるという御言葉が成就するためである。 

また神の御子は,御自分の民を束縛している死の縄目を解くために,御自身に死を受けられる。また神の御子は,肉において御自分の心が憐れみで満たされるように,また御自分の民を彼らの弱さに応じてどのように救うかを肉において知ることができるように,彼らの弱さを御自分に受けられる。」(アルマ書7:11-12参照)。

これらの聖句は、主をとても身近に感じさせてくれます。神は存在し、例外なく私たち全員を愛してくださいます。

これからも続く旅

BYUは非常に特別な大学です。それは私と、おそらく多くの皆さんに、聖霊と科学のつながりを探求するのに最適な場所を用意してくれています。今日、話した私のストーリーのいくつかは非常に暗く、気を病んでしまうかもしれません。しかし、私はとても希望に満ちていることを知ってほしいです。BYU心理学科で私は、若く、忠実で、賢く、苦しんでいる人々を助けるために大きな意志と熱意を持っている多くの学生に会ってきました。彼らは、人間の行動を研究し、人に仕えるために世界へ出て行く準備をすることで、効果的に人を助ける方法を学びたいと心から思っています。学生の目に燃えるような証を見ます。ここでの教員としての私の役割は、科学知識と専門的なスキルを教え、共有し、主が懸念している社会問題への認識を高めることです。

神を見つける私の旅は続きます。私は、皆さんと同じように、痛みと苦しみを経験し続けるでしょう。旅の途中で苦しんでいるとき、「なぜ私なのか」と尋ねることもあります。しかし、私は自分の痛みに感謝しています。もし私がアメリカに移住していなかったり、少数派であったりしていなかったら、日本のあまり痛みのない快適な生活を送っていたでしょう。しかし移民としての辛い経験は、今の私を築き上げているのです。神が生きていること、神が私を愛していることを知っているので、自分の旅を前進し続けることができることを、私は確信しています。次のステップであり、チャレンジはこの質問に答えることです。「 私は、神を十分に愛しているのか?」

イエス・キリストの福音を知る恵に預かっています。私は、神を求める人々が集まるこの愛すべきコミュニティーと、この高名な高等教育機関であるブリガムヤング大学の一員である恵に預かっています。確かに、私たちは「学ぶために入り」ますが、「奉仕するために世界へ出る」という使命をより完全に受け入れて欲しいと思います。主御自身が私たちに言われたように、私たちが自分自身を見つけるのは、他の人々のためであり、自分自身の苦しみの十字架をとることです。( マタイ16:24-25)

この素晴らしい機会に感謝しております。これらのことを、イエス・キリストの御名により証します、アーメン。

© Brigham Young University.All rights reserved.

山脇仁和子

BYU心理学教授である山脇仁和子は、2021年5月4日にこのディボーショナルを行いました。