敵を友に変える シャロン・ユーバンク 2025年1月16日 https://speeches.byu.edu/jpn/talks/sharon-eubank/turning-enemies-into-friends/ --- 何年も前、ブリガム・ヤング大学にユージン・L・ロバーツという素晴らしいスポーツコーチがいました。彼はプロボで育ち、青少年のころは、当てもなく、悪い友達とつるんでいました。そして、驚くべきことが起こりました。彼自身の言葉から読み上げます。彼はこう書きました。 何年か前、プロボ市が粗末な酒場やその他の怪しげな娯楽施設で溢れていたときのことです。ある晩、道に立って仲間たちが現れるのを待っていたとき、〔プロボの〕タバナクルに明かりが灯され、大勢の人々が〔その〕方向に向かっているのに気づきました。何もすることがなかったので、その方向に向かいました。私は、仲間のギャングの何人か、または少なくとも私が興味を持っている女の子の何人かを見つけるかもしれないと思いました。中に入ると、私は3、4人の仲間に出くわし、ギャラリーの下に身を置きました。そこには、綺麗な若い女性たちがいました。 私たちは説教壇から何が語られるかには関心がありませんでした。演壇に立つ人々は皆、年老いていて、私たちはすでに人生について知っており、彼らから学ぶことはないと思っていました。そこで、私たちは座り込んで、楽しい時間を過ごそうとしました。騒がしさの中、説教壇から次のような言葉が鳴り響きました。 「日々の仕事の仕方では、その人の性格はわかりません。仕事が終わってからの彼を見てください。どこに行くか、誰と時間を過ごすか、一人でいる時に何をするかに注目してください。そうすれば、彼の本当の性格がわかるでしょう。」 私が演壇の方を見上げたのは、この力強い言葉に心を打たれたからです。そこには、黒髪で鋭い目つきをした、戦う男が見えました。私はこの話者を知っていましたが、特に好きではありませんでした。… …彼は続けて例えてこう言いました。 「鷲を例にとってみましょう。この鳥は、日常の仕事をする上で、他の動物と同じくらい一生懸命、効率的に働きます。いわば、額に汗して自分自身と雛たちを養います。しかし、日々の仕事が終わり、娯楽のをどのように過ごすかに注意してください。天の最も高い領域に飛び、翼を広げ、上空で太陽の光を浴びます。清い大気と高みを好むからです。 一方、豚について考えてみましょう。この動物は、うめき声をあげ、幼虫を食べ、鷲と同じように養いますが、労働時間が終わり、 〔いくつかの〕 娯楽の時間があるときは、どこへ行き、何をするかを観察してください。豚は牧草地の泥だらけの穴を探し、転がって汚物に浸ります。これが豚が好んでいることなのです。人々は余暇を豚のように過ごすか、鷲のように過ごすか、どちらかになります。』 さて … この短いスピーチを聞いたとき、私は唖然とし、恥ずかしげに仲間の方を目にしました。話を聞いている姿を見られるのが恥ずかしく思ったからです。仲間の全員がスピーカーに注意を向けているのを見て、私は何と驚いたことでしょう。… その夜、私たちは静かにタバナクルを出て、珍しく早く別れました。家に帰るまでずっとそのスピーチのことを考えていました。私はすぐに自分自身を豚のようだと見なしました。私はそのスピーチを何年も考え続けていました。その夜、豚のグループから抜け出し、鷲のグループに上り詰めたいという野心のかすかな始まりが私の中に植え付けられました。… その夜、豚の傾向を持つ人々が娯楽用の汚物に溺れにくくするために、社会の牧草地の泥の穴を埋めるのを手伝うという野心もかすかに生まれました。そして、その演説について絶えず考えた結果、私は自分の人生と職業を、若者たちが自然に、簡単に余暇を鷲のように過ごせるように健全な娯楽活動を開発することに捧げました。 私がこれまで聞いたどの演説よりもわたしの人生に影響を与えた演説を行ったのは、ジョージ・H・ブリムホール学長でした。  神のご加護がありますように。」1 これがロバーツコーチの話の終わりです。ジョージ・ブリムホールは、100年前にBYUの学長でした。ブリムホールは、BYUアカデミーから大学への移行を助けた学長でした。彼は当時のワーセン学長でした。そして、彼は人々を動かすその能力、つまりユージーンを動かしたことで尊敬され、賞賛されました。