ディボーショナル

救い主キリストがお生まれになった

十二使徒定員会員

2002年12月10日

十二使徒定員会の会員、ラッセル・M・ネルソンは、2002年12月10日にブリガム・ヤング大学でこのディボーショナルの講演をしました。

必要に応じて翻訳を修正します。何かご提案があれば、speeches.jpn@byu.eduにご連絡ください。

クリスマスまであと2週間となり、わたしたちの家や家族に思いを馳せます。ネルソン姉妹とわたしは、多くのクリスマスの慣習を楽しんでいます。暖炉のマントルピースには、家族一人一人の小さな額入りの写真が飾られています。10人の子供とその伴侶、54人の孫がいるので、かなりの数の写真です。わたしたちは家族写真を随分と長く集めてきたので、ほとんどはもはや最新ではありません。子供たちは、たくさんの写真の中から自分の写真をまっさきに探しに行きます。

また子供たちは、ネルソン姉妹が世界各国からたくさん集めた人形にも見とれます。これらの人形は、クリスマスツリーの枝の間に置いています。姉妹のクッキー、ケーキ、キャンディーは大人気です。そして、わたしたちは家族と一緒に聖典にあるクリスマスの物語を読むのが大好きです。

様々なクリスマスの伝統を通して、わたしたちはまず最初に主イエス・キリストに焦点を合わせることを願っています。博士たちは今でも主をあがめています。この特別なディボーショナルでは、十二使徒の一人から、私たちの師、主であるイエス様についてもっと学べるようにと、多くの皆さんが心で祈りを捧げていると思います。

わたしたちは、12月ではなく、おそらく4月に起こったことを知っているにもかかわらず、この時期にイエスのつつましい誕生を記念します。聖典には,救い主の母マリヤはヨセフのいいなずけであったことが明言されています。彼らは、ユダヤ人の結婚式の2つの要素のうち、最初の部分に参加しました。現代の婚約と似ていて、後で実際の婚礼が行われます。

ルカの記録には、天使ガブリエルがマリアに現れて彼女の恵まれた未来を伝えたことが記されています。第1章から読みます。

「恵まれた女よ、おめでとう…すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あなたは

神から恵みをいただいているのです。

見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。

彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。」1 (ルカ1:31-32)

御父はいと高き者であられ、イエスはいと高き者の子となるはずでした。

「そこでマリヤは御使に言った、『どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに』。」2

彼女は自分が処女であることを知っていました。

「御使が答えて言った、『聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう』。」3

ヨセフとマリヤが夫婦となる前にマリヤは聖なる御子を宿していました。ヨセフはマリヤを守りたいと思いました。4正式に結婚せずに子供をみごもった女性に下される刑罰を免れさせたいと思ったのです。これらのことを思いめぐらしていると、天使ガブリエルがヨセフに現れて次のように告げました。

「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。

彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである。」5

マリヤとヨセフは「イエス」という名前の深い意味を教えられるまでもありませんでした。その語源であるヘブライ語の「エホシュア」は「エホバは救いである」という意味です。ですから,程なくイエスと名付けられる主なる神エホバの業は、救いの業でした。イエスは世の救い主となられるのでした。

モルモン書で、ニーファイが御使いと交わした対話が、ニーファイ第一書11章に記録されています。

天使は次のように尋ねました。「神が御自身を低くされることがあなたに分かるか。」6

ニーファイはこのように答えました。「『わたしは神がその子供たちを愛しておられることは知っていますが、すべてのことの意味を知っているわけではありません』。

すると天使は言った。『見よ、あなたが見ているおとめは、肉に関して神の御子の母である』。

そしてわたしは、そのおとめが御霊に連れて行かれるのを見た。そのおとめが御霊に連れて行かれてからしばらくして、天使がわたしに『見なさい』と言った。

それで眺めると、腕に幼子を抱いたおとめが見えた。

すると天使がわたしに言った。『神の小羊、 まことに永遠の父なる神の御子を見なさい』。」7

ルカ書第 2 章には,わたしたちがクリスマスの時期に語る、大好きで慣れ親しんだ出来事が記されています。

「そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た」。8

実際のところ、これは人頭税を課すための人口調査、すなわち全ローマ帝国における市民の登録でした。ヘロデ王は人々が自分の先祖の地へ出向いて登録するように命じました。当時ナザレに住んでいたマリヤとヨセフは,南方にあるダビデの町まで約145キロ旅をしなければなりませんでした。ダビデの町との間には、対立関係にあるサマリヤ地方があったので、もし迂回したのであれば、道のりはもっと遠かったでしょう。ほぼ間違いなく,彼らは,同じ理由で先祖の地へ行くことになった親戚と一緒に移動したことでしょう。この困難な旅に、犬やロバなどの動物を連れて行ったに違いありません。移動に3日か4日を要したはずなので,数夜は野営したことでしょう。

