主の宮でイエスに会う アレン・D・ヘイニー 2024年9月12日 https://speeches.byu.edu/jpn/talks/allen-d-hayne/meeting-jesus-in-the-house-of-the-lord/ --- 必要に応じて翻訳を修正します。何かご提案があれば、speeches.jpn@byu.eduにご連絡ください。 フォルステ副学長、ご紹介ありがとうございます。正直なところ、私の人生で特筆すべきことは、デボラと結婚していること以外には特にありません。。彼女は素晴らしい妻、母親、祖母、友人であり、そしてキリストの弟子です。 このディボーショナルに出席する前に、多くの方が次のような会話をしたと思います。 「今日はディボーショナルに行くの?」 「どうしようかな…誰が話すか知っている?」 「アレン・D・ヘイニー長老という七十人らしいよ」 「ミドルネームのイニシャルは何のD?」 「わからないなあ」 「彼について聞いたことがないけど、いいお話をするのかな」 「さあね」 「ディボーショナルの最後にお菓子を配ったりする?」 「いや、それはないと思う」 「それならオンラインで聞いてみようかな」 「絶対聞かないでしょう」 「聞くかもよ」 「ありえないね。とりあえず様子を見に行こうよ。もしつまらなかったら昼寝でもできるから」 若い友人の皆さん、話者として期待のハードルが比較的低いと知っていることは、時折心地よいことです。しかし、へりくだって聖霊の助けを求めるなら、聖霊はいつも補ってくださいます。いつもです。 本題に入る前に、伝えておきたいことがあります。私は、若い頃ブリガム・ヤング大学に通いたいと思っていませんでした。親や兄弟が他の大学を選んだ影響で、この特異で素晴らしい場所の文化をよくからかっていました。すでに別の大学へ進学を決めた後、高校のカウンセラーがブリガム・ヤング大学の学生募集担当者と会うことを提案しました。わたしは担当者に、自分はブリガム・ヤング大学に通うことには興味がないこと、そしてそこで会っているのも授業をさぼるためだけであると伝えました。 彼は親切に名刺を手渡して、「気が変わったら、お電話をください」と言いました。 私は思春期の高慢な態度で、「あまり期待しない方がいいですよ」と答えました。 しかしその晩、ひざまずいて祈りを捧げ、担当者との会話について神様と話したとき、私は理由が分からないままに突然、計画を変更するべきだと確信しました。その次の月曜日の朝、担当者に電話をし、高慢な態度を取ったことを謝り、ブリガム・ヤング大学に進学したいと伝えたとき、どれほど自分が愚かだと感じたか、皆さんは想像がつくと思います。 その計画の変更は、数年後に友人とCougareat〔BYUのカフェテリア〕で昼食を食べていた時、非常に良い決断だったことに気づきました。何を食べていたのかを未だに覚えていることは驚きですが、ライスとビーンズ付きのチーズエンチラーダを食べている間に、友人がこの人を紹介してくれました〔当時のヘイニー長老の妻の写真が提示される〕。それから、これが起こりました〔二人が婚約した時の写真〕。さらにこれも。〔神殿結婚をした時の写真〕そして最後にこうなっています。〔現在の大家族の写真〕 私はこの大学に、単なる教育よりも多くの恩があります。ここで気づいたことは、成し遂げたいことやよく考えられた人生計画にかかわらず、また独身のままであっても、心と思いを開くことによって、Cougareatと同じくらいロマンチックな場所で永遠に続く関係を発見するかもしれないということです。そうすると、私のように年を重ねて振り返ると、この場所のあらゆる特別なところに対して、「指さしたり、あざけり笑ったり」1されることに屈すことなく、神聖な使命を堅固に守るこの場所に感謝をするでしょう。私は皆さんにも、「あの建物」2を自分の移住先に選ばないように願っています。なぜなら、あの建物はハンプティ・ダンプティのように「落っこちる」3からです。 主の宮でイエスを知る 以前、私の娘の一人は、2歳になったばかりの孫娘が本を読むまねをして、歌を歌っている動画を送ってくれました。何の歌か想像はつくと思いますが、2歳児の心と思いによって歌詞が少し変えられたことをご了承ください。〔動画が提示される。