その日プロボのタバナクルでの話がユージーンのような人の心に触れたことなど、彼は気づいていなかったかもしれませんが、ユージーンの人生はすっかり変わり、BYUで尊敬される教師となりコーチになりました。 私は次の質問についてよく考えました。皆さんもきっとそうでしょう。余暇には何をすればいいでしょうか。そして、私は豚になるのでしょうか。それとも鷲になるのでしょうか。 もしかしたら、皆さんも私のように、「どの余暇?」と尋ねるかもしれません。皆さんは教会の召し、仕事、家族、友人、そして多くの責任を抱えて忙しい大学生であることを私は知っています。 しかし、数週間前のある経験をした後、どんなに忙しいと思っていても、主は私の行く手に機会を備えてくださっているので、私がしなければならないのは、それを生かすだけだということに気づきました。 私の経験は、トーマス・S・モンソン大管長の葬儀の後のことでした。モンソン家族は扶助協会に、モンソン大管長の葬儀のために送られてきた数十点の造花を、盆地内の様々な医療センターや病院に届けてもらえないかと頼みました。私は、モンソン大管長とモンソン姉妹の実家のすぐそばにある介護センターに、大きくて美しい造花の一つを持って行きました。机の後ろの女性は、造花があまりにも大きかったので、私が何をしているのか不思議に思っていました。しかし、私が状況を説明すると、彼女は微笑みました。モンソン大管長はその介護施設でとても有名で、愛されていたからです。彼は余暇に何時間も現地の人々と話をしていたのだと、私は学びました。 主が私たちに求めておられるのは、大がかりで時間のかかる行為ではないことが多いと、私は信じています。ただ、わたしたちが毎日何分か時間を取って、ほかの人を助けるために使って欲しいだけなのです。 あなたの兄弟姉妹のために 少し時間を取って、自分の祖父について、祖父から学んだ教訓や、皆さんの人生においてどのような人であったか、または現在どのような人であるかを考えてください。アンモンとモーサヤのほかの息子たちについて話したいと思います。彼らにはとても有名な祖父がいました。彼らの祖父はベニヤミン王でした。 ベニヤミン王が教えた深遠で説得力のある真理は、何世紀も過ぎた今日でも、私たちを動機付けています。実際、ラスベガスには別の宗教の信者によって運営されているフードパントリーがあり、彼らはベニヤミン王が語っているある聖句に共感し、フードバンクの壁にその聖句の文字を貼ったそうです。その聖句はわずか106文字ですが、私の余暇の過ごし方を永遠に変えてくれました。その聖句ははとても有名なモーサヤ書2:17です。 そして見よ,わたしがこれらのことを語るのは,あなたがたに知恵を得させるためである。すなわち,あなたがたが同胞のために務めるのは,とりもなおさず,あなたがたの神のために務めるのであるということを悟らせるためである。 若いころのアンモンは、ユージーン・ロバーツよりもさらに道をそれていました。聖文には、彼は友人たちと、「教会を滅ぼし、主の民を惑わそうと」したと記されています。2 さて、私たちが知っているように、アンモンは奇跡的な改宗をしました。その結果、祖父の106文字の種が心の中で育ち始めたのです。アンモンと3人の兄弟は、若いころは豚のように歩き回っていましたが、鷲のように舞い上がりたいと願いました。彼らはレーマン人の地へ行くようにという霊感を感じました。なぜでしょうか。聖文には次のように書かれています。 彼らは野蛮で、かたくなで、残忍な民に神の言葉を宣べ伝えようとしていたからである。その民は,ニーファイ人を殺したり,ニーファイ人のものを盗んだり,奪ったりすることを喜びとしていた。また彼らは,富,すなわち金銀や宝石に執着しており,しかも彼らは,これらのものを手に入れるのに自分の手で働くことなく,殺人や略奪によって手に入れようとしていた。3 アンモンとその兄弟たちはなぜ、良い変化をもたらさないものや、死においやるようなことに、貴重な時間を使ったのでしょうか。彼らはそのような危険のない政府の座に着くことができたかもしれません。彼らは地域社会の偉大なリーダーになることができたかもしれません。 モーサヤ書28:3-4にはその理由が書かれています。 彼らは、だれであろうと人が滅びるのに耐えられなかったからである。まことに、無窮の苦痛を受ける人がいると考えただけで、彼らは震えおののいた。 このように、主の御霊が彼らに働きかけた。 