7節: 「初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。」9

この聖句について考えてみましょう。わたしたちはその時代と地域の文化を意識する必要があり、ギリシャ語の原文から1つの単語を学ばないといけません。ギリシャ語の新約聖書では、客間が翻訳された原文はkataluma(カタルマ)です。英語にはこれに相当する単語はありません。ギリシャ語の接頭辞 kata(または cata)は、時間的にまたは場所的に「下ろす」ことを意味します。catabolism(異化)、catastrophe(災い)、cataclysm(破局)などの英語の単語で見られます。kataにlumaが付くと、人々が旅を中断する、あるいは休憩する場所を意味します。カタルマは、宿泊施設の客間でした。

当時この地域のアジアの宿屋は、現代のビジネスホテルや高級ホテルとは異なっていました。西アジアのその地域の宿泊施設は、旅する隊商に宿泊設備を提供していて,人も動物も泊まることができました。隊商は当時(そして今も)「キャラバンサリ」つまり「隊商宿」として知られる施設に泊まりました。辞書でキャラバンサライとカンを見つけるとアジアのいくつかの国ではそれぞれレストハウスとして定義されています。

このような施設は一般的に長方形で、動物のための中庭があり,中庭を囲んで、壁に仕切られた、人が寝泊まりする小部屋がありました。小部屋は動物のいる中庭よりも少し高くなっていて,出入り口に戸はなく,飼い主が動物の様子を見ることができました。

ルカ書第 2 章 7 節のジョセフ・スミス訳では、“inns”(「客間」)には彼らのいる余地がなかったとあり,隊商宿のすべての小部屋が満室だったことを示しています。ギリシャ語の新約聖書では“ kataluma”という単語が登場するのはあと 2 箇所しかありません。10どちらも“ inn(宿屋)”ではなく“guestchamber(客室)〔日本語の口語訳聖書では「座敷」〕と訳されていて、今お話した概念と合致します。

若い頃、「客間には彼らのいる余地がない」という言葉を聞くたびに、地元の宿屋に空室なしの看板が掲示されていたとか、宿屋の主人がそっけない、あるいは敵対的だったのだと思い込んでいました。そういう仮定は恐らく的外れでしょう。間違いなく当時、その地域の人々は今と同じように親切だったことでしょう。エルサレムと隣のベツレヘムが,地元住民の大勢の親戚であふれていた時期なら、なおさら歓迎したことでしょう。

隊商宿では、夜間は、動物を建物の中心の中庭に入れました。中庭には、ロバや犬、羊、あるいはラクダや牛がいて、動物の汚物や悪臭もあったことでしょう。中庭を囲む客間が満室だったことから、ヨセフは、動物のいる、隊商宿の真ん中の中庭でマリヤの出産を世話しようと決意したのかもしれません。神の小羊はそのような質素な環境でお生まれになったのです。

ルカ書第 2 章では「布」という言葉が 2 度登場します。「初子を……布にくるんで」(ルカ 2:7)とはどのような意味でしょうか。11単に普通のおむつや赤ちゃん用の綿毛布以上の重要な意味があるように感じます。英語では5つの単語を使っているこの箇所が、ギリシャ語の新約聖書の原文ではたった 1つの単語で表されています。その言葉はsparganooで、新生児を特別な布、すなわち細長い布で巻くことを表す動詞です。恐らく布には家系を表す独特な印が付いていたことでしょう。その習慣は長子が生まれた場合は特にそうです。

天使はこのように宣言しました。

「あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである。13」主をくるんだ布はきっと認識しやすい、はっきりと分かる目印だったことでしょう。

このような家族の印のある布という概念は、イスラエルの息子ヨセフが長子の息子となり、長子権を象徴するさまざまな色の独特の布のコートを受け取ったときにも関係していたのではないかと思います。

飼葉おけについてはどうでしょうか。フランス語を話す人なら、この英単語がフランス語で「食べる」という意味のmangerと同じであることに気づくでしょう。飼葉おけは家畜小屋で動物の飼料を入れるおけ、またはふたのない箱です。汚れた中庭の地面より少し高い位置にある飼葉おけが、いちばん清潔な場所だったことでしょう。飼料を入れるおけがわたしたちの主の揺りかごとなったのです。

2000年たった今日、わたしたちはイエスの誕生に関する詳細をすべて知っているわけではありませんが、このベツレヘムの赤ん坊のユニークな親子関係は確かに理解しています。いくつかの聖句は、「その代の人のうち、だれが思ったであろうか」と問いかけています。14 わたしたちは真剣に、確信をもって次のことを宣言します。イエスは、不死不滅の御父と死すべき肉体の母親からお生まれになり、不死不滅の御父から永遠に生きる力を、死すべき肉体の母親からは肉体の死という宿命を受け継がれました。

イエスは御自分の生涯に影響を及ぼすこれらの現実を認めておられました。「だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである。」15

主がその血統から受け継がれた独特の属性は、全人類の罪を贖うという主の使命に不可欠でした。こうして、イエス・キリストがお生まれになったのは、死ぬためでした。16 わたしたちが生きるようになるためでした。主がお生まれになったのは,すべての人が墓を超えて生きられるようになるためでした。17主の贖罪は,主が血の汗を流されたゲツセマネと、主の肉体が十字架につけられたゴルゴタ(またはカルバリ)で成し遂げられました。ゴルゴタ(カルバリ)は死を象徴する「されこうべ」という意味です。この無限の贖罪は、人を無窮の死から解放することとなります。18救い主の贖罪は復活を実現し、主の教えに従う全ての人が永遠の命を得ることを可能にしました。主の贖罪は人類の歴史の中心を成す業となりました。

