
ジョセフ・スミスから学ぶ教訓
ジョセフスミスはこの世で多くの試練に遭いました。だからこそ、彼から多くの事が学べると思います。今回は、3つの事について共有します。
愛のメッセージ
啓示を受けるには、私達は求め、悔い改めなければなりません。継続的な祈り、聖文研究を通して啓示を受け入れる備えが必要です。
キリストのような憐れみを持つ
皆に、傷ついたときに慰めてくれる人がいて欲しいと思います。そして、そのような人になる責務が私たちにはあります。
不確かな中で方向性を見つける
不確実な状況に直面した時、私たちは信仰を持って前進することができます。神が私たちの個々の道を導いてくださることを知っているからです。
「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」
「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」
永続する個人の平安への道
わたしたちがキリストの贖罪に頼ってすべての聖約、すなわち聖なる愛に根ざした正義と憐れみの美しいバランスを完全に守らない限り、天の御父はわたしたちに完全な平安の祝福を授けることはできません。
どのように主の御名を担うか
イエス・キリストの弟子は完全ではありませんし、他の人たちがそうであることを期待しません。むしろ、主によってのみ、完全となることができると信じています。
うまく失敗し完全さを追求する
失敗は完全を追求する上で不可欠な部分です。神と贖いを信頼することで、失敗を成功に変えることができます。
100%の責任を負う
もちろん、救い主は世界の歴史上、最も責任あるお方でした。彼は最も偉大な模範です。耐え難い苦痛と苦悩の瞬間でさえ、無責任リストの一つである自己憐憫を全く示しませんでした。イエスは無私の心と気遣いによって、常に他の人をいたわりました。ゲッセマネでは兵士の耳を癒し、後に十字架上では、ご自分の戒めを果たすため、自分を憎む人々のために祈りました。
主なるキリストの贖罪により聖徒となる
愛する若き友人の皆さん、わたしも皆さんに証します。人生が皆さんに落胆や悲しみをもたらす時が訪れると思いますが、そのような時にもイエス・キリストの福音と、完全な福音を支持する教会が、真実かつ力強いものとなることを証します。