彼らはかつて罪人の中でも最も罪深い者であった。しかし主は、その限りない憐れみにより、彼らを救うのが御心にかなうとされた。 そこで彼らはレーマン人の地へ行きました。皆さんが御存じのお話です。 アンモンがイシマエルの地へ入ったところ,レーマン人は彼を捕らえて縛った。レーマン人は,自分たちの手に落ちたニーファイ人を皆縛って,王の前に連れて行くのを習わしとしていたからである。そして,捕らえたニーファイ人を殺すか,束縛の身に置くか,牢に入れるか,それともその地から追い出すか,それは王の意のまま,思いのままに任されていた。… このようにして、アンモンはイシマエルの地を治めている王の前に連れて行かれた。… 王はアンモンに、この地にいてレーマン人の中で暮らしたいか、すなわち自分の民の中で暮らしたいかどうか尋ねた。 そこで  アンモンは王を驚かせて言った。「はい。しばらくこの民の中で暮らしたいと思います。死ぬまでここに住むかもしれません。… …[そして]王の僕になりたいのです。」4 アンモンの祖父は、孫からそのような言葉を聞いたらどれほど喜んだことでしょうか。「わたしはあなたの僕になります。」 アンモンは羊飼いになるよう割り当てられました。その場にいた他の僕たち、すなわちほかの羊飼いたちは、おそらくラモーナイ王ほどアンモンに関心を抱いてはいなかったことでしょう。アンモンが羊飼いとして忙しくしていた3日間がどのようなものだったかは分かりませんが、レーマン人はニーファイ人が自分たちと一緒に働いていることに反感を覚えたのではないでしょうか。 しかし、3日後、問題が生じ、群れは野蛮な男たちによって散らされました。アンモンは「自分の同胞と呼ばれた人々の苦難を見て」5 彼らを自分の兄弟のように思っていました。あの大惨事が起きたとき、男たちが羊を追い散らしたとき、僕たちは自分たちが殺されるのではないかと恐れ、アンモンの心は胸がいっぱいになりました。彼は、今こそ兄弟たちの僕となるチャンスだと悟ったのです。 これはすばらしいことではないでしょうか。主は彼らをレーマン人、敵、あるいは愚か者の集まりとは考えていませんでした。アンモンは、彼らが自分の兄弟であるかのように感じました。 兄弟たちの僕であるというこの姿勢は、アンモンが再びレーマン人の王と話す機会となりました。ある改心した罪人が別の罪人を教えたため、レーマン人の王は自分の罪と習慣について心を痛めました。彼は心の中で、どうすればイエス・キリストの功徳によって神と和解し、それらの罪と殺人を取り去ることができるのかと尋ねました。アンモンとラモーナイ王は次第に互いを理解するようになり、友人になりました。結局、彼らは互いのために死ぬことをいといませんでした。 モーサヤの息子であるこの若い王子たちの勇気が大好きです。たとえ罪がどれほど重かったとしても、悔い改めて主に仕えるならば、僕となり、主イエス・キリストを通して与えられる平安の模範となるのです。 私たちはどのように神に仕えるのでしょうか。その答えは、ある祖父の知恵にあります。「あなたがたが同胞のために務めるのは、とりもなおさず、あなたがたの神のために務めるのである。」 私はラモーナイ王とその父親と兄弟アンタイ・ニーファイ・リーハイの勇気と、泥を払いのけて高く舞い上がったことに感銘を受けます。ラモーナイの父は、聖文の中で次の美しい一節を与えてくれています。「おお、神よ、… わたしはあなたを知り、自分の罪をすべて捨てます。」6 私たちの間に見知らぬ人はいない 従来では考えもしなかったような人々に手を差し伸べる方法として、より現代的な例を紹介しましょう。皆さんの多くは、中央扶助協会会長だったリンダ・K・バートン姉妹を覚えていると思います。2016年4月の総大会では、キリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒が皆信じている次の聖句を引用しました。7 レビ記19章です。そこにはこう書かれています。 もし他国人があなたがたの国に寄留して共にいるならば、これをしえたげてはならない。 あなたがたと共にいる寄留の他国人を、あなたがたと同じ国に生れた者のようにし、あなた自身のようにこれを愛さなければならない。 あなたがたもかつてエジプトの国で他国人であったからである。わたしはあなたがたの神、主である。