目の前にあるレースを耐え忍んで走りぬこうではないか ブラッドリー・P・オーウェンズ 2026年6月26日 https://speeches.byu.edu/jpn/talks/bradley-p-owens/let-us-run-with-patience/ --- おはようございます。兄弟姉妹の皆さん。皆さんと集えることを嬉しく思います。このディボーショナルに参加してくださりありがとうございます。ここにいる観客を見渡すと、家族や友人、同僚そして卒業生の顔が見えます。皆さん一人一人に心から感謝しています。皆さんの奉仕、信仰そして優しさの模範が、イエス・キリストに従いたいという私の望みを深めてくれました。皆さんの中に主の面影が見えるからです。ここに集ってくれたことに感謝しています。皆さんありがとうございます。皆さんを愛しています。今日、主の御霊が私たちと共にあって、私たち一人一人が必要とする霊感や慰めそして癒しを授けてくれるように祈ります。 BYUが私にくれた最大の祝福の一つは、BYU在学中に素晴らしい妻キャシーに巡り合えたことです。彼女は伝道でスイスから帰還し、独身会員のワードに移ってきたばかりでした。彼女をデートに誘おうとしましたが、なぜか肩に力が入りすぎてしまいました。 そのころ、独身会員のアクティビティー委員会はブラインドデートボックスを導入しました。それは、ワードの会員がお似合いだと思う二人の名前を書いて入れる箱でした。アクティビティー委員会は、その後二人に連絡し「ブラインドデートが決まりましたよ。木曜日の午後6時に街角で会ってください」とだけ伝えました。 しかし、恋愛欲を満たすためにブラインドデートボックスを使ってはならないと暗黙の了解がありました。しかし、そんなことになりふり構ってはいられませんでした。私は私の名前とキャシーの名前を箱に入れ、驚いたふりをしつつブラインドデートのパートナーを楽しみました。楽しい時間を過ごし、半年後には婚約し、結婚しました。結婚式の日には、アクティビティー委員会が成功談としてブラインドデートボックスをプレゼントしてくれました。全て上手くいきましたが、私たちの関係は嘘とルール破りから始まったのです。にもかかわらず、BYUではビジネス倫理を教えています。 ビジネス倫理学の教授として、私は恵まれたことに毎年350人もの学生を教えています。とても気に入っています。私の核にある目標は、生徒が仕事と生活について福音と原則に基づいて決断を下す能力を高めること、生涯を通じて成功する準備の助けとなることです。このクラスは意思決定に重きを置いているため、多くの学生と一対一で会い、人生の重要な選択について話してきました。生徒の中には、人生は想像通りに進まず、ずっと過酷だと感じる人がいることを学びました。人生のスピードが速すぎて、ついていけないと感じる人もいます。現時点では答えが見つからない質問を抱えていますし、義にかなった望みが一向に待っても叶わず苛立ちを覚えている人もいます。 こうした人生の悩みは、20代の時期—ロバート・D・へイルズ長老が「決断の10年」と呼んだ時期—において非常に重くのしかかることでしょう。この時期に若者が下す決断は、その後の人生に決定的な影響を及ぼします。 私の教え子たち—そしてこの世の旅に疲れている人たち—が信仰と忍耐をもって進むための力を見出す助けをいかにして行うかを祈る気持ちで考えています。重要な原則をまとめるにあたり、数年前に聞いてから今になっても信じがたいお話を紹介したいと思います。 クリフ・ヤングの物語 1983年に、61歳のある農家がオーストラリアのシドニーからメルボルンまで総距離870キロメートルを走るウルトラマラソンの主催者に連絡をしました。そして、そのマラソンに参加できないか聞きました2。他の参加者は記録保持者4やスポンサーを獲得している人などその道において有名で実績のあるランナーであったため、この農家のお願いを真面目に受け取りませんでした。 主催者側は「このレースの距離を知っていますよね」と尋ねました。