ヘイニ―長老の孫は、本をめくりながら「神殿に行きたいな」を歌っています。〕 時には、子供たちは舌を緩められて、「偉大で驚くべきことを話す」4ことがあります。「神殿に行きたいな」5の作曲者の助けによって、わたしの孫娘は聖約、従順、神殿の聖さ、結び固めの権能、永遠の家族について歌い、教えました。これは神殿の聖約に焦点を当てた人生から期待すべき効果をよく表しています。そして、私たちがこのような人生を望むべき理由は、それが明確さと喜びに満ちたものだからです。 ラッセル・M・ネルソン大管長は、神殿と神殿で起こるすべてのことの重要性について、次のように述べています。 神殿は、救い主と主の教義のまさに中心に据えられているため、わたしたちの信仰と不屈の霊性を強めるうえで最も重要です。神殿で指示と御霊を通して教えられるすべてのことは、イエス・キリストに対する理解を深めてくれます。 わたしたちが信じるすべてのことや、神が聖約の民と交わされる約束はすべて、神殿に集約されています。6 私が1976年の秋にブリガム・ヤング大学に通い始めたとき、世界中に神殿はわずか16箇所しかありませんでした。しかし現在では、177の神殿が稼働しており、59の神殿が建築または改装中、さらに99の神殿の建築が発表されています。私が皆さんの年齢だった頃から世界で最も重要な変化は、携帯電話でもインターネットでも人工知能でもなく、またオレムにIn-N-Out Burger 〔T.N.大人気のバーガーチェーン店〕ができたことでもありません。最も重要な変化は、主の宮へのアクセスが増えたことです。神殿は神と聖約を結ぶ場所であり、その聖約を守れば神は幕の両側において聖約を守ってくださるのです。おそらく私は歳を取りすぎているでしょうが、皆さんはブリガム・ヤングが「この業を達成するために、一つではなく数千の神殿が存在しなければならない」という言葉が現実となるのを見るかもしれません。7 天の御父は、ご自身の子供たちを教え、聖約を交わせる聖なる場所を常に望まれ、計画しておられました。もちろん、どんな場所でも神様からの導きを受け取ることはできますが、特に神がご自身の場所と宣言し、ご自身の臨在によって清められた場所には何か特別な雰囲気があります。 エデンの園はそのような場所でした。エデンの園は神によって選別され、植えられ、美しく備えられた場所であり、8アダムとエバにとって教えと聖約の場所でもありました。アダムとエバは園で御父と御子と顔を合わせて語り、御父のご自身の子供たちに対する計画について教えを受け、夫と妻として永遠に結び固められました。9生涯の試練とサタンの絶え間ない攻撃に直面するためにエデンの園を去る前に、二人とも皮の衣、現代では、ガーメントと呼ばれているものを授けられました。10神様が聖約の子供たちにガーメントを授け、着用することの重要性は、決して普通のこととは考えられません。それは最も神聖な交わりなのです。 その後、地球の初期の歴史を記述する聖典の中で、主が他の場所、特に山の頂上でご自身の預言者たちと個人的に語られる場面が書かれています。11エノクの場合、主は次のように命じられました。 シメオンの山に登りなさい。 そこで、(エノク)は引き返して、その山に登りました。そして、その山に立つと、(エノク)は天が開くのを見て、栄光に包まれました。 そして(彼は)主にまみえ、 顔と顔を合わせて(主)と話しました。12 その後、イスラエルの子らが荒れ野への旅を始めてから、主はモーセに幕屋を建てるように命じられました。モーセへの約束は、幕屋を建てるならば、主は(モーセ)に会い、贖罪所の上から…語るであろう」。13もう一度、聖なるガーメントは用意され、祭司の象徴的な意味を持つ衣服の下に着るガーメントも含まれていました。14このような衣服は洗いと油注ぎの儀式において「着せ」られたものです。15主の細かな指示に従い、幕屋が完成すると、「雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満みちた。」16この風に主は幕屋を受け入れ、その場所が主の聖なる場所になりました。 イスラエルの子らが約束の地を受け継いでから、主はソロモン王の手によって「モリヤ山」17で神殿の建設を承認されました。18神殿の完成後、「祭司たちは主の契約の箱をその場所にかつぎ入れた。」