8 バートン姉妹は私たち一人一人に、私たちの中にいるよそ者について考えるように言いました。何らかの理由で社会から外れている人はいませんか。言語、生い立ち、障がい、宗教、家族の状況、人生の選択、その他様々な理由により、輪の中に十分に参加できていない人はいませんか。その人たちを兄弟姉妹として考えることができますか。その人たちに仕えることができるでしょうか。 バートン姉妹が2016年にこの話をして以来、私はこの偉大な行動の呼びかけに関連する実例の数々に畏敬の念を抱いています。一つ皆さんと共有したいと思います。この記事はDeseret News(ユタ州のニュース局)から引用しました。ソルトレーク・シティー南部のリンコーン小学校で行われました。そこには15カ国の異なる国から来た生徒がいます。 登校初日、シリアから到着したばかりのハメド兄弟は、ミルトン・コリンズ校長に迎えられました。校長は寛大な性格で、ボブキャット(リンカーン小学校のマスコット)の唸り声をあげるらしいですが、それがどんなものなのかも想像できません。彼はすべての子供がリュックを持っていることを確認し、「ああ、そういえばハイタッチは忘れずに。廊下で私を見かけたら、ハイタッチをしに来ないといけないよ。」と生徒に言っていて、いじめられていると感じたら、すぐに大人のところに行くようにとも教えています。9 ミルトン・コリンズの仕事は校長であることですが、子供たちの人生で善い影響を与えられるように、自分の仕事の枠を超えて働いています。子供たちは爆撃や飢え、愛する人の死、不安を経験してきました。そして今、学校の初日に、彼らは大変怯えていました。溶け込めるのか、友達ができるのかもわかりませんでした。そして、彼らの両親は彼らよりもさらに怖がっていました。イエス・キリストの真の弟子として、勇気を持ち、問題を抱えている人々に進んで奉仕し、助け、ほかの人を自分の兄弟姉妹として考える習慣を生涯にわたって身につけなければなりません。 現在も起きている大きな人道的危機も、過去に家や土地を追われた人々も、根本的には、わたしたちが兄弟姉妹であり、神が私たちすべての御父であられることを覚えておくことを怠ったことにあります。それが世界で起こっていることの根本的な原因です。そして、人道的な方法で対応すれば、たくさんの食糧を送り、井戸を掘り、トイレを建設し、学校や医療センターを建て、人々をアパートに住まわせることができます。しかし、自分の兄弟姉妹ではなく、見知らぬ人のように感じることに対して何かをしなければ、すべてが無駄になり、感情的および霊的な惨めさのサイクルを助長するだけです。 人に仕えることは神に仕えることであるとベニヤミン王が教えたように、また、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」10とイエス御自身が言われたように、アンモンもバートン姉妹もミルトン・コリンズも、そのように行動しました。 皆さんが贈り物 世の中には、限られた資源を用いてベニヤミンのような望みをもって、同胞と神に仕え、膨大な量の善を行っている組織や人々が非常に多く存在します。私はそのような人たちと仕事をする特権に恵まれており、世界で何が行われているかを見ることができています。私がこれまで目にしてきた、最も永続的な善をもたらすものについて、私自身の経験から皆さんにお話しします。人道支援活動に携わりたいのであれば、これが方法です。今日のフォーラムで皆さんにこのことを覚えていてほしいと思います。皆さんは贈り物です。皆さん自身が贈り物なのです。衣類でも、衛生キットでも、学校の机でも、井戸でもありません。皆さんです。 もし私たち一人ひとりが、品揃えの豊富な人道支援組織だったらどうなるでしょうか。外国で有形の品物を配るだけでなく、癒し、友情、尊敬、平和的な対話、真摯な関心、子供たちを守るための傾聴、誕生日を覚えておくこと、見知らぬ人との会話など、豊かさを与えることができたらどうでしょうか。もし、皆さんの人道支援団体がそれを行ったとしたらどうでしょうか。このような人道支援活動は、だれでも、いつでも行うことができます。また、倉庫も資金調達も輸送も必要ありません。どこにいても、どんなニーズにも完璧に応えることができます。 このような人道支援組織についてのロバート・D・ヘイルズ長老の言葉を紹介します。彼は親と子の交わりについて話していましたが、これを、より広い人類の家族に人道支援を提供する方法の手引きと考えてください。 