「完走できると思った理由をうかがっても?」4。 農家はレースの距離を承知の上で完走できると言いました。なぜなら、馬や4輪車を買う余裕もない農家出身の彼には、嵐の前に広大な牧場で膝まであるゴム長靴を履いて2000頭近い羊を集めるために、時には3日かけて群れをまとめた経験があったのです。3日走れるなら、5、6日も走れば完走できると思ったのです。 主催者はしぶしぶ農家をマラソンに登録しました。レース当日の朝に、他のランナーは経験豊富なサポートチームと素敵なシャワーとベッド完備のトレーラーハウスを連れて姿を現しました。彼らとは違い、この農家は経験の浅いクルーと一組のランニングシューズを連れて古びたバンに乗って登場しました5。 スタートの号砲が空を裂き、ランナーは一斉に走り出しました。観客が言うには、この農家は走るというよりは足を引きずるように見えたそうです6。新聞各社は、ゴム長靴で鍛えられたこの農家をレースの新顔と紹介し、ほとんど誰も農家を競争相手とは思っていませんでした。 しかし、全国とマラソン界に衝撃を与えた、このクリフ・ヤングという61歳の農家はウルトラマラソンで優勝しただけでなく、870キロメートルを5日と15時間で完走し、大会記録を2日更新しました。 なぜこんなことが起きたのでしょうか? クリフの伝記やこの驚異的な結果を述べた記事を読んだところ8、クリフ・ヤングが優勝した主な理由は、レース初日にほとんど何もうまくいかなかったことでした。 何が上手くいかなかったのでしょう? まずレース最初の数時間、コースの標識が曖昧な区間で、道を知らないランナーの後を追った結果、クリフは道に迷いました9 。それがきっかけで、クリフは決意を固め他のランナーのペースや戦略を真似するのではなく、自分にとって正しいと感じた方法でレースを走りました。 その次に、クリフは初日の夜に当初の計画よりも数時間多く走り、道に迷ったりスピードの遅さによるライバルとの遅れを取り戻そうとしました。深夜12時ごろに走り終えた時、クルーの何人かは眠ってしまい、課された仕事である温かい夕食を用意していませんでした。苛立ちを覚えつつも、クリフは冷たい缶詰から取り出して食べ、疲れから倒れるように寝ました10。 当時、数日間に及ぶマラソンでは、ゴールまでのエネルギーを蓄えるためには最低6時間は眠ることがランナーの常識でした。しかし、クリフのチーフクルーであるウォーリ―は、早くスタートを切るために、クリフを朝6時に起こす責任を負っていました。 しかし、クリフと彼のチームに牙をむいた三つ目の問題は目覚ましアラームが鳴り、ウォーリーが二度寝した時に起こりました。ウォーリ―はその後目を覚まして、眼鏡をかけずにクリフが寝ている車に駆け寄り、「クリフ、起きろ。寝過ごしてしまった。もう6時過ぎだ。」と言いました。 クリフは飛び起き、靴を履いて、走り始めました。クリフの内心では、ライバルはもう既に走っていると思っていました。しかし、時間になっても日の出を見なかったので、クリフはウォーリーに何時か聞きました。 気まずそうに、ウォーリーは朝の4時だと伝えました。ウォーリーはうっかり朝の6時ではなく、朝の2時30分にセットしてしまっていたのです。クリフはその夜は2時間ちょっとしか寝ていませんでした。11 しかし、クリフは怒ることも止まることもなく、ただただ一歩ずつ前に進みました。それがきっかけで、クリフは簡素な食べ物と2-3時間眠るだけで問題なく一日中走れることが分かったのです。そうすることで、走る時間を最大限に伸ばすことに成功し、マラソンの結果を大きく変えることになりました。マラソン序盤に彼が経験した予期せぬ試練は、クリフのためになったのです。予期せぬ試練に対して根気強く対応したことで、思いがけない強みとなったのです。 レース最終日の5日目、クリフがゴールに向けて一歩踏み出すたびに、何百万ものオーストラリア人がこの思いがけないヒーローの勇気と決意に心を打たれ、国中が祝賀ムードに包まれたようでした。