ジョセフ・スミスから学ぶ教訓 ボニー・L・オスカーソン 2025年5月29日 https://speeches.byu.edu/jpn/talks/bonnie-l-oscarson/lessons-from-joseph-smith/ --- 兄弟姉妹の皆さん、今日ここに立って皆さんと話すのは、私にとって考えられない夢のような体験です。48年前、私は17歳の新入生として初めてこのキャンパスに足を踏み入れました。そして、スミス・フィールドハウスでBYUディボーショナルに参加し(まだマリオット・センターがなかったので)、私は皆さんと同じように話者の話に耳を傾けたことを覚えています。 状況は当時とずいぶん変わりました。女子学生はキャンパス内でズボンを履くことが許されていませんでした。そう、私たちは冬の間ずっと寒かったのです。私たちは毎年、とても長いバケツリレーで山のYの字を白塗りし、ついには、Yの字には本物の火が灯されました。当時は、デビッド・O・マッケイが預言者であり、リンドン・B・ジョンソンはアメリカ大統領でした。また私はベトナム戦争で良き友人を失いました。良いニュースは、私がBYUを卒業できたことです。悪いニュースは、卒業するのに41年もかかったことです。当時の私は卒業できたことに大喜びしていましたが、そのような教育計画はお勧めしませんよ! 私の人生の中で、いつかマリオット・センターの壇上に立ってディボーショナルのスピーチをする日が来る、などという考えを抱かせるようなものは何もなかったと断言できます。この3年半の間で私の人生に起こった多くの出来事と同じように、「私のようないい子が、どうしてこんなことになったのか不思議です」1 とよく言っていたマージョリー・ペイ・ヒンクレー姉妹に心から共感します。おそらく、このことからいくつかの教訓が得られるでしょう。 ジョセフ・スミスの生涯から学ぶ教訓 12月は預言者ジョセフ・スミスの誕生月です。それをヒントに、ジョセフ・スミスの幼少期の出来事から着想を得て、皆さんの現在の状況や生活に役立ちそうな3つの原則についてお話したいと思います。 教訓1:あなたには果たすべき、重要な使命がある ゴードン・B・ヒンクレー大管長はかつてエドワード・T・サリバン牧師の次の言葉を引用しました。 神がこの世で大きな業を成し遂げたいとき、あるいは大きな過ちを正したいとき、神は非常に変わった方法でそれを行う。地震を起こしたり、雷を落としたりしない。その代わりに、無力な赤ん坊をお生みになる。2 長い背教と霊的暗黒の時代を経て、イエス・キリストの教会が、キリストの時代の最初の教会にあった全ての鍵と権能をもって、地上に回復されるという主の約束を果たす時が来ました。主はどのような方法でこの偉大な業を成し遂げられるのでしょうか?赤ん坊が産まれたのです。 1805年12月23日、ルーシー・マック・スミスという貧しい農家の妻が男の子を出産し、その子の名を父親ジョセフ・スミスにちなんで名付けました。ジョセフ・スミスは彼らの4番目の子供で、彼には2人の兄と1人の姉がいました。3バーモント州の森の中にある小さな賃貸ログハウスで、裕福とは言えない家族のもとに生まれたこの無名の小さな男の子が、いつかこんな風に語られる日が来るとは誰が想像できたでしょうか。 主の預言者であり聖見者であるジョセフ・スミスは、ただイエスは別として、この世に生を受けた他のいかなる人よりも、この世の人々の救いのために多くのことを成し遂げた。4 ジョセフ・スミスの幼少期から最初の教訓を学ぶことができます。私は、ジョセフ・スミスが回復の預言者となるよう前世で予任されていたと証します。彼は特定の賜物と能力を持って生まれ、それを伸ばすために懸命に努力しました。彼は学び、成長するためにあらゆる機会を利用しました。彼は意欲的に自らの能力を伸ばし、より大きくしたことで、それら全てが彼の使命を果たすのに役立ちました。 私はまた、皆さん一人ひとりが、何かを成し遂げるために運命づけられて地上に来たことを証します。バーモント州の森で生まれた小さな男の子が、目立たなかった様に、皆さんには世界に大きな変化をもたらす可能性があると理解するのは難しいかもしれません。今日、この聴衆の一人ひとりが、永遠の価値を持つ行いを成し遂げるために、主の御手の中で力強い道具となる能力を持っていることを、私は約束します。主が私たちを見ておられるように、私たち自身を見ることができれば、私たちは皆、その可能性に驚くことでしょう。 皆さんは、男女それぞれ、他にはないバランスの取れた教育を受ける素晴らしい機会を与えられていると理解すべきです。