若人を導き若人に仕えるために召された親とすべての人を励ましたいと望んでいます。… …父親、祖父として… わたしが学んだことを少し紹介させてください。… …〔若人の〕気持ちを真に理解するには,同じ部屋にいたり,家族や教会の活動に一緒に参加したりする以上のことが必要です。彼らの思いと心に,深く,永続する印象を残せるような「教えるひととき」を計画し,うまく使わなければなりません。… …母親と父親の皆さんは,学校や様々な活動に子供を連れて行く途中,その時間を使って,子供の希望や夢や恐れや喜びについて話し合っているでしょうか。皆さんは時間を取って,子供たちにMP3プレーヤーやそのほかあらゆる装置のイヤホンを耳から外してもらい,子供たちが皆さんの言葉を聞き,皆さんの愛を感じることができるようにしていますか。… …少年時代に,夕食の時間も野球を続ける許可を求めたことがあります。「食事はオーブンに入れておいて」と母に言うと, 「ロバート,お母さんはあなたに,少し休んで,家に帰って来て,家族と一緒に食事をしてほしいの。そうしたら,暗くなるまで野球をしてもいいわ」と言われました。母は家族全員に,家族で食事をするときに,心に栄養を与えてくれるのは食べ物ではなく,家族の交流であることを教えてくれました。母は,最も大きな愛を与える場所は家庭であると教えてくれました。 若人と交流して真に彼らの心に触れるには,信頼する成人の同僚や親しい友人に向けるのと同じような関心を若人に向けなければなりません。最も大切なのは,質問をして,彼らに話してもらい,それから喜んで聞く,そうです,聞いて,もっと聞いて,霊の耳を傾けるようにして聞くことです! 数年前に,わたしが新聞を読んでいると,幼い孫が横にぴったりくっついて座りました。わたしは読みながら,ぺちゃくちゃと何か言い続けるかわいい声を楽しんでいました。驚いたことに,しばらくすると,孫はわたしと新聞の間に強引に入って来たのです。そして,両手でわたしの顔を挟み,鼻をわたしの鼻に押し付けて, 「おじいちゃん,ほんとうにそこにいるの?」と言いました。 お父さん,お母さん,そこにいますか。おじいさん,おばあさん,そこにいますか。そこにいるとは,若人の気持ちを理解し,若人とつながるという意味です。若人とつながるとは,単に言葉を交わすという意味ではなく,何かを一緒にするということです。… 主の祝福が親と,忠実な家庭で育てられる若人とともにあり,彼らが愛され導かれる家庭と家族の中にいることの喜びを理解できるように,わたしは主に願います。わたしたちが永遠の家族を持ち,父なる神と御子イエス・キリストの御前で永遠に一緒にいることができるように,わたしは祈ります。11 預言者たちが私たちに与えてくれた模範について考えます。私は介護センターでこの目で見ましたが、モンソン大管長は日常的に、寄り添う人がだれもいない人々を訪問していました。新しい大管長会が発表された記者会見の間、たまたま私はラッセル・M・ネルソン大管長の家族が待っていた部屋にいました。孫が57人、ひ孫が116人います。孫娘の一人が「おじいちゃんはみんなの名前も誕生日も知っているよ。彼は誰よりもこまめな人なの。」と言いました。 それらが預言者の模範です。それらは特別壮大な例ではありませんが、意義深いものです。私は全人類を救われた救い主について考えます。福音を理解しない文化の中で教えなければならなかったのです。そのメッセージを全世界に発信しなければならなかったのです。そして彼はどうしたのでしょうか。ダンからベエルシェバまで100マイル以上を歩いて往復し、人々に一対一で仕えました。福音を全世界に広めるのは難しいと感じることでしょう。しかし、イエスはそれをなさったのです。 貧しい人や助けの必要な人の世話をすることが、物を与えることではなく、人とのふれあいへの飢えを満たし、有意義な会話をし、豊かで前向きな関係を築くことにつながるように見方を変えるなら、主は私たちをどこかに送ってくださるでしょう。これは、だれもが自分でできます。資金は必要ではありませんが、ある程度の決意が必要です。肯定的な反応を示さない人もいれば、毒のあるエネルギーを放出する人もいます。それは彼らがまだ皆さんとの関係を築く準備ができていないことを意味します。私たちがまだ手を差し伸べることのできない人道支援の場は常にあります。