この日はオーストラリア人の根性と決意の象徴の日となりました。 私たちの人生は霊的な忍耐力を試すウルトラマラソンのようなものです。使徒パウロは、「わたしたちの参加すべき競争を、耐え忍んで走りぬこうではないか」と教えました。12 この地上での経験は、愛にあふれた天の御父の計画の一部として入念に練られ、御子の弟子となり、私たちの可能性を最大限引き出すことを目的としています。しかし、この経験に押しつぶされそうに感じるかもしれません。疲れ果ててしまい、本当にやっていけるのか疑問に思うこともあるでしょう。 クリフ・ヤングがレースを制するどころか完走するかも疑問視されていたように、私たちもまた人生を上手く生き抜くことは出来ないと信じ込ませようとする人がいるかもしれません。これらの人は、他者やサタン、時には自分自身かもしれません。しかし聖文と御霊、そして祝福師の祝福を通して、皆さんは神様の子供だと知ることになります。天の御父は皆さんを信じています。皆さんはこの地上に来て、非常に重要なレースを走るという賢明な選択をしました。そして、皆さんは数多くの良い決断をしてきました。その結果が、今の皆さんなのです。この事実は皆さんがこの地上でのマラソンを完走するだけでなく、見事な成功を収め、自信を育むでしょう。現在皆さんが思いつく困難や好ましくない状況に関わらず、皆さんが想像以上の人になれることへの疑念の元を消し去ることができます。 私たち全員にとって重要なのは、救い主と共にくびきを完全に背負うことです。クリフ・ヤングのこの武勇伝からこの極めて重要なカギといくつかのテーマについて、決断の10年にいる皆さんが下す4つの肝となる決断について考えていただきたいと考えています。これらの決断は皆さんがこの世という「レース」を走る助けとなります。 常に悔い改めて立ち返る まず、定期的に悔い改めて立ち返る決意をしてください。クリフ・ヤングのように、私たちは道に迷い、外れ、道を知らない人について行くこともあるでしょう。 悔い改めて立ち返るこの原則をまず際立たせておきます。なぜなら、このレースでペースよりももっとに重要なのは、私たちが進む方向が目指す最終目的地と一致しているか否かだからです。頻繁に進路を修正する必要があるでしょう。なぜなら、人生とは気移りしたり、誤解をしたり、回り道をするものだからです。 ラッセル・M・ネルソン大管長は、悔い改めを喜ばしい1日の習慣として受け入れることを教えました。次のように言っています。 日々欠かさず悔い改めに取り組むことほど、霊を自由にし、気高くするもの、言い換えればわたしたち個人の進歩に不可欠なものはありません。………幸福と心の平安を得る鍵です。信仰と組み合わさると、悔い改めはイエス・キリストの贖いの力に手を伸ばせるようにしてくれます13。 数年前にウェザーフォード・T・クレイトン長老が悔い改めの持つ立ち返ることについて話したことが大好きです。 キリストに対してさらに心を向ける時はいつも、私たちは悔い改めています。………御父に心から祈るとき、本当の意味で私たちは悔い改めているのです。聖文を読み深く考えるとき、私たちは悔い改めているのです。キリストやその福音を学ぶことで私たちが変化するとき、私たちは悔い改めているのです。私たちをより良く、より思いやり深く、より親切に、感受性が豊かになり、より霊感を受け、さらに良く高く、忠実な人に変えることを行うとき、私たちは悔い改めているのです。………私たちは皆、日々の生活の中で悔い改めますが、悔い改めの大部分は、主の言葉を聞き、実行することです。  つまり主に立ち返ることから来ます。 14 伝道から帰ってきて数か月ほど、年上で教養が高い知人が私を呼び出し、私の信仰を疑念で満たそうと何時間も試みました。この経験が原因で、しばらくの間、私は霊的な暗黒期にいました。信仰に確信が持てなくなっていましたが、毎日モルモン書を読み、祈る習慣は続けていました。