私が皆さんに望んでいることは、自分を安売りしないということです。私たち国民は、結婚、母性、そして父性に高い優先順位と重きを置いていますが、それは当然のことです。永遠の家庭は、私たちの神学と教義において最前線かつ、中心に位置するものです。母親や父親の役割は、現世でも来世でも最も重要な召しです。今は永遠の関係を真剣に求めるべき時ですが、同時に教育と準備の時でもあるのです。ですから皆さん、志を高く持ちましょう! 自分自身を伸ばしてください。成長するため、学ぶため、経験を積むため、そして教育と学習を深めるために、あらゆる機会を利用してください。人生のこの時期ほど、知的能力を拡大する機会が得られる時期はないかもしれませんから。 人生の道は人それぞれです。全ての学びにおいて、聖霊の促しに耳を傾けることを学んでください。そうすることが自分の将来に関する重要な決断を下す助けとなります。結婚のチャンスが訪れたとき、あなたはより良い妻や夫、母親や父親になれるでしょう。もし結婚が遅れたとしても、あなたの人生はより豊かなものになり、学習と知識のためのあらゆる機会を活用したおかげで、より多くのことに貢献できるでしょう。 私が最初に暗記した聖句の一つは教義と聖約130章18-19節でした。 わたしたちがこの世において得る英知の一切は、復活の時にわたしたちとともによみがえる。 そこで、もしある人が精励と従順によって、この世でほかの人よりも多くの知識と英知を得るならば、来たるべき世でそれだけ有利になる 私たちが来世に持っていけるのは、私たちが培ってきた願望や性格的な特徴、家族関係、そして学んだ知識だけです。それらが、私たちがこの人生で時間と努力をどこに費やすかの指針となりますように。今こそ、「(私たちの)勤勉と従順によって」、この方程式の「知識を得る」段階のための最良の時であると悟ることができますように。 本質的に言って、知性と知識は単なる教育的なものではありません。それらはまた、人生のあらゆる分野において、自分自身を完成させるための探求に関わっています。あなたは自分の可能性に応え、自分が何者であるかという知識に忠実に生きていますか?私たちは自分の基準、行動、人間関係、そして精神的・知的啓発の探求において、”平凡であること”に満足してしまいます。もしあなたがこの世で与えられた特権にふさわしく生きていないのなら、今こそ、現在、そして数年後に自分がどうありたいか、どうありたいかを再評価し、世間が容認しているような平凡さから抜け出すための変化を起こすよい機会です。 ジョセフ・スミスは様々なことを成し遂げしましたが、彼が決して妥協しなかったことの一つは、平均的、もしくは平凡であることです!そしてジョセフ・スミスが、主が彼に託された使命を果たすために、特定の時と場所に来るように選ばれたのと同じように、あなたもまた、今この地上に来るように選ばれ、主があなたに託された使命を果たすのに役立つ賜物、能力、経験、機会を与えられてきましたし、これからも与えられるでしょう。覚悟を決め、聖霊の促しに従い、志を高く持ちましょう! 教訓2:非難に立ち向かう 預言者ジョセフの幼少期から得た2つ目の教訓は、彼の最初の示現の経験から得たものです。私たちは皆、1820年の春の日に聖なる森で若きジョセフが経験したことで、世界にもたらされた偉大な霊的真理をよく知っていると思います。 天は再び開かれ、神の真の性質が明らかになりました。しかし、この経験が 14歳の少年の人生に引き起こした、突然かつ不可逆的な変化について考えたことがありますか? この偉大な出来事が彼の社会的地位に与えた影響について、ジョセフ自身が次のように語っています。 わたしはこの示現を受けてから数日後、前に述べた宗教上の騒ぎの中で盛んに活動をしていたメソジスト派の説教者の一人とたまたま一緒になった。そして、宗教のことについて彼と語るうちに、わたしは、その機会をとらえて、自分の受けた示現の話をした。ところが、わたしは彼の振る舞いにひどく驚いた。彼はわたしの話を軽くあしらっただけでなく、ひどく軽蔑した調子で、それはすべて悪魔から出たものであって、この時代に示現や啓示のようなものはなく、そのようなものはすべて使徒たちで終わっており、今後決してそのようなものはない、と言った。 しかし、それから間もなく、わたしがその話をしたことが、信仰を告白する人々の間にわたしに対する大きな偏見を引き起こし、ひどい迫害の原因となったことを、わたしは知った。そして、迫害は増し続けた。わたしはたかが十四、五歳の名もない少年であり、生活の状況からいっても世の人々の中で取るに足ない少年であったにもかかわらず、地位のある人々はわたしに目を留めて、一般の人々の心をわたしに敵対するようにあおり、激しい迫害を引き起こそうとしたのである。