わたしたちのクリスマスの思い出は、こう言った現実によりによって豊かになります。主に対する証を持つ人は皆、信仰によって、主の神聖な血統を知るとともに、イエスが生ける神の御子であられることを証する特権を受けます。

真の証があれば、12月23日に私たちが誕生を記念する預言者ジョセフ・スミスに、御父と御子が御姿を現されたことも確信するでしょう。また,末日聖徒イエス・キリスト教会がまことの教会であり,生ける主によって導かれている事実も確信するでしょう。すなわち、教会は正しい権能を持つ人々が主の指示を受けてそれにこたえ、預言と啓示を通して管理されていることを確かに知ることができるのです。

この背景を念頭に、安らぎをもたらす助言をきょう皆さんと分かち合いましょう。それは教義と聖約の68章にあり、主のこの戒めが書かれています。「元気を出しなさい。恐れてはならない。主なるわたしはあなたがたとともにおり、あなたがたの傍らに立つからである。あなたがたは、わたし、すなわちイエス・キリストについて、わたしが生ける神の子であること、わたしがかつており、今おり、やがて来ることを証しなければならない」。19

わたしたちは主への愛を込めて、主の聖なる約束を信じています。この先、苦難の時代が待ち受けています。罪がますます世にはびこっています。わたしたちは戦争と戦争の噂の時代に生きています。教会とその教会員は攻撃を受け、迫害を堪え忍びます。20

イエスはあらゆるものの下に身を落とし、あらゆるものに打ち勝たれました。主は御自身の模範に従うことをわたしたちに望んでおられます。主とともにくびきを負うなら、わたしたち一人一人は、どんなに難しくても、あらゆる困難を乗り越えることができます。21ペテロは次のように勧めました。「クリスチャンとして苦しみを受けるのであれば、恥じることはない。かえって、この名によって神をあがめなさい。」22

主に従わない人々が従う人々から切り離される時が来ています。わたしたちを守る最も安全な手段は、主の聖なる宮に参入する資格を維持することです。神殿があるのは、何という祝福でしょう。クリスマスの時期、あるいはいつでも、主にささげることができる最高の贈り物は、世の汚れに染まらないようにし、主の聖なる神殿に入るふさわしさを保つことです。そして主がわたしたちに下さる賜物は、主にお会いする用意がいつでもできていると知る平安です。

兄弟姉妹の皆さん、日々の用事や今後のハードルを乗り越えるようお願いします。皆さんは日程に書かれている用事以上のことをこなせます。主の御名を受け、主にさらに似た者となることができます。秘められた素晴らしい潜在能力を発揮することができるのです。より大きな霊的能力をもって将来に備えることができます。

将来,主の務めが満ちることを覚えておいてください。再臨の預言はまだこれから成就します。クリスマスの時期、わたしたちは当然ながら主の降誕に思いを向けます。しかし、主は再びこの地上に来られます。最初の降臨では、主はほとんど人知れず来られました。地上の限られた人しか主がお生まれになったことを知らなかったのです。再臨のときは、主が戻られたことを全人類が知るでしょう。そのとき主は「地上を旅する男の姿では来られず、23主の栄光があらわれ、人は皆ともにこれを見るのです。24

主の聖なる御名の特別な証人として、イエスが生ける神の御子であられることを証します。皆さんが主を愛して主の戒めを守るなら、主は皆さんを愛し、高く上げ、皆さんに御自身を現されるでしょう。25

わたしは皆さん一人一人への愛と祝福を表明し、よいクリスマスを願っています。イエス・キリストの御名によって、アーメン。

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1.ルカ1:28,30-32

2.ルカ1:34

3.ルカ1:35

4. マタイ1:18-19を参照。

5.マタイ1:20-21

6.1ニーファイ11:16

7.1ニーファイ11:17-21

8.ルカ2:1

9.ルカ2:7

10. マルコ14:14 と ルカ22:11を参照。

11.ルカ2:7, 12を参照。

12.Strong’s Exhaustive Concordance of the Bible (Nashville, New York: Abingdon Press, 1890)のGreek Dictionary of the New Testamentの66ページにある単語番号4683を参照してください。

13.ルカ2:12

14. イザヤ53:8使徒行伝8:33モーサヤ14:815:10参照。

  1. ヨハネ10:18

16.3ニーファイ27:13-14も参照

17.3ニーファイ27:14-15も参照

18.2ニーファイ9:7も参照

19.教義と聖約68:6

20. 2 テモテ 3:1–13教義&聖約112:24

21. マタイ11:29-30を参照。

22.1 ペテロ 4:16.

23.教義と聖約49:22

24.イザヤ40:5教義と聖約101:23も参照

25.ヨハネ14:21

ラッセル・M・ネルソン

ラッセル・M・ネルソン、末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長は2002年12月10日にこの話をしました。