霊的に苦しんではいましたが、この習慣を止めるべきではないと感じていました、たとえこの時期に天の光を感じづらくなっていてもです。なぜなら、この習慣は私に答えと祝福をもたらしていたことを知っていたからです。 この経験の数週間後、私がモルモン書を読んでいると、伝道日記を開いて、伝道でした経験を読むべきだと強い霊感を受けました。困難な時期に、このことは私に大きな影響を与えました。特に苦しい時期に、神様の愛に包まれていると感じた経験を幾つか読みました。広東語学習の能力が著しく伸びた経験を読みました。どこに行き、何を伝えるべきか導きを受けたとき、それは霊感から来たものだと知った経験を読みました。危機的状況にいても驚くほどの静けさを感じた経験を読みました。同僚と最初の示現の証をするたびに、力強い霊的な光が部屋を満たした経験を読みました。 過去の経験を読み返すと、信仰に確信を持てるようになりました。これらの実体験を繰り返すことの積み重なった効果は、私の人生に愛する神様の手がある揺るぎない証拠となりました。回復された福音が真実だと自ら得た証の力で再確認したとき、大きな平安と確信が戻りました。それはニール・A・マクスウェル長老が「思い出という説教台」と呼ぶ場所から、御霊が教えてくれたからです。15 この経験は、ニール・L・アンダーセン長老による次の教えにも見られます。 常に祈ることや聖約を守る決意をすること、そして聖霊の賜物によって、わたしたちは人生という旅路を歩みます。個人的な困難や疑い,落胆がその道を暗くするとき,あるいは自分ではどうすることもできない世の中の状況によって将来に不安を抱くようになったとき,命の書に記された人生にとって霊的に重要な記憶は,まるで光る石のように道のりを照らし,神がわたしたちを御存じで愛しておられ,みもとに戻ることができるように御子イエス・キリストを遣わされたことを確信させてくれます。 16 「霊的に重要な記憶」を書き残したことをこれからもずっと感謝し続けます。そうすれば、道が暗闇に包まれても、御霊によってもといた道に引き返すことが出来るのです。私たちがアンダーセン長老の霊感あふれる勧告に聞き従い、霊的に重要な記憶を記録し、読み返し続けることで、私たちの思いと心を主に向け続けることできるように祈ります。17 喜びをもって悔い改め、聖約の道に絶えず歩みなおすことを受け入れることで、私たちは目の前にあるレースを耐え忍んで走る助けとなるでしょう。 逆境を想定し、受け入れる その次に、逆境を想定し、受け入れる決意をしてください。倫理学教授として重要な目標の一つは、学生が刑務所のお世話にならないようにすることです。かなりハードルが低く聞こえると思います。でも存外容易ではありません。毎週金曜日の朝、ユタ州中央矯正施設では受刑者が小さな礼拝堂に集い、ディボーショナルに参加します。時折ゲストスピーカーとして彼らを訪ねた時に、私は決まって「あなたが私の倫理学のクラスに同席し、人生で学んだ最も重要なことを分かち合うことが出来るとしたら、何を教えるかな?」と尋ねてきました。 一人一人立ち上がり、時々涙を流しながら、心の痛みに耐えながら辛い教訓を分かち合いました。 ある人は「前向きになる習慣を身につけなさい。離婚してから、寂しさを埋めるためにやってはいけないことをした。」と言いました。 また別の人は「ひたむきに、核となる人間関係を育ててください。そうしなかった私は、人生が上手くいかなかったときに必要なサポートを受ける体制がありませんでした。」と分かち合ってくれました。 また別の人は聖約を尊ぶことについて触れ、「会員資格を適当に扱っていました。本当に後悔しています。」と言いました。 「正当化に気を付けてください。独房のドアがバタンと閉まる音と目隠しが外れようやく、私がどれほど鈍くなっていて、正当化の餌食になっていたか気づきました。」と言いました。 彼らの話に共通していることは、囚人のほとんどは重大な逆境に上手く対処できなかったと認めたことです。 この話と似たもので、私がBYUの学部生だったころ、人間発達の授業課題をあたえられました。