これはすべての教派に共通したことで、すべてが連合してわたしを迫害したのであった。5 14歳の頃の自分を思い出してください。家族以外の信頼できる大人全員があなたをからかい、迫害し始めたら、あなたはどう反応しますか?自分自身を疑い始めたでしょうか? 現在の文化はどうでしょうか?バスを待っているとき、教室に座っているとき、家で自分の部屋に座っているときなど、どこにいても絶え間なく情報や誤った情報を流すデバイスを、私たちは皆持っています。何に注意を払い、何を信じ、何に影響をされるかを決定づけるために、私たちはどのようなフィルターを備えているでしょうか? ジョセフ・スミスが世論や迫害に悩まされたとき、彼が使用したフィルターについて述べられた言葉を読んでみましょう。 わたしについても同じであった。わたしは実際に光を見た。その光の中に二人の御方を見た。そして、その方々が実際にわたしに語りかけられたのである。たとえ示現を見たと言ったことで憎まれ、迫害されたとしても、それは真実であった。そして、そのように言ったことで、人々がわたしを迫害し、わたしをののしり、わたしに対して不当にあらゆる悪口を浴びせているとき、わたしはこのように心の中で言うようになった。「真実を告げたことで、なぜわたしを迫害するのか。わたしは実際に示現を見た。どうしてわたしは神に逆らえようか。なぜ世の人々はわたしが実際に見たものを否定させようとするのか。」わたしは示現を見た。わたしはそれを知っていた。神がそれを御存じであるのを、わたしは知っていた。わたしはそれを否定できず、またそうする勇気もなかった。少なくともわたしは、そのようにすれば自分が神に対して罪を犯し、罪の宣告を受けるということを知っていた。6 ジョセフは14歳という若さにもかかわらず、自分の知っていることを頼りにして、周囲の懐疑論者に立ち向かいました。主が私たちの人生に与えてくださったものに対する信仰を行使するとき、私たちも主から助けを受けると私は信じています。私たちはバプテスマを受け、天の御父と聖約を交わしました。皆さんの多くは神殿で神聖な聖約を結んでいます。信仰を持って前進し続けるとき、わたしたちは主から次のことを約束されています。 そして、あなたがたを受け入れる者がだれであろうと、わたしもそこにいるであろう。わたしはあなたがたに先立って行こう。わたしはあなたがたの右におり、また左りにいる。わたしの御霊はあなたがたの心の中にある。また、わたしの天使たちはあなたがたの周囲にいて、あなたがたを支えるであろう。7 私は教義と聖約の6章に記述されているオリバー・カウドリの経験から得た教訓が大好きです。主はオリバーに、祈りが聞かれ、平安を感じたときのことを思い出すように仰いました。「神からの証よりも大いなる証があるであろうか」8。 主は、私たちが聖霊を感じた時を思い出し、過去の経験を用いて私たちを強め、信仰を守れるようにしてほしいと願っておられると思います。 みなさんは、必要な時に助けをいただくという約束を受けています。生活の中で御霊を感じたこともあるでしょう。そして、福音に生ける喜びの実を見出す経験をしたことがあるでしょう。反対勢力が現れたり、御霊を感じにくい試練に遭遇したりしたときには、その証を受けたときのことを思い出し、両手で力の限り信仰にしがみつきましょう。 最近の総大会でロナルド・A・ラズバンド長老は次のように述べました。 わたしは皆さんに特に危機に直面しているときには、御霊を感じたときのこと、証が強かったときのことを思い出すように勧めます。自分が築いてきた霊的な基を思い出してください。 個人の神聖な霊的経験を決して忘れたり疑問視したり、ないがしろにしたりしないでください。サタンのもくろみは人を霊的な証から引き離すことですが、主の望みはわたしたちを照らし、主の業に携わるようにすることです。9 この世からくる疑問、懐疑、疑念に直面したとき、主の使徒、ディーター・F・ウークトドルフ管長の賢明な助言に従ってください。「自分の信仰について疑いを持つ前に、その疑いを疑ってみるよう心からお願いします。」10 皆さん一人ひとりが、きっと人生のある時点で、オリバー・カウドリと同じような証を神から受けたはずです。インターネットで読んだことを鵜呑みにして、そのような体験をすぐに否定してはいけません。聖霊をあなたの真理のフィルターとしてください。 ニール・A・マックスウェル長老はかつてこう述べました。「イエスを理解するためにユダにインタビューするように、脱会者の目を通してしか教会を研究しようとしない人がいます。」