永続する個人の平安への道
わたしたちがキリストの贖罪に頼ってすべての聖約、すなわち聖なる愛に根ざした正義と憐れみの美しいバランスを完全に守らない限り、天の御父はわたしたちに完全な平安の祝福を授けることはできません。
主の側に立って生きる
信仰深く、きっぱりとして、心を決めた男性と女性、将来起こる事にひるまず、正しい事のために何度でも立ち上がる意思のある男性と女性を、主は必要としています。
「観察が鋭い」
聖典に見られるように、「観察」という言葉には主に2つの使い方があります。1つには「注意を向ける」「理解する」「気づく」という意味があります。これはイザヤ書42:20から学ぶことができます。「多くの事を見ても認めず、耳を開いても聞かない。」