19イスラエルの子らが主をほめたたえはじめると、「雲はその宮すなわち主の宮に満ち…主の栄光が神の宮に満ち(た)。」20主はまたご自身の神聖な場所、つまり主の宮を個人的に受け入れられました。 現代において、主はカートランド神殿の奉献後に、復活し栄光を受けた御方として御姿を現され、次のように宣言されました。「見よ、わたしはこの家を受け入れた。そして、わたしの名はここにあるであろう。わたしは憐れみをもってこの家でわたしの民にわたし自身を現すであろう。」21 神様は「昨日も、今日も、またとこしえに変わることのない御方」22なので、主はご自身の現代の神殿をすべて受け入れておられると思います。ありがたいことに、わたしたちは不完全でありながらも、主の招かれた客として主の宮に入ります。主はその招きを何度も与えておられます。そして、それを受け入れるならば、それはネルソン大管長が約束したように、人生を「ほかの何をするよりも」23豊かにするのです。私たちは主の宮にしばしば入りたいと望むべきです。なぜならイエスは私たちをその場で心待ちにしておられるからです。 主の宮にまだ入ったことがない皆さんには、今入るべきかどうか主に尋ねるようお勧めします。24もし18歳以上で、高校を卒業し会員になって一年間が経ち、そして「神聖な神殿の聖約を受け,生涯を通じて守りたいという望みを抱いている」25ならば、エンダウメントを受ける準備ができます。伝道の召しや結び固めを待つ必要はありません。「しかし、はじめに皆さんはふさわしくなければなりません。焦ってはならないのです。準備の手を抜き、備えができていないまま聖約を破るような危険を冒すことがあってはなりません。」26 ありがたいことに、キリストの贖罪がもたらされる祝福のおかげで、わたしたちは皆、主の宮に入る備えをすることができます。しかし、そのような計画には反対の力が働くでしょう。なぜなら、「神殿は教会の霊的な強さの中心」だからです。「敵は、わたしたちが聖なる霊感あふれる業に参与し、(主の宮でより親密かつ神聖な方法で主を知ろうとする)ときに、それを妨げようとする」27ことを私たちは予期すべきです。 しかし、神殿に参入するだけでは不十分だということを、長年にわたって学んできました。主の宮で時間を過ごすことで、私たちの中に何か変わらないといけないのです。主の宮に入ったときとは異なる自分として出るべきです。しかし、それは必ずしも容易ではありません。 神殿での経験から余すことなく恩恵にあずかる 数年前、私は「神殿:天と地が出会う場所」28という本を読みました。マドセン兄弟は生涯の大半を神殿の儀式と聖約の研究に費やしました。その本の中で、マドセン兄弟は一時期神殿の経験の恩恵にあずかるのを妨げる三つの要因を紹介しました。今日、皆さんにそれらを分かち合うべきだと感じました。特に、義務感で神殿に参入し、何かを逃しているように感じる人のために分かち合いたいのです。 たとえ絶えず待ち望み、断食し、祈りつづけた経験をまだ経験していなくても、主は信仰を持ってご自身の家に参入する皆さんを愛しておられることを覚えておいてください。皆さんは多くの点において、天使に尋ねられたときのアダムに似ています。「あなたはなぜ主に犠牲をささげるのか。』そこで、アダムは彼に答えた。『わたしには分かりません。ただ、主が私に命じられたのです。』」29アダムは従順だったので、主はなぜ犠牲をささげるように命じられたかをアダムに教えるよう天使に命じられました。30主は真剣に「主の宮の敷居を越えて入って来るすべての者が、(神)の力を感じ、これが(神)の宮…であることを認める促しを感じますように」と約束されました。31 1.神殿に関する聖文を研究する さて、マドセン兄弟の著書の勧告に戻りましょう。彼が指摘した主の宮(または、偉大な族長であったヤコブが表現したように「天の門」)32の特別な祝福を認識したり、受けたりするのに妨げとなる要因の一つは、彼自身が「神殿に関する聖文を慎重に研究する」努力をしなかったということでした。33 私自身も、神殿に関する洞察と理解を得るのにもっとも役立つ情報源は、神殿に向けた慎重な研究だと学びました。34例として、神殿における油注ぎの儀式の意義に関して、皆さんの理解をもっと深めるための聖句を三つ紹介させてください。 