永続する個人の平安への道
わたしたちがキリストの贖罪に頼ってすべての聖約、すなわち聖なる愛に根ざした正義と憐れみの美しいバランスを完全に守らない限り、天の御父はわたしたちに完全な平安の祝福を授けることはできません。
どのように主の御名を担うか
イエス・キリストの弟子は完全ではありませんし、他の人たちがそうであることを期待しません。むしろ、主によってのみ、完全となることができると信じています。
うまく失敗し完全さを追求する
失敗は完全を追求する上で不可欠な部分です。神と贖いを信頼することで、失敗を成功に変えることができます。
100%の責任を負う
もちろん、救い主は世界の歴史上、最も責任あるお方でした。彼は最も偉大な模範です。耐え難い苦痛と苦悩の瞬間でさえ、無責任リストの一つである自己憐憫を全く示しませんでした。イエスは無私の心と気遣いによって、常に他の人をいたわりました。ゲッセマネでは兵士の耳を癒し、後に十字架上では、ご自分の戒めを果たすため、自分を憎む人々のために祈りました。
主なるキリストの贖罪により聖徒となる
愛する若き友人の皆さん、わたしも皆さんに証します。人生が皆さんに落胆や悲しみをもたらす時が訪れると思いますが、そのような時にもイエス・キリストの福音と、完全な福音を支持する教会が、真実かつ力強いものとなることを証します。
「主の力を受けて」
贖罪は、悪いことをして善良になろうと努力している人のためだけではありません。それは、より良くなろうとし、忠実に奉仕しようと努め、継続的に力強い心の変化を切望している善良な人々のためでもあるのです。