11 皆さんが信頼できると知っている純粋な情報源、すなわち聖典、生ける預言者の言葉、聖霊のささやきから真理を求めるよう強く勧めます。自分の見たもの、感じたものを信頼し、信仰を揺るがすことのなかった14歳の少年の強さ、堅固さから学ぶことを強くお勧めします。 教訓3:悔い改めの原則を理解する ジョセフ・スミスの生涯から学ぶもう一つの素晴らしい教訓は、悔い改めに関係しています。ジョセフ・スミスはわずか22歳という若い預言者であった時、モルモン書の翻訳の初期段階で同調圧力に負け、重大な判断ミスをしてしまいました。その結果、モルモン書の翻訳の最初の116ページが失われてしまいました。彼は主から厳しい懲らしめを受け、こう告げられました。 見よ、あなたは人を神よりも恐れてはならなかった… …あなたは主の業を行うために選ばれた。しかし、背きのゆえに、あなたは用心しなければ落ちるであろう。12 この若い預言者の立場に立って考えてみましょう。この話が展開されるとき、皆さんはジョセフ・スミスがどう感じたか想像できますか?おそらく彼は、自分が筆舌に尽くしがたい永遠の重要なものを託され、主を失望させてしまったことを理解したことでしょう。私たちは皆、そのような気持ちに共感できませんか?私たちは皆人間であり、罪を犯し、過ちを犯すものです。 ほんの数節後、この同じ章で主がジョセフに言われたことに耳を傾けてください。 しかし、神は憐れみ深いということを覚えておきなさい。それゆえ、あなたが行ったことで、わたしがあなたに与えた戒めに反する行いを悔い改めなさい。そうすれば、あなたはまだ選ばれた者であって、再び業に召される。13 この言葉は、預言者ジョセフにとってどんなに癒しになったことでしょうか。彼は、まだ希望があること、そして主は愛と赦しをもっておられ、いつでも再出発することを許してくださることを知ったのです。 罪を悔い改めるという能力は、福音の最も基本的で、しかも栄光に満ちた教義の一つです!それは神の子どもたちすべてに与えられた賜物であり、救い主イエス・キリストの贖罪のゆえに可能となります。イエス・キリストの招きは優しく、個人的であり、愛に満ちています。主はすべての人にこう仰いました。 わたしがあなたがたを癒すことができるように、今あなたがたはわたしに立ち返り、自分の罪を悔い改め、心を改めようとしているか? まことに、あなたがたに言う。あなたがたは、わたしのもとに来るならば、永遠の命を得るであろう。見よ、わたしの憐れみの腕はあなたがたに向けて伸べられている。わたしは来る者をだれでも受け入れよう。わたしのもとに来る者は幸いである。14 悔い改めの原則はネガティブなもの、つまりはビショップ室へ行かないといけない本当に深刻な罪だけに必要なものと考えられがちです。確かに、真剣な悔い改めは確かに重大な罪を克服するために必要です。しかし、実際には悔い改めは日常的な考えや行動の一部であるべきです。「悔い改めは…神とその人自身、そして世の中に対する新しい見方を伝える思いと心の変化です。」15 日々の軌道修正こそが、日々、そして年々、私たちが進歩し、向上し、変化していく助けとなるのです。イエス・キリストの贖罪があるからこそ、私たちは重大な過ちを克服し、習慣、人間関係、思考において、昨日よりも今日、より良い人間になることができるのです。それは、私たちに希望を与えてくれる喜ばしい祝福であり賜物です。悔い改めなければ、希望はなく、絶望しかありません。 ジョセフ・スミスの失われた116ページの経験を見ると、彼が自分の過ちから学んだことが分かります。この時点から、彼は祈りの中で受けた答えが気に入らないと、主を責めたり、質問したりしなかったことに気づくでしょう。預言者としての召しを失ったと思ったときの彼の気持ちは、生涯忘れられないものだったのでしょう。彼は困難なことや不人気なことを要求されましたが、決して揺らぐことはありませんでした。私たちは皆、預言者ジョセフのようになり、失敗から学びたいと願っていると思います。それでも、わたしたちの罪にもかかわらず、「主は…み手は伸ばされ」16、そしてこれからもそうであるという主の約束を心に留めてください。 私は預言者ジョセフ・スミスが大好きです。彼の生涯、模範、経験は私たちが福音の原則を学び、理解するための豊かな情報源となります。今日は3つだけ述べました。それは、最善を尽くそうと努力すること、批判に直面しても信仰を持ち続けること、悔い改めを日常生活の一部とすることです。この神の預言者の生涯をよく研究すれば、もっと多くの豊かで、かつ重要な人生の教訓が得られることでしょう。 