1.「また(モーセが)注ぎ油をアロンの頭に注ぎ、彼に油を注いでこれを聖別した。」35 2.「その時サムエルは油のびんを取って、〔サウルの〕頭に注い(だ)…主の霊があなたの上にも激しく下って、あなたは(預言者たち)と一緒に預言し、変わって新しい人となるでしょう」と言いました。36 3.「サムエルは油の角をとって、その兄弟たちの中で、(ダビデ)に油をそそいだ。この日からのち、主の霊ははげしくダビデの上に臨んだ。37 神殿の儀式と関わり合い、より有意義な方法で理解したいと願っている人は、神殿と神殿の儀式について述べている聖文を読むことにもっと時間を費やしてください。そうすれば、主が皆さんに明らかにしてくださることに驚くことでしょう。結局のところ、主は聖約の子供たちに「(主)の王国に関するすべてのこと」を明らかにすると約束されました。38 2.神殿の祭壇で自分の罪を犠牲として捧げる マドセン兄弟が指摘した二つ目の問題は、「様々な点で自分はふさわしくないと感じ、それをあまり変えたくない」39ということでした。主は次のように宣言されています。「また、わたしは…あなたがたに一つの戒めをあたえる…自らを聖めなさい。まことに、あなたがたの心を清くし、またわたしの前に手と足を清めなさい。それは、わたしがあなたがたを清くするためであ(る)。」40 ヘンリー・B・アイリング管長はこう教えています。「十分に清くない状態で神殿に行くならば、神殿で受けることのできる救い主についての霊的な教えを、聖霊の力によって理解することはできないでしょう。」41 ですから、悔い改めは神殿で啓示を受けるのに不可欠であり、神殿で啓示を受けることは、神殿でイエスにまみえることによって経験すべき変化にも不可欠です。 毎週聖餐の儀式に参加することも、わたしたちを清くし、清さを保つ助けとなります。私たちは聖餐をふさわしい状態で受けるとき、数ある聖約の中でもバプテスマの聖約を新たにし、主は水と霊によって生まれたときに起きた清めを新たにしてくださいます。神殿の啓示を受けるにふさわしくなりたいと望むなら、より深い敬虔さをもって聖餐に臨むことが不可欠であると、わたしは信じています。 聖餐と神殿という二つの聖約の時間は密接に結びついています。どちらも、わたしたちの心を救い主とその贖いの犠牲に向かわせるものです。聖餐を受けるときに御霊に耳を傾けるなら、神殿で過ごす時間でより益を得るために何を変えるべきか、御霊がわたしたちの霊にささやいてくださることでしょう。そのときに、わたしたちには二つの選択肢があります。私たちはアダムとエバがいちじくの葉で裸を隠そうとしたように42自分たちの罪を隠そうとすることができます。一方、ラモーナイ王の父がしたように御霊が指摘した全ての罪を「捨て(る)」43こともできます。罪を捨てたいと望むこと、つまり神殿の祭壇に罪を置くことを通して、私たちはジョセフ・スミスとオリバー・カウドリがカートランド神殿での経験と同じような経験をすることができます。主はその場でこう宣言されました。「見よ、あなたがたの罪は赦されており、あなたがたはわたしの前に清い。それゆえ、頭を上げて喜びなさい。」44 3.主が象徴を通して何を教えようとしておられるか理解できるよう、御霊を求める マドセン兄弟が挙げた3つ目の障害は、自分に「儀式や象徴に対する敵意が根付いていた」ということです。45わたしたちが初めて神殿の儀式を経験したとき、儀式的かつ象徴的な側面が少々分かりにくく、多少違和感を覚えたとしても問題ありません。。しかし、この最初の印象で、主が何を教えようとしておられるのか、またさらに重要なことに、何を授けようとしておられるのかを理解するために努力するのを諦めてよいというわけではありません。ネルソン大管長が教えているように、「神殿参入がまだ好きになれない人は、回数を減らすのでなく、もっと頻繁に参入してください。」46それに加えて、頻度が増すにつれて、イエスを見出すために神殿に行ってください。 主は次のように宣言されました。 「また、この大神権は福音をつかさどり、王国の奥義の鍵、すなわち神の知識の鍵を持つ。 それゆえ、この神権の儀式によって神性の力が現れる。」47 神殿の儀式の美しい象徴的な側面は、儀式に内在する文字どおりの神性の力を理解し、感じる助けとなります。