破産、離婚、慢性疾患、または愛する人の死といった人生の逆境リストからランダムに3つを選びました。どのようにしてこれらの試練に対処できると理想か書くように頼まれました。決して心躍る課題ではありませんでしたが、目から鱗が落ちるような、意義深く貴重な体験でした。 講師は、私たちが直面する具体的な試練を前もって知ることは出来ないが、人生で何かしらの大きな試練に直面することは知っていると強調していました。この現実を受け入れ、前向きになる習慣と立ち直る力を築き、変わることのない永遠の物を心に刻むことで今から備えることが出来ます。私たちの人生においても、クリフ・ヤングのマラソンのように予期せぬ試練が予期せぬ強みになることがあります。それが、私たちの習慣を変え、行動方針を導き、聖約の道を進む速度を早めてくれる学びと自己発見を与えてくれるのです。 救い主は次のように約束しています。「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。18 結婚して間もないころ、何もうまくいかない酷い朝を迎えました。私がシンクのパイプを壊してしまいました。ホームセンターの道中で車を電柱にぶつけました。店にいる間に鍵を失くし、そのうえ、一言も口にせずホームセンターから帰る私を見て怖がりました。23歳の子供っぽい人の脳内では、後ろから飛び出して彼女を驚かせば、ストレスの多い日でも気分が明るくなり、面白くなるだろうと思っていました。そうなりませんでした。彼女は地面に崩れ、泣きました。そして、私も泣きたくなりました。 妻の名誉のために言っておくと、妻はひざまずき祈ることを提案してくれました。祈る中で、平安が少し戻り始めました。祈り終えると、神殿に行くべきだと印象を受けました。それからぼろぼろの小さな車でユタ州プロボ神殿へと向かいました。それは、わたしがこれまで経験した中で最も霊的に啓発され、情緒的に癒される結び固めのセッションの一つでした。その日の辛いことや私たちが抱えていた問題の深刻さは消え去り、平安と確信と希望に取って代わったかのようでした。 逆境の感じ方は、私たちの経験と期待が合致する度合いの認識により変わります。「日の栄えの考え」19を持つ一つの方法は、期待を希望に置き換えてみることです。「期待とはあらかじめ用意された恨みである」20が、希望は未来に向けた感謝が伴っているとよく言われます。希望は感謝で溢れた憧れと大きな余裕につながりますが、期待は往々にして不満に満ちた権利意識と頑なな抵抗に結びつきます。希望は神様と永遠の約束の中心にありますが、期待の中心にあるのは人と周囲の状況です。希望は永遠のアイデンティティと結びつきますが、期待はこの世での役割やアイデンティティに縛られています。21 希望期待感謝で溢れた憧れ不満に満ちた権利意識大きな余裕頑なな抵抗神様と永遠の約束中心人と周囲の状況中心永遠のアイデンティティと結びついているこの世での役割やアイデンティティに縛られている この希望のレンズを通して私たちの生活と逆境を見てみると、逆境を人生の有意義で不可欠な部分として想定し、受け入れることが出来るようになるでしょう。そうすることで、私たちは目の前にあるレースを耐え忍んで走れるようになるでしょう。 キリストと聖約に身を任せる そして最も大事なことが、キリストと主を通して有効となる聖約に身を任せる決意をすることです。クリフ・ヤングの経験の浅いクルーとは違い、イエス・キリストは非常に長い間、この現世のレースを無事に走りきることが出来るように、人々を導き、力を与えてきました。聖書にイエスは「救いを施す力」があるとありますが、それは主がその能力に非常に秀でていることを意味します。私たちには完全には理解できませんが、贖いを通して救い主は無限の霊的な力をもたらしました。聖約の道には、他の道では見られないほどの度合いで、この力が満ちています23。 デール・G・レンランド長老は次のように教えています。