
ボニー・L・オスカーソン
ボニー・L・オスカーソン姉妹の好きな聖句は教義と聖約101章16節「安らかにしていて、わたしが神であることを知りなさい」です。「安らかにして」という戒めはオスカーソン姉妹に大きな影響を与えました。というのも彼女は幼い頃、家族で何度も引っ越しており、大学に通うまでにアメリカ国内の5カ所に住んだからです。1950年10月23日、ボニー・リー・グリーンとしてソルトレーク・シティで生まれたオスカーソン姉妹は、彼女の両親は彼女にとって、喜びに満ちた忍耐の模範であり、これらのすべての転居を通して、引っ越しをストレスや大変なものにするのではなく、家族にとってエキサイティングなものにする方法を常に見出していたと言います。彼らはまた、自分たちの家を新しい改宗者、新婚の夫婦、高齢者、あるいは友人を必要とする人たちの交わりの場として提供することで、どこにいても主の王国を築くことに力を注ぎました。彼女の両親の模範がもたらした影響は、ボニー・L・オスカーソン姉妹が他者への奉仕に献身する女性へと成長するにつれて見てとれるようになりました。
ボニーはミズーリ州ファーウエストの神殿でポール・オスカーソンと出会い、1969年にソルトレーク神殿で結婚しました。BYUで学んでいた商業美術を一時中断し、ボニーはポールの故郷であるミズーリ州セントルイス近郊に一緒に引っ越しました。ボニーが育ってきた各地を転々とするライフスタイルを続けながら、二人はその後ニュージャージー州、マサチューセッツ州、テキサス州で暮らしました。現在では7人の子供と多くの孫がいます。BYUを去って35年後、オスカーソン姉妹は学位取得のために戻り、英米文学を専攻して卒業しました。
両親がそうであったように、オスカーソン姉妹と夫はどこに住んでいても教会で献身的に奉仕しました。彼女は青少年と働くのが大好きで、ワード若い女性会長を3回、ステーク若い女性会長を2回務め、早朝セミナリーの教師を9年間務めました。セミナリーの教師をしていたときは、聖典について学び、より深く学ぶ機会が与えられたので、とても楽しかったそうです。オスカーソン姉妹はまた、夫がステーク会長であったとき、夫とともに奉仕しました。
結婚早々、オスカーソン姉妹は1976年から1979年までスウェーデン・ヨーテボリ伝道部を管理するために、今までの彼女の人生で最も遠くへ引っ越しました。それから30年後、2009年から2012年まで、オスカーソン夫妻はスウェーデン・ストックホルム神殿の神殿会長とメイトロンとして奉仕しました。現在、オスカーソン姉妹はスウェーデン語に堪能であり、夫と共にスウェーデンの人々への愛を分かち合っています。
ボニー・L・オスカーソン姉妹は2013年に末日聖徒イエス・キリスト教会の中央若い女性会長に召されました。2015年からは教会の宣教師委員会の委員も努めましたが、女性でそれを務めたのは彼女が初めてでした。教会の青少年と女性、そして一般会員に向けの説教で、オスカーソン姉妹は頻繁に家族、姉妹関係、人生における誠実な信仰と改心の重要性について延べ、それらを強調しています。彼女は優しくも大胆に、奉仕すること、そしてより大きな信仰を持つよう会員に勧めています。奉仕する人々への愛が物語っている様に、彼女の救い主イエス・キリストと、回復された福音についての証は明確なものとなっています。