これらは近代のものではなく、むしろ「 (主によって)創世の前に定めかつ備えられた」48ものです。ある使徒が教えたように、「神様は象徴を通して教えておられます。それこそがご自身が大好きな教え方なのです。」49 わたしたちが心と思いに御霊を招き入れるなら、神殿の儀式の儀式的かつ象徴的な側面は、実に私たちにとって馴染み深いものであると見出すことでしょう。そして聖約を守るにつれて、私たちの人生に流れ込む神聖さが天の御父の元に戻る、かつ住む力となることを認識します。ネルソン大管長はこのように勧告しています。「神殿のエンダウメントは啓示によって与えられました。したがって、清い心で熱心に求めるときに、啓示によって最もよく理解できます。」50 4.神殿の儀式の中で、イエスを求める 私たちが神殿で礼拝する際に、よく起こる4番目の間違いを私から付け加えたいと思います。私たちは神殿の象徴全てがイエス・キリストとその贖い、そして「人の不死不滅と永遠の命をもたらす」というイエスの役割に心を向けさせてくれることを見逃すことがよくあります。51そのために主はジョセフ・スミスに次のように宣言されたのではないでしょうか。 「あなたの民がこの宮に入って来ることが、いつも主の御名によって行われますように。 彼らがこの宮から出て行くことが、いつも主の御名によって行われますように。」52 神殿の儀式に参加する際に、求めている感情を感じることができない人々が抱える多くの問題は、イエスを探し求めないことから生じます。主こそ、私たちが神殿に参入する理由です。主こそ、私たちが天の御父と神殿でお会いすることを望んでおられる御方です。主こそ、神殿におけるあらゆる象徴、儀式、聖約、そして待ち望まれる祝福の中心です。神殿でイエスを求めることは神殿にいる理由、そして再び参入する理由を理解する助けとなるのです。 ヘブル人への手紙の中で、パウロは古代の神殿の最も聖なる場所に入ることに関して、次のように宣言しました。 「兄弟たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所にはいることができ、 彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道をとおって、はいって行くことができるのであ(る)。」53 ヨハネはイエスの言葉を引用し、この聖句をより詳しく説明しました。「だれでもわたしによらないでは父のみもとに行くことはできない。」54私たちが神殿のとばりに立つとき、御父に対するわたしたちの弁護者は象徴的な意味において、私たちと御父の間に立ち、次のように言っておられます。55 「父よ、罪を犯したことがなく、あなたが御心にかなうとされた者の、苦しみと死を御覧ください。あなたの子が流した血、すなわち、あなた御自身が栄光を受けるために、あなたがお与えになった者の血を御覧ください。 そのために、父よ、わたしの名を信じるこれらわたしの兄弟たちが、わたしのもとに来て永遠の命を得られるように、彼らをお救いください。」56 象徴的な意味でとばりを通り抜け、神の元に入る瞬間は、ジョセフ・スミスが「わたしたちには何よりも神殿が必要です」57と教えた理由を理解するのに役立ちます。 神殿ガーメントを忠実に尊び、着用する 古代において、神聖な衣服は神の聖約の子供たちが「(主)のもろもろの戒めを思い起こして、それを行い、あなたがたが自分の心と、目の欲に従って、みだらな行いをしない」58ことを助けるために着用されていました。 それは現在でもそうです。主の宮で、あらゆる象徴的な意味を持つガーメントを与えられるとは、何とすばらしい、神聖な瞬間でしょう。その最も重要な象徴として、ゲツセマネの園と十字架上での救い主の犠牲と、主の栄えある復活の記念です。「神殿ガーメントは(私たち)が天の御父と交わした聖約の物理的なリマインダーであり、私たちが聖約を守れば、どんな祝福を受けられるか思い起こさせてくださいます。」59ガーメントは、「いつも御子を覚え、御子が与えてくださった戒めを守ること…いつも御子の御霊を受けられるように」という聖餐の聖約を尊ぶ助けとなります。60 ネルソン大管長は最近、神殿ガーメントについて非常に深遠なことを教えられ、私はそれを皆さんに分かち合う許可を頂きました。 