しかし、私たちが手を差し伸べることのできる事柄もたくさんあります。 私たちは、コミュニティの団結と他の人々の信念の尊重、違いに対する寛容さ、少数派の声の保護がズタズタに引き裂かれている世界に住んでいます。私たちの狭いコミュニティ以外のすべての人を、非難し敵にすることは、私たち全員にとって極めて破壊的です。私たちの社会でそのような勢力が台頭するにつれ、反対側でもそれに応える強い感情とスキルが生まれなければなりません。 もし私に力があるなら、皆さん一人ひとりに降りてきて、私の前に立ってもらい、皆さん一人ひとりを、神の教会から神の王国への平和と友好の人道支援大使に指名するでしょう。これは誰が良い人で誰が悪い人かという問題ではなく、誰が金持ちで誰が貧しいかという問題でもありません。モーサヤの息子たちとラモーナイ王のレーマン人は、私たちは皆、失敗し、時には間違いを犯し、様々な罪に苦しみ、沼にはまることを私たちに教えてくれました。しかし、イエス・キリストの恵みを通して、私たちは悔い改めることができ、より良い人になるために、さらに主のようになるために努力し続けることができます。そして、神のようになろうとすることで、私たちとはまったく異なる方法で善のために努力している人々、正しい理由で正しいことをしようと努力している人々、そして私たちと同じように過ちから立ち直ろうとしている人々と同じチームになることができます。 最後に、教義と聖約の中で主が語っておられる言葉で締めくくりたいと思います。主は、御自分が遣わされる皆さんのような大使たちに直接語りかけておられます。これは、私たちの背中を軽くたたくような気持ちのよい聖句ではありません。これは、私たちのように、すべての人々、言い換えればシオンの安全と平等な機会に心を向ける人々への、大胆かつ力強い行動への呼びかけです。 これは、教義と聖約58章です。 見よ,まことに,あなたがたに言う[自分の名前と入れ替えられる]。わたしはあなたがたをこの理由で遣わしたのである。すなわち,あなたがたが従順であるため,またあなたがたの心が来るべきことについて証を述べるように備えられるためである。 さらに、あなたがたが基を据えるという誉れと、また神のシオンが立つ地について証するという誉れを与えられるためである。 また、肥えたものの祝宴が貧しい者のために備えられるようにするためでもある。まことに、預言者たちの口が偽りを言わないことを、地の人々が知ることのできるように、肥えたものと、澱がよく精製されたぶどう酒の祝宴が備えられるようにするためである まことに、よく備えられた主の家の晩餐に、すべての国民が招かれるであろう。 まず、富者と学者、知者と貴人が招かれる。 その後、わたしの力の日が来る。それから、貧しい者と、足の不自由な者、目の見えない者、耳の聞こえない者が、小羊の婚宴に来て、来るべき大いなる日のために備えられた主の晩餐にあずかるであろう。 見よ、主なるわたしがこれを語った。 また、証がシオンから、すなわち神の譲りの町の口から出るように、 まことに,この理由で,わたしはあなたがたをここに遣わし〔た〕。12 今日皆さんに残したい質問は、次のことです。心の貧しい人たちをどのように助けるつもりですか。キルトを縫うように関係を縫うことができますか。敵を兄弟として見始められますか。皆さんは豚として生きたいですか、それとも鷲として生きたいですか。 主は言われました。「このために、わたしはあなたがたをつかわしたのである」。穴に閉じ込められ、泥だらけで鷲のように羽ばたくことができないと感じたら、勇気を出してください。モーサヤの息子たちのことを心に留めてください。ラモーナイとその民を模範として考えてください。 主は皆さんを使いたいと思っておられます。皆さんには、皆さんだけの、皆さんの能力に合った、なすべき業があります。皆さんにしかできないことがあるでしょう。しかし、それをするには清くなければなりません。イエスは皆さんを沼から引き上げ、皆さんの道を歩むようにしてくださるのです。悔い改めるなら、主は赦してくださいます。覚えておいていただきたいのは、救い主がされたのと同じように、皆さん自身が、助けの必要な人々に与えることのできる最高の贈り物の一つであるということです。 これが私の証です。私の人生においてもそうでしたし、私たちもそうなりますように、イエス・キリストの御名により、アーメン。