ジョセフ・スミスについての個人的な証 預言者ジョセフ・スミスについての私の個人的な証を分かち合いたいと思います。そして、なぜ私たち一人ひとりが、ジョセフ・スミスが神から召された回復の預言者であることを、自分自身で知ることが不可欠なのかを説明したいと思います。 当時、私は7〜8歳の少女で、本を読むのが好きでした。ある日曜日の午後、私は読みたい本を探していて、ウィリアム・A・モートンの『農家の少年から預言者へ』という小さな本を本棚で見つけました。私はその本を手に取り,ジョセフ・スミスの生涯と経験を簡略化して読み始めました。一人の青年が聖句に促されて自分の疑問に対する答えを求め、どの教会に入るべきかを主に尋ねるために森に入ったことを、そのシンプルな小さい本で読みました。その気取らない農家の少年が、真昼の太陽よりも明るい栄光と光の中で、父なる神と御子イエス・キリストの訪問を受けたという話も読みました。 確かに、その話は以前にも聞いたことがありました。しかし、その日、その話を読んで、聖霊からこれが真実であるという確証を初めて感じたことを今でも覚えています。私は心の中で確証を得ました。主が地上の子どもたちに語りかけておられ、私たちの時代にも預言者がいるのだと思うとワクワクしました。それは、イエス・キリストの回復された教会がこの後の時代に設立されるという、私の確信と証の始まりでした。 初めは子供のような信仰でしたが、それで十分でした。その後、セミナリーの生徒になってモルモン書を読みました。それが真実かどうかを問う必要はありませんでした。読みながら、ジョセフ・スミスが主張したことが全てであり、彼の使命を確認するものであるという、今ではおなじみの暖かさと御霊からの確認を感じていたからです。モルモン書が真実であるならば、ジョセフ・スミスが神の預言者であることのさらなる証拠となるのです。 その後、私は早朝セミナリーの教師に召され,その年は教義と聖約と教会歴史を学びました。子供たちは昼間は学校に行っていたので、私は毎日ダイニングテーブルで教会歴史に関するあらゆる本を手にしていました。ジョセフ・スミスの生涯、教会歴史の初期の記述、そして彼が受けた啓示について、毎日何時間でも読みふけりました。飽きることはありませんでした。私は釘付けになっていました。 最近になってから、ジョセフ・スミスや教会歴史のある側面について物議を醸すような疑問が生じたことは興味深いことですが、私は自分の人生において、そのような時期があったことに感謝しています。何年も前に、私はジョセフ・スミスの生涯と教会初期の歴史を勉強するため、それらのすべてを読みました。預言者の時代に彼を中傷した人たちによってなされた中傷の数々を、私は既によく知っています。ですから、それらが「新しい情報」として再浮上し始めたとき、私の反応はこうです「本当に?またこんな古いことを?」 。正確な知識と信仰は、懐疑論に対する最善の防御となるのです。 私たちはイエス・キリストが世の救い主であることと、ジョセフ・スミスが回復の預言者であることを含めて証を持つように勧められています。その理由を説明するブルース・R・マッコンキー長老の言葉を最近見つけました。彼はつぎのように仰っています。「預言者ジョセフ・スミスはこの神権時代の偉大な長の一人であり、神権時代の長とは、その時代と期間において、キリストと救いについての知識をもたらす啓示者です。」17 マッコンキー長老は続けて、証会は常に行われてきたと述べています。もし私たちがアダムやエノクの時代に生きていたら、彼らの真の召しを証し、救い主に結び付けたことでしょう18。 イエス・キリストが私たちの救い主であり贖い主であること、ジョセフ・スミスが世の始めから召され、この神権時代の鍵と権能を持つ管理者として、この時代の先頭に立つよう定められていたことを証します。ジョセフ・スミスは、この時代にイエス・キリストの知識と救いをもたらす啓示者です。ジョセフの生涯から、私たちの人生を鼓舞し、導く、多くの重要な福音の教えを学ぶことができることを証します。私は、モルモン書が真実の書物であり、イエス・キリストの使命のもう一つの証であると証します。末日聖徒イエス・キリスト教会が今日の地上における主の王国であることを証します。私は、聖霊によってもたらされた力と証によって、これらのことが真実だと知っています。イエス・キリストの御名によって証します。アーメン。 © Brigham Young University. 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