「ガーメントは神殿のとばりを象徴しています。とばりは主イエス・キリストを象徴しています。ですから、ガーメントを着用する際、主イエス・キリストを象徴する神聖なものを着ていると感じるでしょう。つまり神の娘息子一人ひとりを贖うために行われた主の人生、主の教導、主の使命を着用しているということです。61 私たちは神殿のあらゆる面において主を見つけ、ガーメントの象徴においても主を見つけるのです。ガーメントを着用することで、私たちは神様にご自身の聖なる宮においてイエスの名を授かることを喜び62、主を常に覚えていることを宣言します。63 そのため、「ガーメントを着用したまま無理なく行える活動であれば、ガーメントを脱ぐべきではありません。また、服の様々なスタイルに合わせて、ガーメントに手を加えてはなりません。」64そのため、「基本的な原則はガーメントを着用し、それを脱ぐ機会を探さないことです。」65そのため、「神殿ガーメントを着用するのは、神聖な特権です。」66「(そうすることは)救い主イエス・キリストに従うという内なる決意を表すことができます。」そのため、「会員が,自分の交わした聖約に忠実であり,生涯にわたってガーメントを正しく着用するならば,ガーメントは守りにもなります。」67 第二エノク書68という聖書外典には、次の記述があります。 「そして、主は御自身の口から、わたしにこう呼びかけられた。「エノクよ、勇敢であれ。恐れてはならない!立ち上がって、永遠に私の前に立ちなさい。」そして主の最も大いなる天使長マイケルは、私を持ち上げ、主の前に連れて行った。 主はマイケルにこう言われた。「エノクを連れて行き、地上の衣服から解放しなさい。そして、彼に喜ばしい油を注ぎ、栄光の衣を着せなさい。」すると、マイケルは私を服から引き離した。そして、喜ばしい油を注いだ。 自分の体を見つめ、栄光を纏った者のようになりました。」69 これこそ、わたしが皆さんに望んでいる結果です。神殿では、「栄光を纏った者のように」なることができます。神殿では、聖約を交わして、それを守ることによって敵の霊的な攻撃に耐え、克服する力を得られます。神殿では、アダムとエバ、エノク、また古代の神殿の祭司たちのように、ガーメントを受けることができます。それは、ただのガーメントではなく、聖なる神権のガーメントです。そして、神殿の中でイエスにまみえることができるのです。 ネルソン大管長は最近こう教えられました。「神殿は奉献される度に、世の中に光が増します。」70ネルソン大管長が言う光とは、神殿の外観の照明ではないと思います。ネルソン大管長は私たち、神の約束の子供たちのことを言っているのだと思います。なぜなら、私たちはふさわしい状態で神殿に参入する度に、より多くの光を得て帰るからです。キリストがバウンティフルの地にある神殿で弟子たちと会い、彼らの顔つきが変わった時のように、私たちの顔つきも変わります。「弟子たちがイエスに祈っている間に、イエスは彼らを祝福された。イエスの顔の光が彼らを照らした。」71現在のわたしたちに対するキリストの約束は、それとよく似ています。「光を受け、神のうちにいつもいる者は、さらに光を受ける。そして、その光はますます輝きを増してついには真昼となる。」72 神様はご自身の神殿で私たちと聖約を交わしたいと望んでおられることを証します。その聖約は、ネルソン大管長が証したように、「神との関係を永遠に変え、」「わたしたちを途方もなく大きな愛と憐れみによって祝福します。」73私たちが準備し、自らを清めるとき、イエスはご自身の宮において強力かつ個人的な方法で御姿を現わすことを証します。継続的に神殿ガーメントを尊び、着用することを通して、私たちはイエスを覚える力を得られると証します。そして、「義と神の力とをもって、大いなる栄光のうちに武装する」74ことが可能になり、御父の王国において主と共同の相続人となるという希望に不可欠な霊的な守りを得られると証します。75 これらのことを、御霊の指示に従って、イエスキリストの御名によって証します、アーメン。 © Intellectual Reserve, Inc. 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