「複数の聖約を交わすことで、私たちはキリストに近づき、主とさらに強く結びつきます。これらの聖約を通して、私たちは主の力に与ることが出来るのです。」24 また、私たちはキリストを中心とした聖約の力を神殿を通して授かることを知っています。25人生の最も過酷な時期に、私はこの教訓を非常に納得のいく方法で学びました。その時期とは皆さんと同じように、疲れ果て打ちのめされていた時期です。 20年前にワシントン大学で組織行動学の博士号を取得したとき、私は何に熱意を持っているのか見当もつきませんでした。毎週読むように割り当てられる論文の山は、私には理解できない言葉で書かれているようでしたし、教授や他の博士課程の学生とこれらの論文について議論する際は、賢そうに振舞うプレッシャーがありました。最初の一年間は、彼らが話していることが理解できないとよく感じていました。私のクラスの他の学生は、週七日夜まで働き続け、夜遅くまで本を読むためにコーヒーを飲んでいました。これまで以上に奮闘していましたが、ついて行けないのではと思いました。助けと導きを求め祈ってきましたが、無力さに押しつぶされそうになり、何ヶ月もの間絶望の中にいました。 「もう無理だ。」とキャシーに言いました。「ついていけないよ。想像の何倍も過酷なんだ」。 自己不信と疲労がピークに達していたとき、「私のためにもっと時間を割いてくれたら、助けてあげられるのに」という印象を受けました。 主とさらに多くの時間を過ごす最善の方法は、主の宮にあると感じました。最初は、これらの気持ちを押しのけていました。ただでさえ忙しいスケジュールに神殿に訪れる回数を増やすなんて不可能に思えたからです。時間は私には足りない最も重要なリソースだったのです。しかし、私が今行っていることが上手くいっていないことは承知していました。そして、主と彼の業を第一にする聖約を果たそうとするなら、祝福があるという確信を得ていました。そこで、月に数回神殿に参入することを決意しました。 神殿で時を過ごす時間が増えるにつれ、物事は大きく変わり始めました。私の能力や将来に対する強烈な不安は消えていきました。神殿で感じた平安は、私の人生の他の面にも広がるようになりました。自分の進むべき道がはっきりと見え、希望を感じるようになりました。リーハイの家族のように穏やかな方法で、私は大学院と言う荒れ野をよりまっすぐ導かれていると感じました。 この増し加えられた力はほとんどの場合目に見えることはありませんが、目に見える祝福もありました。一つの大きな祝福は、奇跡的に頭にふと浮かんだ論文のサンプルでした。 博士論文の指導教官にリーダーシップと謙虚さを研究したいと伝えたとき、教官は「面白いね、ブラッド。でも、データを集めるためのサンプル源が思い浮かばないな」と言いました。 しかし、数週間たってから教官は私をオフィスに呼び、困惑した表情でこう言いました。「ブラッド、こんなことは初めてだよ。昨日地元のリーダシップコーチから連絡があって、彼のリーダーシップ研修の手法を学者に研究して欲しいと申し出てきた。彼の主目標は、リーダーに謙虚さを受け入れてもらうことだそうだ。」 学者気質で不可知論者である私の教官は、私を見て言いました。「ブラッド、いったい何が起こっているんだ。偶然では片づけられない。」 それから教官は目を細め、私を指さしながら「もしかして、…  祈り続けていたのか?」と言いました。 サンプルが用意されたこの奇跡を、教官が理解しようとする様子はかなり面白く、その様子はもがき苦しんでいた博士課程の学生とって深い憐れみでした。このサンプルは、私が15年も行ってきた研究の基礎となりました。博士課程に着手したのはかなり遅い時期でしたが、他の生徒よりも一年早く課程を終えました。キリストと神殿の聖約から来る増し加えられた力なくして、これを成し遂げることは出来なかったことでしょう。 神殿参入に関して、ネルソン大管長は総大会でこう教えています。 世の暗黒の霧に出くわしたとき、定期的に神殿で礼拝すること以上に皆さんの守りとなるものはないのです。これ以上に、主イエス・キリストと主の贖罪に対する証を強め、神の壮大な計画を理解する助けになるものはありません。苦しいとき、これ以上に霊をなぐさめてくれるものも、これ以上に天を開いてくれるものもありません。ほかにないのです!26 これが真実だと私は知っています。 主の聖なる宮で主を求めることを通して、キリストと聖約に身を任せることで目の前にあるレースを耐え忍んで走れるようになるでしょう。 最後まで堪え忍ぶ 決して絶対に諦めず、最後まで堪え忍ぶと決意してください。 クリフ・ヤングはマラソンの戦略について質問を受けたとき、ただ「ゴールラインまで走ること」と答えました。27 ヤングはクルーに、マラソンが始まれば、途中でやめることはないと伝えていました。28 一歩また一歩と歩みを進めることは、単純で繰り返すだけのように思えますが、この歩みが積み重なり、クリフ・ヤングのように胸に響き、高めてくれる業に繋がるのです。同様に、現世のマラソンで霊的に進み続けるには、心から祈り、聖文研究をし、喜びをもって悔い改め、奉仕し、聖約に従って生活する努力をする単純で繰り返す必要のある歩みが必要なのです。エネルギーを消費する肉体的な一歩とは異なり、霊的な歩みや習慣はエネルギーを補充するものです。この歩みをどれか一つでも行えば、霊的な推進力が生まれます。しかしこれらの歩みが組み合わさると、私たちの力と推進力は勢いが増し、レースに病みつきになるのです。キリストのおかげで、日の栄えのゴールラインを切ることが出来るという明確さと確信が得られます。29 この聖める歩みと聖なる習慣によって、私たちは霊的に最後まで堪え忍ぶことが可能になり、日々の生活で御霊が私たちと共にいるために、ネルソン大管長が私たちに勧めてきた個人の業を表すことが出来るのです。30  霊と言う言葉はラテン語のSpirareに由来します。意味は「息をする」です。31 ランナーが肺活量を増やし、身体的持久力を高めることが出来るように、ネルソン大管長は私たちに、御霊の息吹を受け、来るべきことに向けて備えられるように、霊的な肺活量を高め、霊的に整えるように求めています。そうするなら、旅の途中で息切れることも、疲れることも少なくなるでしょう。御霊をガイドとして連れて行くことは、最後まで堪え忍ぶ上で非常に重要です。なぜなら、花婿の来臨を前に暗さを増す世の中で、御霊はランプの油となり、それによって私たちが道を見つけ、再び戻ることが出来るからです。32 御霊を日々の伴侶とするように招いている、福音の歩みがもたらす新たな力を毎日受け入れ、最後まで堪え忍ぶと決意することで、目の前にあるレースを堪え忍んで走ることができるでしょう。 最後に 最後に、イエス・キリストのおかげで、私たちはこの現世でのマラソンを走りきるだけでなく、喜びや意義、成長そして奉仕という成功を手に、レースを終えられると証します。悔い改め、立ち返り、逆境を想定し、受け入れ、キリストと聖約に身を任せ、最後まで堪え忍ぶと心の中で決意するならば、絶えず更新される関係の中で、私たちはキリストと共にくびきを負うことになります。目に見える弱さや限られた経験、過去の過ち、信頼した人に失望し、人生が上手くいってないという事実に関係なく、イエス・キリストのおかげで私たちは成功するでしょう。主への希望を中心に据える人は「走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない」と約束されたからです。33 だから、「イエスと共に忍耐をもって目の前にあるレースを走り」、「信仰の導き手であり、またその完成者である」御方に歩みを更新し、助けていただきましょう。主は生きておられると証します。主が私たち一人一人を愛しておられることを知っています。これは主の業であることを証します。イエス・キリストの御名によって、アーメン。 © Brigham Young University.All Rights reserved